富士へ ⑥人穴異界
10年ほど前、作家のTさんと一緒に、オウム真理教富士山総本部道場の跡地に建てられた「盲導犬の里ハーネス」を見学したことがある。そのとき、車で数分離れたところにある人穴神社にも立ち寄った。
人穴神社には、江戸時代に興隆した富士講の開祖・角行が、籠って修行したといわれる溶岩洞窟がある。洞窟の入口近くに社があり、向かって左側には富士講ゆかりの古びた石塔がたくさん立ち並び、洞窟を中心に全体が人穴神社として祀られている。2013年富士山が世界文化遺産に登録されるにあたって、人穴もその構成要素の一つとなり、神社入り口付近に小さな案内所が造られ、あたりの藪も整備されていた。
Tさんと訪れた当時、わたしは富士信仰や富士講についてまだなにも知らなかった。「なんだか寂しい場所だな」と思いながらなんの気なしに見て回った。洞窟の説明書きに「人穴は江の島に通じているという伝説がある」と書かれていて、江の島に近い相模湾沿いに住むTさんは、「江の島には、杉山和一という江戸時代の鍼灸師が作った世界初の盲学校があったんだよね…」と言って少し驚いていた。
オウム真理教の麻原教祖は盲学校の出身で、修行の道に入る前は鍼灸師として家族を養っていた。Tさんは、杉山和一という江の島の鍼灸師についてよく知っているらしく、盲導犬の施設を見たあとに来た人穴が江の島に通じていることを、ちょっと不思議に感じているようだった。
このような偶然の一致、いわゆるシンクロニシティは、それをキャッチしている本人には印象的で意味深く感じられるものだ。わたしが富士講という江戸時代の宗教を調べて、「松原」「人穴」「弥勒」「救済」「享年63歳」「後継者三女」など、オウムとの共通点に気づいていくときもそんな感じだった。こんなとき人は、知らぬ間に潜在意識の深みに入っていて、更に兆候(サイン)と感じられる現象が連続すると、示唆的、神秘的、運命的に思えてくるものだ。
今回「静岡県富士山世界遺産センター」を訪れた帰り、富士宮から県道71号線で中央高速へ向かう途中、なつかしい富士山総本部道場跡地にある「盲導犬の里ハーネス」が見えてきた。わたしは「ここはもう行く必要ないな」と思って通過した。ところが、人穴神社に差し掛かったとき、急に「ちょっと寄ってみるか…」と思い、すっとハンドルを切ってしまった。駐車場には先客がいるのかパステルカラーの可愛らしい軽自動車が一台とまっていた。
「ここに人がいるなんて初めてかも」
そう思って車を降りて、参道入口にある鳥居の方を見ると、真っ白なロングコートを着たボブヘアの若い女性が鳥居の前に立っていた。遠目にもかなり目鼻立ちのはっきりした美しい女性だとわかった。
いつも誰もいない寂しい場所に人がいること、しかも若い女性が一人きりだったことに少し驚きながら、わたしは先客の邪魔にならないよう、距離をはかりながらゆっくりと参道の入口に向かった。鳥居から先は、視界をさえぎるものがなく真っすぐのゆるい登り坂なのだが、なぜか先に行ったはずの若い女性の姿はなかった。
「おかしいな、もしかして本殿の右手にある洞窟に入ったのか?」
そう思ったが、洞窟の入口はかなり急な下りの苔むした石段で、白いロングコートを着て立ち入るようなところではない。洞窟の入口まで行ってみると、「洞窟へは、安全が確保できないため立ち入りできません。」と書かれた真新しいゲートが設えてあり、以前のように洞窟に立ち入ることはできなくなっていた。
それほど広くない人穴神社の敷地で人の姿を見逃すはずはない。「変だなあ…」と思いながら、石塔が立ち並ぶ敷地の奥の方にも行ってみたが、やはり誰もいなかった。きっとあの女性は、途中でつまらなくなって脇道でも見つけて駐車場に下りて帰ってしまったに違いない。
わたしは来た道を引き返して駐車場に戻った。すると、パステルカラーの軽自動車がまだそこにあるではないか。不審に思って、振り返って神社全体を見渡してみたが、しんと静まり返って人のいる気配はなかった。
どこへ行っちゃったんだろう?
しばらく待ってみようか。
知り合いでもないのになぜ待つ必要が?
この寂しい場所に似合わないあの容姿といい、
あの若い女性は本当にいたんだろうか。
幻なのか?
でも車はある。
それにしても、なんだか静かすぎるくらい静かだ。
奇妙なくらいの、寂静…
そう思った途端、ぞわっと全身総毛立った。
そして、こんな言葉が舞い降りてきた。
・・・コ ノ ハ ナ サ ク ヤ ヒ メ・・・
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