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母たちの国へ24. ドッグラン

作家のTさんのオウムをテーマにした長編小説の連載が文芸誌ではじまった。Tさんとはそれまで二度ほど会って話をしていたが、私が実家で生活するようになってからはメールで頻繁にやり取りしていた。

小説の連載がはじまってすぐにTさんに聞いた。

「オウムの富士山総本部道場があったところに行ったことありますか?」

Tさんは「行ったことないのよ…」と言った。
オウムをテーマに小説を書いているなら、できるだけ具体的な情報があった方がいいだろう。そう思った私は、東京へ行ったついでのときに車で現地を案内する約束をした。

富士山麓への日帰り旅行の朝は、よく晴れて四月にしては日差しが強かった。私は車で新富士駅へ行き、そこで新幹線でやって来るTさんと待ち合わせた。そして挨拶もそこそこに、富士宮市の富士山総本部道場があったところへ向かった。

富士宮市人穴381――出家して最初の三年間住んでいた懐かしい場所、今は盲導犬のための施設が建っている。

「盲目だった教祖の教団跡地に盲導犬の施設ができているって、ちょっと不思議な感じがしませんか?」
「たしかに…」
まだ新しい瀟洒な建物を見上げて、Tさんはうなずいた。
そして、辺りを見回してちょっと驚いたように言った。
「こんな道路沿いに、本部施設があったんだ…」
「ええ。そうですよ」
「もっと山のなかにあったのかと思ってた…」
「ここは県道71号線沿いで結構車も通ります。すぐ隣と道路の向かい側には民家もありますしね」

たぶん、Tさんに限らず多くの人にとってオウムのイメージは、教団施設は人里離れた山奥にあって、出家者は互いに監視し合い、自由に出入りもできなかったというものではないだろうか。でも、事実は違う。総本部道場の生活エリアには、監視するようなシステムはもちろん、鍵もかかっていなかった。みんな自分の意思でそこにいたのだし、やめたい人は自分の意思で、ある日突然出て行った。

私たちは盲導犬の施設を見学することにした。そこは目の不自由な人たちを導くという役割を終えた犬たちが暮らしていた。引退した盲導犬たちは、静かで、どこか少し悲しげで、老賢者のような深い瞳をしていた。作家としてのTさんは、戦争、原爆、水俣病、チェルノブイリ、福島といった社会的な問題から、ターミナルケア、スピリチュアル、仏教、瞑想といった精神的なものまで幅広いジャンルをテーマにしていた。盲導犬の歴史を展示した資料を見たとき、日本に盲導犬が入ってきたのは傷痍軍人のためだったこと、そこに戦争が影を落としていることに関心を寄せていた。

盲導犬の施設から1.5キロほど離れたところに人穴神社があった。オウムのサティアン群があった旧上九一色村方面に向かう途中だったので、どちらからともなく「立ち寄ってみようか」ということになった。

人穴神社は、江戸時代中期に起こった富士講という当時の江戸にかなり広がった宗教のゆかりの地で、開祖とされている角行という人物が修行したといわれる洞窟があった。私たちは、人のいない境内を散策しながら、本殿の横にある人穴洞窟に引き寄せられるように入って行った。

洞窟の入り口の急な石段を注意しながら降りると、なかは真っ暗だった。かばんに入っていたマグライトを取り出して辺りを照らして見ると、まだ新しいお菓子やペットボトルの飲み物などが奥の岩の上に置かれていた。

「だれかが今もお供えしてるね。ここ、まだ信仰が残ってるんだ」
「この洞窟で角行は三年間瞑想修行していたんですね。なんだかオウムみたい…」

こんなふうに、Tさんを案内しながらオウムのことやその土地の歴史などに触れていくうちに、私はどんどん現実とは違う世界に突っ込んでいくような感覚を覚えていた。だからだろうか、人穴洞窟を後にして、「第一上九」と呼ばれた施設跡へ行く途中で道に迷ってしまった。だれかに道を聞こうと周囲を見渡しても、牧草地が続くだけで人通りはなく途方に暮れてしまった。やっと、犬を散歩させている地元の人が来たので、以前オウムの施設があった公園を知らないか聞いてみたが「知らない」と言われた。しかたなく、また車で移動して一旦広い道路に出て、道路沿いにある食堂で聞いてみることにした。

「すみません」と言ってドアを開けると、昼時だというのに客はおらず、店主と奥さんが暇を持て余していた。結局、道を尋ねても確たる情報は得られず、店を出たときTさんが言った。

「あの犬、見た?」
「犬? 犬なんていました?」
「いたわよ。皮膚がすごくただれてむけている、皮膚病の犬よ。飲食店なのに、皮膚病の犬がいるなんてありえないよ…本当に見なかったの?」
「犬がいたなんて、気がつきませんでしたよ…」

Tさんは、あんな異様なものを見逃すなんてあり得ないという顔をして私を見た。

富士山総本部跡では「盲導犬」、散歩している「犬」、食堂の「皮膚病の犬」。なんだか犬が続いてあらわれている気がした。こういうとき、私は象徴言語で理解することにしている。そして、そのような象徴言語の話は、作家のTさんには通じすぎるくらい通じるのだった。

予定していた場所をなんとか全部まわって、大役を終えリラックスした私は、Tさんを送っていく帰りの東名高速で大好きな象徴や神話の話をした。

「犬っていうのは人間に一番近い動物です。そして、嗅覚が鋭くて、地面をくんくん嗅ぎまわって目には見えないものをたどることができます。だからか、現世と来世の境界の見張り人、冥界の守護者、魂の導者なんて言われているんです。ですから、まあ、犬は『冥界』の象徴とみていいでしょうね。」

休憩のためにサービスエリアに入ると、先に車から降りたTさんが大きな声で言った。

「ねえねえ、見てー、ドッグランがあるよー!」

私が車を停めた目の前の看板には、とても大きな文字でこう書かれていた。

ドッグラン

Tさんは「最後はドッグランだよ~」と子どものようにはしゃいでいた。
私も「やっぱり今日は犬に導びかれているのかな…」と思った。

Tさんと私は、今はもう存在しないオウム真理教の痕跡を、犬のように嗅ぎまわりながら、犬に導かれて、現実の裏側、境界の向こう、冥界へと迷い込んでいたのかもしれない。


「財団法人日本盲導犬協会(東京本部・東京都渋谷区神泉町21-3、井上幸彦理事長)は、静岡県富士宮市内のオウム真理教富士山総本部跡地に「全国盲導犬総合育成センター(仮称)」の建設を計画している。不足している盲導犬を育成するための繁殖・研究施設のほか、障害者と盲導犬と歩くための共同訓練施設、盲導犬について学ぶことができる学習・交流スペースなどを備えた複合施設として計画するもので、来年の6月頃に着工し、18年春のオープンを目指す。
 同施設は、盲導犬を必要としている障害者に対し、育成頭数が絶対的に不足している状況を打開するため、新たに建設を計画するもので、建設予定地は静岡県富士宮市人穴381-1他の2万212・92㎡の敷地。同用地は以前、オウム真理教富士山総本部があった場所で、センター建設候補地の選定を進めるなかで、土地を所有する富士宮市と富士開拓農業協会から同跡地の提供の申し出を受け、現地視察、地質調査等を経て建設地に決定、先月までに同用地取得に係る覚書を締結した。同協会の井上理事長はオウムの地下鉄サリン事件発生当時に警視総監を務めていた。」(山梨建設新聞/2004年10月20日)

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