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【掌編】いとしい

月の耳を見た。月が、普段はしない動作で額の筋雲をかき上げて、それから僕の方へとほんの少し振り返った時だった。あ、と思わず声を上げた僕の視線に気づいて、月は顔をわずかに赤らめた。顔の割に小さな耳は、先がほんの少し尖って見えた。……小さいし、形も悪いから、コンプレックスなの。月は呟いて、すぐに手近な雲で耳を隠してしまった。

なんとなく気まずくなって、またね、とその夜の月は早々に帰ってしまった。ずっと隠されていた秘密を初めて見せてくれたことに、僕の心はどうしようもなく高鳴った。飽きるほど一緒にいるのに、まだ知らなかったことがあるなんて。見知らぬ感情に焦がされて、僕の体の内に満ちているどろりとした灼熱の溶岩が脈打った。

僕と月はあまりにも昔から一緒にいた。互いに惹かれ合いながらも遥かな距離を保ち、手すらつなぐことはなかった。それでも、月の引力に僕の心は日々波立ち、永遠とも思える満ち引きを繰り返している。想いを伝えることは、とうにあきらめていた。けれども、たった一度の邂逅が、僕を捕らえて離さない。

僕はこれから、夜空を飛び交う星々を少しずつ拾って繋いで、イヤリングを作ろうと思う。少し先の未来、夜空を往く船が出るようになったら、いつか月に届けよう。直接手を触れることはできなくとも、いつの日か、その耳にいとしさを添えられることを願って。……何も隠さないでいいよと、その日までに月の心をほぐせることを願って。

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小牧幸助さんの ♯シロクマ文芸部 の企画を見て、突発的に書きました。いつも、楽しくて素敵な企画をありがとうございます。

素敵なお写真をお借りしました。ありがとうございました。

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