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【掌編】風薫れば【散文詩】

風薫る季節になると、ふと思い出す人がいる。薫さんという。色の白い、大きな両目が少し離れた造作で、愛くるしい笑顔の朗らかな人だった。五月の生まれだと言っていた。真面目で、高校ではいつも教室の前方の席を希望して座っていた。歯並びがよく、いつもはきはきと喋った。

爽やかで好感の持てる人だと、誰もが言う。けれど毎年五月だけ、彼女の印象は豹変する。連休明けに、大人っぽくも初々しい教育実習生たちが高校へと授業にやってくると、薫さんは彼ら彼女らに、鬼のような量と質の質問を浴びせ続けるのだった。座席が前方であるせいもあってか、若いその人たちは例外なくたじろいだ。彼女に泣かされた人もいた。普段は教師に嫌味の一つも言わない彼女がどうしてそういう態度を取るのか、全くわからなかった。

ワタシね、先生になろうと思うのよ。彼女がはきはきとした声でそう打ち明けてくれたのは、高校三年生の初夏。最後の実習生が去っていった後、何かのきっかけで進路について話していた時のことだった。適当な実習生が許せなかったのか、あるいは自分の方が上手くやれると思っていたのだろうか。その真意までは聞けなかった。
話す彼女の歯並びはきれいだったけれど、歯列の裏には矯正器具が仕込んであるのが見えた。器具の隙間からの歯茎は、剥き出しの肉の色をしていた。皐月の緑の狭間、その色がまなうらに焼き付いた。彼女と話した記憶はそれきりだ。

風薫る季節だね、と私は目の前の生徒たちに笑う。彼女もどこかで先生をしているのだろうかと、不思議な気持ちでどこか遠くを思い、すぐにまた忘れる。教室を通り抜ける風につられて、窓の外を見つめる。五月、緑はその裏にあるはずの生き物の色を覆い隠して、光そのもののように輝いている。

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過ごしやすく、緑豊かな季節になりましたね。
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