ぼくの展望

僕は文化人になり、世界になんらかの影響を与えたい。

僕の性格的に誰かに奉仕するという形ではないだろう。誰か知らない人に褒められ続けて、尊敬され続けて、それで誰かがいい方向に人生の舵を取ってほしいというだけのことだ。承認欲で僕はできているのだ。
これが満15歳の、雲のようにぼんやりとした将来設計だ。

僕のイメージする文化人というのは、音楽・美術・映画などの芸術全般に造形が深く、中庭には盆栽をいくつか持っている。そんな人。
そして水やりをやり忘れすべての盆栽を枯らしたと思えば次の日には死んでいる。そんな人。
濾過された死体の、ガラス棒をつたっていく濾過水の水滴には、普通の人々には想像できない尋常でない量の知識が詰まっている。一般人はその濾過水をなんとか一滴貰おうと必死になっている。そんな人。

別に早死したいわけではないし、ここまでイメージ通りの文化人にはなりたくない。そもそも、文化人という言葉を使うこと自体誤りだった。
正確には「文化的教養のある変人」になりたい。
これを読んでいるごく少数のかた、きっと典型的なガキの考えることだと鼻で笑っていることでしょう。僕もそう思います。

昔から「変人」に憧れていた。今でも憧れている。変わった人を見るとどうしても羨ましく思ってしまう。ちなみに、昔というのは小6あたりの頃。そのころはちょうどWebライターのARuFaに影響を受けておんなじ様な馬鹿なことを動画に撮って…ということをやっていた。撮ってどうするか、といってもどうすることもできなかった。その時は友達もあんまりいなかったし、なによりそんなこと恥ずかしくてできなかった。同じ理由で母親や姉にも見せていない。自分に見せるためだけの動画をわざわざ長い時間をかけて撮っていたんだ、当時の自分はきっとARuFaになりたくて仕方なかったんだろう。「普通にはなりたくない、死んでもなるもんか」という衝動が生まれたのはその頃だった。普通になりたくないと思っている時点で普通の範疇に収まるのだ、と気づけたのは中学校に入って2年かそこら立ってからのことだった。
中学校生活のうち最初の1,2年は、半分クラスメートを見下しながら生きてきた。そのせいでどれだけ損をしたものか。まあとにかく、この衝動のタイミングが中2のときにあたっていたら…と思うと恐ろしくて夜も眠れない。友達0のまま高校生活を送ることになっていただろう。幸いタイミングが多少後ろにずれてくれたおかげでその中二病的な思考は収まりつつある。

でも、小5から中2という人生でもかなり大事な3年間の時間を潤沢に使って醸成されたこの「脱普通思考」は完全には抜けていない。人を貶す考えさえやめれば正直全然ありだと思っている。だから ”「文化的教養のある変人」になりたい。”なんて言えるのだ。

僕の想像する普通。普通に進学して、普通に入社して、普通に働いて、普通の年収で、普通に結婚して、普通に家族に見守られながら死んでいく。
きっと、これが一番いい人生の形だ。でも、僕の型にこれが綺麗に収まるとは到底思えない。こんな丁寧で清らかな暮らしはきっと僕に向いていない。
これは一時の思い込みじゃないはず、少なくともここ4,5年はそう思い続けている。自分が普通に幸せを手にしているのが脳裏に浮かばない。

だから、どうせ普通の幸せをつかめないなら、普通を犠牲にして変を手にしようではないか。そんな思考回路が熱を帯びている。
ゲームで言えば、基本運用される強いキャラはステータス画面の五角形が綺麗な正五角形であることが多い。体力もあって攻撃力もあって防御力もあって…なキャラ。人生でも同じで、オールラウンダーのほうがなんでも楽しいだろう。でも、僕はあるステータスだけに特化した、ありえないくらい歪な五角形をしたキャラに惹かれる。なにか一つ、他の人にはない個性、自分だけの個性を手にしている人って本当に格好よくないか。例えそれ以外が平均以下だとしても。

僕はいま、どのステータスを尖らせようか悩んでいる最中だ。今の時点では音楽のステータスを頑張ってトキントキンにさせようと努力しているが、思春期真っ只中なので考えがぐるぐる回ってもおかしくない。明日には文豪になるとかほざいてるかもしれない。
どちらにせよ、何者かになるために努力が必要なのは確かだ。
僕は世間の人々を必死にさせてみたい。僕は世間の人々を必死にさせるために必死に努力をする。


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