#テラスハウス で悶々とする今、聴きたい名著『わかりあえないことから』 「みんなちがって、大変だ」
こんにちは、audiobook.jp運営でPRを担当しているSAEKIです。今回はとある番組を鑑賞していて居てもたってもいられず、こちらの記事を公開することにしました。
それは、『テラスハウス』です。
『テラスハウス』とは…見ず知らずの男女6人が海の見える一軒家で共同生活。恋愛、夢、青春が詰まった若者たちの物語を克明に記録した、これまでにない本格的リアリティショー。 (引用 Netflix)
この番組を見たことがない人は、『テラハ(通称)』ってこんな番組でしょ?といいます。
「お洒落なスペースでお洒落な男女が恋愛する番組?」
違うんです。まあ間違ってはないけどそれだけではないんです。
ここ数週間にわたるテラスハウスでの事件(いわゆる前代未聞の修羅場)をもとに、「コミュニケーション」というものについて改めて考えさせられたので今回はその話を。
(※下記からネタバレを含むのでご了承ください。また、あくまで一視聴者としての個人的な感想を大いに含んでおります。そしてですます調を崩させていただきます。)
💔「好き」から一転、許せない相手に
まだ「テラスハウス」を見たことがない方にもわかるよう、最初は直近で起きた「テラハ前代未聞の修羅場」について説明する。
修羅場事件の当事者は、テラハに住む男女二人。
青年・快(かい)は、アメリカ在住歴が長く、スタンダップコメディアンとして食べていくことを目指してる青年。しかし芸事で食べていくのはなかなか難しく、たまに入れているアルバイトで食いつなぐ。絵を描いたり音楽を聴くのも好きで、とてもマイペースで繊細な印象。
花(はな)は、プロレスラーとして活躍中。ピンクの髪色で華やかな見た目やプロレス中のアグレッシブな印象とは対照的に、恋愛経験が少なく、恋愛ごとになると急に奥手になる。
(くわしくはこちらのプロフィールを参照)
最初は友達関係だった二人だが、トランポリンデートに行ったり、食事をしたり、二人の時間をちょっとずつ過ごしながら最終的に付き合う一歩手前という状態にまでたどり着く。そして視聴者は「これはもう、結ばれるに違いない!」と思った。のだが……
結果的に、この恋は破綻する。
テラスハウスに住むメンバーとダブルデートで京都旅行に行ったのだが、これがいけなかった。
旅行先で快がほとんどお金を負担しなかった(了承済みだったが)うえに、感謝の気持ちが見られないということで旅行帰りの女子部屋で非難轟々。
「私だったら見栄もあるし、クレジットカードでいったんその場は乗り切ってその後めっちゃ頑張る」「(同伴者の)社長がお金を出してくれたとき、自分たちはありがとうと感謝を伝えたけど、快は”チッス”みたいな軽い感じで許せなかった」など止まらない快への不満。
そして災難に災難は続くもので、なんと花の大切なプロレスの衣装を快が誤って洗濯してしまい着られないものにしてしまう。
花の快への怒りは頂点に達し、これまでの不満をぶつけたあと「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ!!!」と快がかぶっていた帽子を叩き落し自室へと消えていく……。(この時は自分もやりかねない失敗なので胃がキュッとなった)
この一連での快は、テラスハウス内でかなり批判されていて、見ているだけでも辛かった。たしかに、快を批判したくなる気持ちもわからなくもないが、それだけでは説明できない不快感が残った。
🌺「ずれ」の爆発
ここからは、改めてこの事件をもとに「コミュニケーション」について考えたいと思う。
劇作家・平田オリザ著『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』では、コミュニケーションにおける「対論」と「対話」の違いについて説明している。
対論
すなわちディベートのことで、AとBという二つの論理が戦ってAが勝てばBはAに従わなければならない。Bは意見を変えねばならないが、勝ったAのほうは変わらない。
対話
AとBという異なる二つの論理がすり合わさり、Cという新しい概念を生み出す。AもBも変わる。両者とも変わるのだということを前提にして話を始める。
また、本作では「価値観の違いは、コンテクストの「ずれ」に現れる。」そして「その「ずれ」がコミュニケーション不全の原因になりやすい。」と書かれている。なぜなら、この「ずれ」を見つけるのは容易ではないからだ。
「ずれ」が一気に爆発した花と快だが、そもそも喧嘩する前、京都で2人きりになった際の「話し合い」の場面でもそのずれの予兆は見られた。両者とも「2人で話したい」とは言っていたもののその姿勢はどことなくことなっていて、「対論」寄りの花と、「対話」寄りの快といった構図に見えた。
花から「今目の前の自分を大事にしているように感じられない」と指摘を受けて「たまにそういう自分が嫌いになる」と答える快。「変わりたいって思う?」と問う花に対し、「すごく変わりたいとは思わない」と言葉少なに答える快。
その話し合いの後、「すごくいい話ができた」と話す快と、不満が止まらず「なんだかあんまり男らしさを感じられなくなった」と話す花。
同じ時間を過ごしていたのに、共に過ごした時間の感じ方すらもずれが生じていた。
当初は、お互いに一緒にいて楽しかった二人だが、一緒に生活している際の文化や微細な感覚のズレには我慢ができなくなった。そして、それが旅行というテラスハウスの中では異質な経験で爆発してしまったのだ。
隠れていたずれが顕在化した瞬間である。
ほかにも「ずれ」のタネは多々あった。
「旅費負担」問題、(ビビに指摘された)「皿洗いやってる・やってない」問題や、バイトしている・してない」問題も、価値観のずれによって食い違いが生じているようだった。
では、このようなコミュニケーション不全はどのように乗り越えていけばいいのか。テラスハウスは、カメラの前で同数の男女が生活を共にするというあまりにも異質な空間ではあるものの、私たちの生活でも同じようなことは起こりうる。
🌞協調性から社交性へ
著者は、今、私たちが求められているコミュニケーションの質が「協調性から社交性」へと変わっているという。
価値観がどんどん多様化している今、人々はバラバラになっている。少し前ではあれば「一致団結」の「価値観を一つにする方向のコミュニケーション」が求められたが、様々な文化が混ざり合っている今、求められているのは「同じ価値観でまとめあげる」ことではない。「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてやっていく能力」が最も求められているというのだ。
そして、私たちが今必要なのは最初から「人間はわかり合えない」ということを前提にし、どうにかして共有できる部分を広げていくことだと語られている。
本作でも、こういったコミュニケーションの質の変化の背景として「グローバル化」があげられているが、偶然にも(?)テラスハウスも東京編では海外をルーツにした住人が増えている。
そして、本著の最後のほうで著者は
「こういった話を教育関係の講演会でするときまって、金子みすゞの『みんなちがって、みんないい』ですね」といわれるが自分はそう思わない。」
「『みんなちがって、みんないい』ではなく、『みんなちがって、たいへんだ』なのだ」と語る。
同一な価値観ではなく、違った価値観の中で生きていかなくてはならないのは簡単ではない。最初はちょっと大変だ。
だが、『最初はちょっと大変だけれど』の、その『大変さ』を克服する力をつけていくことが今必要なコミュニケーションの力なのだろう。成熟型の社会では、「最新の生物学研究成果が示すように、多様性こそが持続可能な社会を約束する」のだ。
🌼自分自身のコミュニケーションについても考えてみる
テラスハウスでの事件に対し、ただの一視聴者として「あんなブチ切れるなんて、ありえない!」「女部屋の雰囲気、ちょっと感じ悪くないかな……」などときれいごとを言った。
しかし、価値観が多様化する現代。
自分が直面しているリアル社会でも、ついつい同じ価値観で相手ともコミュニケーションしてしまい、「価値観の違い」そしてそれによる「大変さ」を踏まえたコミュニケーションができているかというと疑問符が残る。
テラスハウスを鑑賞して、モヤモヤしてしまった方。
ぜひ、一緒に『わかりあえないことから』を聴いてこれからの”コミュニケーション”について考えませんか?
(『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』平田オリザ著 ※聴き放題プラン対象です/初回1か月無料)
次週の放送も楽しみにしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?