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私とクラリネット①

私がクラリネットを始めようと思ったのは、初めて、介護施設(デイサービス)で働いていた時の事である。

当時、絶対音感のある職員がいて、彼女の弾くピアノに合わせて、リコーダーを吹いてくれというところから始まった。

しかし、リコーダーというのは音域がせまく、私にとって窮屈だった。私は考えた。リコーダーのようなフォーム(構え方)で、音域が広い楽器…私の中にクラリネットが思い浮かんだ。ここからである。

ただ、お話しているように私には、金銭的な余裕がないので、私は、1番安いモデルを購入する事にした。

それが、現在では既に生産されていない樹脂製のブッフェ・クランポンのB10というモデルである。クラリネットというと管のつなぎ目がシルバーなのを想像する方もいると思うが、このモデルはつなぎ目は全て黒のデザインとなっている。、

購入当時は誰かに習うアテも何もなかったが、当時mixiというSNSをやっていて、その中で、私に教えてもいいという人が現れ、1年未満という短期間ではあったが、習うことになった。

また当時、私が住んでいたアパートは造りの関係で隣に音が漏れやすいので、私は近くの高速道路の高架下にできるだけ毎日通って練習をしていた。

高速道路の高架下という事で、雨の日でも大丈夫ではあったのだが、1年未満で辞めることになってしまった1番の原因は私の体調であった。また、当時の私は何かに誘われて、上手いこと言われたら断れないタチで、ある日、某楽器店でフルートとサックスのデモ演奏が行われていたのだが、私はそこに足を止めて観ていたのだった。デモ演奏が一通り終わると、フルートを吹いていたインストラクターが私に声をかけてきた。

「楽器を買う必要もないので、やってみませんか?」

と言われると、クラリネットを始めたばかりなんです。と言うと、

「それなら、フルートも構え方が違うだけて、同じような運指なんですよ」

という。この辺りはセールストークであった。

私はクラリネットのアンブシュア(口の形)も確立していない段階で、入会してしまったのだった。今となっては、やって良かったと思うところと、やらなければ良かったと思うところ、両方ある。

やって良かったと思ったのは、フルートという楽器について知る事ができたこと。

やらなければ良かったと思ったのは、クラリネットの上達速度が遅くなってしまったこと。

また入会してしばらくすると、仲良くなった会員さんで、その人が入門の頃使っていたフルートを貸してくださったのだった。それも8年くらいに渡って貸してくださり、一時期は1万円で譲ってもいいとまで言ってくださっていたのだが、お話している通り、当時の私には、お金の余裕というものが一切なかったので、1万円用意するというだけでもかなりハードルが高かったのを覚えている。

フルートが手元に来た時は、クラリネットと両方、どっちつかずでれやることになるのだが、両方とも上手くはならないのだった。

そして、忘れた頃に、突然連絡が来て、そのフルートは返すことになって、今は私の手元にはない。


同時にフルートがなくなったタイミングで、またクラリネットをやってみようと思い立ち、今の先生になって、今年の6月で2年になる。

私は、その間に引越しをし、再び楽器不可の音の振動が伝わりやすいところに来て、現在に至っているが、何回も楽器可物件に行きたいと願うのだが、引越したタイミングで、階段から落ち、足を骨折し、全治半年となり、生活保護下に入ってしまった。

ケースワーカーたちは、そのような理由で、引越しの願望がある事を伝えても、引越し費用は出せないし認められないと口を揃えるのだった。

私は、「弱い音」で練習をするようになるが、その弱く吹く事が癖になってしまい、レッスンでもそれが現れ、再三に渡って注意を受けた。

楽器可物件に行きたいのだが、どうしたら生活保護を抜けられるんだろうといつも考えて、自分のできる事をしている。

この話は、また書きたいと思う。

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