場面緘黙を考える①

私が場面緘黙という言葉を知ったのは、19歳位の事だった。それは、商業音楽の専門学校に通っていた時、音楽療法に興味を持ち、近年亡くなられた聖路加病院の院長の日野原重明先生の著書であった。

私が、場面緘黙になった理由というのは、現在も分からないままだが、その環境に毒親がいたのは、運が良くなかったと思う。

場面緘黙とは、家では普通に話せるのに、学校や塾、親戚の家など外部へ行くと、たちまち声が出せなくなってしまう症状の事を言う。

この言葉が、現在はどれだけの人が知っていて、どれほどの理解があるのか、私はよく知らない。

私が、幼稚園や小学校低学年の頃は、友達やクラスメイトによく珍しがられたものだった。

あいうえおって言ってみて

声が出せないと言っても、全く出せないという訳ではなくて、本当に蚊の鳴くような声なら出せた。

友達やクラスメイトに、よくこう言われては、私は友達の耳元で囁いた。私の声を聞いた彼らは、とても珍しがって、「しゃべったー!」とか言って喜んでいたのを覚えている。

私は学校で、自発的に声が出せない事で、性格も消極的であって、おもらしをしてしまったり、クラスメイトの話題になっている事をよく聞いたりできずにいた。

冷えきった家庭環境

私の小学校では、私服で登校し、着いたらすぐ体操服に着替えて、帰りの前にまた私服に着替えて、下校していた。

低学年までは、ほとんどの子が教室で着替えていたのだが、3年位になると、まず女子は紺色のブルマだったのだが、家から私服の下に履いて登校するようになり、一方男子は、白い短パンだったのだが、男子も、それを真似するような傾向になっていった。

そうして、ほとんどの子が家から私服の下に体操服を着て登校するようになっても、私は小学校の6年まで、親にこうしたいというのを言えずにいて、学校に着くと1人、パンツ姿になって着替えていたのだった。

私は、とても恥ずかしかったし、みんなと同じようにしたかったのだが、親に言うことができないがために、どうすることもできなかった。そうして、私は大人になっても、この時の執着が離れる事はなかったのだった。

今や、楽天やAmazonで、匿名でいろいろな物が手に入る時代となった訳だが、私は中学生、高校生、一人暮らしをするようになっても、小学校の時の体操服の事が頭から離れずにいて、どうやって、地元の学校用品で、なんて言って買えばいいのかを、ずっと考えていたのだった。

そして、楽天やAmazonで買い物ができるようになると、私は小学校の頃の体操服にデザインが最も近いものを購入し、家にいる時は基本的にそれで過ごすのが当たり前のようになってしまった。

外出の時も、職場などで制服に着替えたりしない限りは、ほとんど下に白短パンを履いている。今も履いている。それでも、服なんて他人から見ればそんなに異質に見える物でもないと思う。

着始めた当初は恥ずかしいと思っていたが、今では、それが日常となっている。服なんて何を着ようが、部屋着として心地よいのであれば、それでいいと今は思っている。

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