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相模原キャンパスに通うということ

今日も疲れたな…そう独りごちながら重い荷物を肩から降ろす、時計の長身はすでに21時を越していて、窓の外には月が出ている。なぜこんなことになったんだろうか。
思えばそれは生まれたときから始まっていた。幼いころから生き物が好きで好きでたまらなく、夏になっては婆ちゃんの家に遊びに行っては虫を捕まえて遊んだ。そんな僕は漠然と将来は生き物に関する勉強をしたいと子供ながらに考えていた、しかし中学受験を終え入った中学の付属大学には直接生き物に関わる学部はなかった。そのことに僕は少しの落胆と自分の得意である現代文を使う学部を目指すのも面白そうだという考えが生まれた。
そうして時は流れ僕は高校生になった。そして僕に転機がやってきた。高校の入学祝いにPCを買ってもらったのだ、実はこのPCが後々僕の人生を大きく変えることになるとは僕自身全く思っていなかったのだった。
高校生にもなるとだんだんとモラトリアムの地平線が目視できるようになってくる、その最たるものが文理選択だ。僕は最初文学部へと進学しようと考えていた、理由は単純で本が好きだからだ。自慢になってしまうが僕はかなりの読書家で、小学校を卒業する時点で1000、2000冊は本を読んでいて国語の偏差値だけなら御三家を狙えるほどだった。しかし僕は結果的に理工学部へと進学することになる、そのきっかけが入学祝のPCだったのだ。昔から僕は生物の次にロボットが好きで、それは自由研究にお手製のロボットを持っていくほどだった。その少年時代の趣味嗜好がここにきて繋がったのだった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でも僕は本が好きだし虫がいると時たま足を止めて観察してしまう。
そして僕は高校2年生の授業選択で取り返しのつかない選択をすることになる。僕はその日文系への道、そして都会のキャンパスでの煌びやかな学生生活を自ら断ってしまったのだ。具体的に言うと文系進学に必須である古典を選択せず、全て理系科目を選択した。この事を後悔することはないが緑に囲まれた教室の窓から夕焼けを眺めていると、ふと文系に進学していたらどうんな生活をしていたのだろうと考えてしまう時がある。
そうして理系まっしぐらな高校生活が始まったが、ここで一つ問題点が浮かび上がった。そう、僕は数学が壊滅的にできないのだ。理系と言えば数学というイメージがあると思うが、文系の方は僕のような哀れな理系がいることも忘れないでおいて欲しい。そしてどうか理系だからと数学について質問をするのをやめてあげて欲しい、文理に関わらず僕たちは同じ人間で同じ構造の脳をサッカーボールほどの頭に抱えているのだから。
そんな僕だが筋金入りの怠惰人間だったため、目の前に崖が迫ってくるまで努力というものができなかった。そして事実として崖は着実に迫ってきており、生憎僕にはその崖を飛び越えるほどのバネもなかった。しかし僕も怠惰の代わり、あるいはそれを補うために獲得した能力があった、それが大体のことは本当のギリギリで乗り越えられるというものだ。イメージとしては崖ギリギリで捕まりよじ登るといった感じで合っている。つまり僕にとっては崖から落ちてからがスタートなのだった。ちなみに冗談ではない、事実僕は進学に2回で最低60点必要なテストの一回目で16点を取っている。
ようやく崖から落ち始めたのだが、やはりここからが僕のスタートだった。
僕は夏休みに必死で(?)勉強し、2回目のテストで43点を取ることに成功した。これで一安心だ。

算数ができる方ならお気づきだろうが、1点足りていない。そうして僕は内部進学の特権である自由気ままな春休みを補修という形で消費することになったのだった。
ここまで僕が大学に入学するまでの出来事について話してきたが、ここで本題である相模原キャンパス、通称〇山学院工業大学について触れていきたいと思う。
結論から言うととても満足している。元来友人以外の騒がしい声が苦手な僕にとって相模原キャンパスはまるで天国のような場所だった。静かで、緑豊かで、それでいて建物が綺麗。文句の付けようがない。ただ一つだけ挙げるとするなら、ちょっと遠いというところだ。1限に遅刻しないためには7:20分に家を出る必要があり、5限まで講義がある日は帰るのが21時を過ぎてしまう。
しかしこれには良い面もある、それは通学時間という必然的に生まれてしまう時間を活用できるという点だ。というのも僕が小学校の時に沢山本を読めたのがこの通学時間のおかげなのだ。実は僕の小学校は実家からかなり離れたところにあり、通学には1時間半を要した。往復にして3時間である。この時間で小学生の僕は本を読み漁っていた。
今僕は小学校の時と同じように通学の電車の中で本を読んでいる。変わったことと言えば本が紙から電子になったことと、読む本のレベルが少し上がったことくらいだ。今日も明日も僕は京王線に揺られながら本を読む。
本当に、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。


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