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マコなり社長から10代へのメッセージを30歳としてどう受け止めたか

【誰も教えない】日本の10代全員に伝えたい残酷な真実

昨日は深夜にこの動画を見て眠れなくなりました。将来のことを考えても漠然としたイメージしか湧かない10代の間にはなかなか知り得ないことなのに、知っているか知らないかで将来を大きく左右される、そんな「残酷な真実」のお話です。

今日もあの動画のことを考え続け、たまらなくなって仕事場での休憩時間にこの文章を書き始めました。勉強のこと、部活動のこと、学校行事のこと、人間関係のこと、進路選択のこと、そうしたテーマではやはりどうしても自分のことと比較して考えてしまいます。そこで以下では動画の中で特に印象に残ったところをピックアップしつつ、実際に過ごした10代を振り返ってみます。

1. 部活動のこと

就職活動において厳しい部活動で頑張った経験は実績がないと評価されないというのはおそらくその通りでしょう。特に秀でた成績やユニークな実績がない限り就職活動の場面で部活動のことが評価されることはまずないだろうと思います。

新卒採用への応募だとか、それ以前のインターンの応募で自己PRする場面がありますが、特に部活動での実績のない私は部活動のことを一言も書けませんでしたし面接で話すこともありませんでした。

そうは言っても他に話すことがあって就職できたのだからノープロブレムです。基本的に部活は将来の就職のためではなく好きでやれば良くて、意義があったと自分で思えるなら意義があるような世界だと思います。この点で私は後悔していません。

それにある意味就職活動以上に実用的なこととして私の場合は野球部でのランニングと陸上部の中長距離走で培った心肺機能と足腰が旅先(特に海外)だとか自宅と最寄り駅との間などで計り知れない恩恵をもたらしてきたのでそれはそれで良しと捉えています。

2. 学校行事のこと

学校行事を頑張らない人は成功しない。これが今回の動画で最もハッとさせられたところです。言われてみれば確かに全校行事は勉強や部活動よりはるかにビジネスに近いイベントでした。

世の中の仕事でイベント運営や裏方の仕事なら繋がりがイメージしやすいですが、その他の業種でもプロジェクト型の仕事なら同じことが言えると思います。学校行事でいう本番の日はビジネスにおける納期であり、途中の過程には企画・チーム編成・計画作り・渉外といったビジネスっぽい要素がたくさんありました。

そしてチームの中ではやる気の温度差があり、自分の好みを押し付けたがる人や勝手な行動をとる人もいたかもしれません。そういった現場でリーダーとか運営側の役割に就いたことのない人は、やったことのある人が10代で経験する失敗を30代になってやらかすとマコなり社長は言います。

その失敗とはおそらく「立場や考え方の異なる人、普段は仲良くしていない相手とコミュニケーションをとって協力し合わなければならないところで相手の信頼を得られなかった」という種類のものだと推察します。そのような失敗を私は10代の頃の学校行事と、20代後半の会社員生活の中で少しずつしました。学校行事に対してはいつも燃えたわけでもなく、反対にいつも非協力的だったわけでもなく、偏執な感性ゆえ突き動かされる要因があった時だけ熱心だったような記憶があります。

3. 進路選択と大学生活のこと

偏差値の高い大学に行った方がいい。なぜなら第一に大学に集まる人間が優秀だから、第二に就職で有利だから。

これはね、、、本当残酷な現実ですよ。詳しくは動画で語られた通りです。全くその通り過ぎて特にコメントできることがありません。

それよりも自分の大学生活について書きたいと思います。

私は志望先をなかなか決められなくて、ようやく出願の数週間前になって物理学科に絞って受験しました。この選択自体は自分でも不思議に思うほど素晴らしかったと今でも思います。物理学は偉大な学問ですから。

大学自体も悪くなかったと思うけれど選び方がダメダメでした。必死に勉強しなくても今のペースで進めれば合格できそうなところに出願して入りました。そして入った後には徐々に堕落していきました。

学生の本分であるところの勉強はどんどんしなくなり、最終学年(B4)だとかその後の大学院博士課程前期(M1, M2)は授業もゼミもほとんど内容が分からなくてとにかく悲惨でした。かと言って趣味に打ち込むことも、大いに遊ぶことも、一生の親友に出会うことも、ビジネスに手をつけることもなく卒業のために最低限のことをして単位だけ取り、それ以外はゲームやアルバイトに時間を費やしてしまいました。

本当あの数年間は大学に通う価値のない存在だったと今でも思います。「いやいや自分自身に優しくなって肯定してあげなさいよ」という自己肯定とか自己共感といった考え方もありますが、肯定すべきなのは人格とか個性です。日々の時間の使い方だとか大事な場面での選択は容赦なく厳しい評価を下すべきでしょう。本当に無価値な過ごし方でした。

あの大学時代の過ごし方は結局20代全体に渡って影響を及ぼし続けたと思うし、そうなると一生涯影響は残るのでしょう。しかしそうであっても現実を、自分自身のちっぽけさを受け入れて次の行動を変えることはできます。私は卒業と就職の2ヶ月くらい前になって初めてそういった発想を持ち、なんでも謙虚に学んで経験しようと決めて社会人生活をスタートしました。

もっと早くにこの認識を持ちたかったとは言いません。可能性の話をするなら「これと同じことを10代の頃に知っていたら大物になれた」と主張することもできるでしょう。しかしそれは反証のできない主張であり、そもそもそんなことを考えても何のためにもなりません。

本当に意義深い話ならば今聞いても次の瞬間の行動に活かせる、そのような発想を持って今を生きています。だから毎日勉強や読書をするし、考えたことをこうして文章にしています。ここから先は違った話になるので別の機会の書きましょう。おやすみなさい。

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