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アツイ

初めての海外旅行のことを思い出す。

2012年、当時私は29歳。タイの観光を終え、友達に見送られ、スワンナプーム空港の免税店エリアにいた時のこと。

目の前にいたターバンに民族衣装を纏った男性を見て(本当にこういう人いるんだ、カッコイイ)と衝撃を受けた。

そして、無知な私は、彼らを“中東系”と思い込み、翌翌年の2014年にヨルダンを訪れるまでその間違いに気づかなかった。

私がカッコイイと思っていたのは、中東系ではなく、インドに多く住むシク教徒であった。

“会いに来たぜ!シク教徒”
2016年、私はシク教徒の聖地と言われる、インド・アムリトサルに降り立った。

右を見ても左を見てもシク教徒。前を見ても後ろを見てもターバン男子、たまに女子もいる。

シク教徒の総本山、黄金寺院の敷地内に入ると、黄色や青、オレンジ色の衣装に身を包んだ番人がいる。超絶ポップなのにそれがまた似合う。

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また黄金寺院の敷地内には、修行という名目のもとで無料で宿泊できる施設(要お布施)が存在することはバックパッカーの間で有名な話だ。私も例に漏れず、こちらで宿泊させてもらうことにした。

さらに黄金寺院の敷地内の食堂では、無料で食事が提供される。これはシク教徒達(ボランティア)によって作られたもので、作っている光景、皿洗いの様子も見ることができる。

「聖者たちの食卓」というドキュメンタリー映画作品にもなっているこの光景を実際に見ていると、インド料理のすごさを感じることができる。いかに多くの野菜を使っているか、あのおいしさにはこんな野菜が含まれていたのかなど、手際の良さにも感服する。

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至れり尽くせりの黄金寺院だが、2泊していると「君はいつここを出るんだ?」と若干プレッシャーをかけられた。というのも、パキスタンのビザ待ちで、何もせずここにひたすら居座っているバックパッカーもいるので、私も同類に思われたのかと感じた。「今日の夜に出発します」と答えた。

夜出発と言えど、"夜道・1人トゥクトゥクが怖い"私は、夕方には駅へ向けて出発した。

無事に駅に着いて、時間が近づいた頃合いで駅員に「ホームはどこですか?」と聞くと「ハリドワール行き?キャンセルになったよ」と言われた。インド再入国から48日目、電車のキャンセルは初めての出来事である。

駅員に言われるがままに、チケットの払い戻し窓口に並ぶ。割り込み当たり前。我先にの戦争がスタートである。ようやく自分の番が来たと思ったら「用紙に必要事項を書いてから並べ」と言われる。「そんなの知らないし。何で誰も教えてくれないのー?!」とごねていると、見かねた隣のインド人が書き方を教えてくれて順番に入れてくれた。私は情けないover30の日本人女である。

やっと払い戻しが終わり、またアムトリサルに泊まらなくてはいけない。何も情報はないのでまた黄金寺院に戻ることにした。

黄金寺院に戻った翌朝、改めて電車のチケットを手配するが、当初行く予定だったハリドワールはやめて、早めにデリーに行き次のフライトに備えることにした。

黄金寺院にはまた2泊し、その次の日の夜にデリー行きの電車に乗る予定だ。

ところが、デリー行きの電車に乗る日の朝のこと。
いつもながら、黄金寺院を囲む池の周りを時計回りに散歩していた私。(なんかフラフラするのは気のせいかな。暑いからかな。眠いなぁー)と思っていた。部屋に戻り、ベットに横たわるとしばらく寝ていたが、ふと首を触ると(熱い!)熱がある。しかし、電車のチケットはとってあるし、なんとしてでも今日デリー行きに乗りたいと思った私は、その後も水分をとってはひたすら寝続け、汗を出し、なんとか電車の時刻には復活した。

熱の原因は不明だが、私の予想だと原因は"デリー"。
私はデリーに行くことをずっと恐れていた。できれば行きたくなかった。しかし、次の国キルギスに行くにはデリーから行くのが一番安くて行きやすいから止む負えずに行くのだ。

なぜデリーが怖いのか。おそらく"騙しのメッカ"だからだ。
聞いた話だが、「初インド、デリーの初日で100万ぼったくられた」なんて話もある。同じ被害に遭えば、私の旅も終わる。

そう思いながらも、デリー行きの電車に乗り込むのであった。

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※2016年10月2日~6日 インド・アムトリサル
「Over30女子バックパックでアジア周遊」

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