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佐藤、公務員を辞めるってよ

退職しました〜前編


3月31日付で、19年間お世話になった栃木県那須烏山市役所を退職いたしました。

若僧のころから社会人として成長させていただいたのは、市民の皆さんと、職員の皆さんのおかげだと思っております。
#成長してないかも

〜ここから自分がたりですけど準備はいいですか?〜

烏山を面白いまちにしたい

こんな中2病っぽい旗印を、リアルな中2ごろから掲げていた佐藤少年。花立のエースとして、同級生たちと誓ったこの約束を果たすにはどうすべきか、ずっと考えていました。
#境小、境中=花立
#当時の境中は約40人2クラス
#だから全員エース
#当時はまだ烏山町

約20年前。私が社会人になる頃は、地域づくりというか、まちづくりというか、地域振興というかは行政の仕事で、バブル崩壊後の民間企業にはその余裕は当然ありませんでした。であれば「おもろいまちつくる=行政!」と思い烏山町役場に拾っていただきました。
#就職氷河期
#旧烏山町役場採用
#縁故採用

入庁すぐ市町村合併があり烏山町→那須烏山市になりました。携わった業務は、税務、農業行政、広報、県庁にも出向させてもらいました。地域振興や教育委員会にも携わり、行政の良し悪しをたくさん見させていただきました。


印象的な3.11

東日本大震災当日、農政課に所属しており、地域のリーダーになりそうな方達とともに高知県の視察に行っていました。14:46の瞬間には四万十町にある「道の駅四万十とおわ」で、当時運営していた四万十ドラマの話を聞かせていただいていました。

やっぱり畦地社長の話は印象的でしたね。烏山と同じようなローカルで、農協から飛び出してビジネスで地域を変化させていく方法にワクワクしっぱなしでした。
#四万十ドラマの紆余曲折は聞いています
#みなさんお元気でしょうか?
#その節はありがとうございました

ここからがまた大変で「東北でものすごい地震があったみたいだ!」という情報が入り研修は中断。道の駅でテレビをつけていただき、仙台空港が津波に飲まれていく様子や、堤防を走る車が津波から逃げていく様子などが映し出され一同アワワアワワしていました。

那須烏山市の方は、当時娘が生まれたばっかりの妻から「実家に避難します」っていう連絡と、職場の先輩から「今県庁に出張してるから、戻って状況わかったら電話する」っていう連絡があったっきり、その後は栃木の情報が遮断されてしまいました。携帯電話の基地局が停電すると繋がらなくなるなんて想像もしていませんでした。
そして、正直、烏山庁舎はボロいので倒壊して、みんないなくなって居たらどうしよう、南那須庁舎のみんなで新しい組織作らなきゃいけないのか、なんて思っていました。
#変な想像してゴメンって
#実は揺れは未経験

当日は、すでに飛行機も取れないし、東北自動車道が不通になってしまったようだとのことで、行程どおり翌日の夕方の飛行機で戻ることになりました。空港に迎えに来てくれたバス会社さんの確認でやはり東北道は走れないことがわかり、関越道で群馬方面、足利経由で国道50号を通り新4号をつかい那須烏山市に戻って来ました。
#羽田空港だったような
#バス会社さんグッジョブ

たしか、3.11当日は金曜日。で、土曜の深夜に帰宅し、「動ける人は水道庁舎集合」とのことで行ったところ、停電している庁舎内でペンライト片手に翌日からの給水車の配置計画を検討、翌日から実施することになっていました。
#この辺の時系列があまり記憶ない
#激動すぎて

課長や課長補佐たちが、必要なことを情報収集して、今集まったメンバーで実行していくのは簡単なようでなかなか出来ることではないし、遅いと批判されることも多いけど、周りとの調整などを済ませながら組織的に進めていくのは本当にすごいと思いました。
#フェラーリじゃなくてブルドーザー
#2人乗りで早く行くのではなく
#みんなが通れる道をつくる感じ
#市役所も頑張ってるから批判は無しよ
#だれでも褒められると頑張れるでしょ

ー自分語りは後編へ続くー

この先徒然なるままにセンシティブなことを書きます

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