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「写真集の写真展。」終わりについて考える

写真家、幡野広志さんの写真展に行ってきた。

私はTwitterもInstagramも性にあわずやっていないのだが、唯一Facebook以外で続けているnoteで幡野さんの記事を見つけ、去年から写真展にお邪魔するようになった。

写真家であり、元狩猟家であり、がん患者である幡野さん。2017年末に、多発性骨髄腫という血液ガンの一種であることを公表。余命は3年と言われている。


今回の写真展は、幡野さんが20代半ばから30代半ばにかけて制作された三作品「海上遺跡」「いただきます、ごちそうさま。」「優しい写真」から、それぞれの写真集に納まりきらなかったカットを中心に展示されている。

私が一番好きな「優しい写真」は、息子である優(ゆう)くんに向けて撮られた写真だ。


「ぼくは息子のことを愛していた事実を伝えるために、写真を撮っている。君に伝えたい、ただそれだけだ。」 - 作品展「優しい写真」より


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写真を見ながら、写真とは何か、生きるとは何かを考えさせられた。そうして、とある出来事を思い出した。


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神奈川に住む父方の祖母は、私が高校生の時に失語症になった。その名の通り、言葉を読んだり書いたり聞いたり話したりすることができなくなる病気だ。

見舞いに行った病室で、周りの家族はこう言った。「それでも生きていてくれて良かった」。私はそう思えるほど、大人じゃなかった。


そんな祖母の一人息子である、私の父が亡くなったのは、去年の春。突然のことだった。

父とは疎遠だったから、寂しいかと言われると、正直なんとも言えない。母から、「お父さんが亡くなった」と聞かされたとき、「誰の?」と聞き返してしまったくらいだった。

だけど不思議なもので、「もういない」と言われると、心のどこかでその姿を探してしまう。「もう話せない」と知ると、祖母と話したかった出来事がどんどん出てくる。

何もかもがもう手遅れだった。


もう同じ後悔はしたくない。富山に「今」行くことを決めたのは、そんな理由からだった。そこに行けば、母方の祖父母に会える。今年で米寿を迎える祖父は、遠出することはできないけど、普通に笑って暮らせるくらいには元気だ。

今ならまだ間に合う。元気がなくなってから会いに行っても、もう手遅れなのだ。


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写真展の壁には、鉛筆でメッセージが書かれていた。

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「自分が長く生きられないことを知って、はじめて写真を撮る意味と本質を知った」


病気になって可哀想だと、一般的にはそういわれるのかも知れない。私はご本人ではないから、その苦しみは想像することしかできない。たぶん1%もわかっていない。けれど写真をみていて思う。終わりを知っていることは、本当に不幸なのか。


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心を揺さぶられたはじめての写真展だった。今週末までやっているようなので、気になる方は表参道か京都へ。

幡野広志 写真集の写真展。


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