あっと
夏季休暇が終わる。即ち、夏の終わりである。 …とまで言うと大袈裟だけれど、とにかく自分の中でひとつの期間が終わる。大したことはできなかったなとか、明日会議あったっけなあ嫌だなあとか、気持ちが後ろ向きになる。ただ昨年に比べれば、「まあいっか」と言える夏だったと思う。昨年の夏は体調を崩していたから。 先月友人と会った時、「夏は好きか」と聞かれた。いま考えると、昨年といい高校生の頃といい夏は低空飛行の時期で、あまり心身の調子が良いとは言えない季節かもしれない。しかしまあ、先月
追い詰められないか心配な先輩になんと言ったら良いか、いや言葉は要らないのか、などと珍しく思案した残業時間中。
言わずもがな、有名な作品。 『特権みたいに傷ついた顔をされるのも癇に障った』という一文について考えています。 人はみなそれぞれに何かしらの傷をもって生きていて、お互いが完全に理解しあうことはできない。だって、僕はあなたではないし、ほかの誰かでもないから。 そんなこと、多くの大人はわかっているはず。わかっているはずだけれど、実際のところ、これまた多くの人が「自分にしか無い傷」を振りかざされ、傷ついているのだと思います。 僕は家庭不和の友人に拒絶されたことがあり
話題作『コーヒーが冷めないうちに』とは全く関係ない。 先日夜更けまで仕事があった日、同僚にコーヒーを飲むかと聞かれて断った。前部署にはコーヒーサーバーがあったので毎日昼食後に一杯飲むのを習慣にしていたが、不眠を改善したくてやめた。前部署での出来事をあまり思い出したくなくて遠ざけているところもある。 前の部署から今の部署への異動が珍しいため、僕は好奇の目に晒されているらしい。どうしてウチに来たんだ、とは4月に何度も聞かれた。しかし僕がのらりくらりと適当な事を言い続けたせ
久々の通院だった。 僕の主治医は淡々とした人で、患者目線では合う合わないが分かれるのかなと思う。僕は気にしないので、初診の頃からこの先生のところへ通い続けている。ところが、最近この先生がちょくちょく笑うのだ。今日も「まあ、マイペースでやっていきましょう」と言いながら、一度笑顔を見せた。 僕は元から割とマイペースな性格だ。のんびりしているとか自由な人だとか言い方は色々あるけれど、「要はわがままなのだ」と嘗て親戚に言われた。今だって直接言われないだけで、周りからはそう思わ
職場の机上が穏やかでない。 …いや、机の上が散らかっている事について真面目に嘆きたいのではなく。 いま頼りにしている先輩がいなくなると、 僕の仕事は回らなくなるのではないかと思う。 ・捨てた覚えのない書類をすぐに見失い、 ・すぐ話を聞き漏らし、 ・雑務については締切どころか存在そのものを忘れ…etc というとんでもない後輩の僕を、サラッとフォローしてくれる。しかも本人にはあまり自覚が無いらしい。 「あっとさん出張の記録打ち込んだ?」 「あっとさん次の会議◯◯室」 「僕の
試験が控えているのに、 どうも気持ちが乗ってこない。 そんな最中 恩師から連絡が入った。 以前体調を崩した時に会って以来ご無沙汰していたので、気にかけてくれた様だ。 「とりあえず復活した様で何より」の文言を見てすぐに、 「ご無沙汰していてすみません。生きてます」と返した。 「試験が控えていますが、気持ちが乗りません。励ましてください。」と続ける。もちろん、乗り気でない理由というか、事情も添えて。 恩師は「乗ってない方が余計な緊張もしなくて良いんじゃないか」なんて笑いつつ、
子どもたちは、何を思って日々生き抜いていたのだろう。 空襲の明けた後、親を探し続ける子ども。 雨の中立ち尽くす子ども。 直接戦場に居なくとも、子どもたちの目は各々が戦争の悲惨さを映し出す様です。そして岩崎さんは彼らの感情の機微を敏感に感じ取って、絵に残す。そんなお仕事の繰り返しによって生まれたのが、『戦火のなかの子どもたち』なのだろうなあと思います。 赤いシクラメンの散った後も岩崎さんの心の中から消えない「小さなお友だち」は、どこに新たな居場所を得て生き続けるのだろう。
おれはティラノサウルスだ。 近所の図書館で「懐かしい!」と手に取った1冊です。 と言いつつ内容はほとんど覚えていなかったので、せっかくだし…と借りてみました。有名なシリーズだから、ご存じの方も多いのかな。 ✳︎✳︎✳︎ 互いを思う優しさがすれ違ったまま終わってしまうなんて、残酷で切ないですね。幼児向けの絵本の中で「すれ違いをすれ違いとしたまま終わる」お話ってそう多くは無い気がしているので、尚更胸が痛みました。誰もが心の奥底に(多かれ少なかれ)抱えていそうな傷だな、な