見出し画像

技術営業職と表現の自由 (自己紹介)

私は、香川県でPCの修理業を営んでいる。現在は、主に、請負契約に基づき、法人や個人を訪問してPCの修理を行うフィールドエンジニアとして稼働している。

フィールドエンジニアは、ICTエンジニアの中でも特に顧客に近い立場で業務を行う。このため、様々なスタイルの業務や生活を営むお客様と関係を持つ。人工知能(AI)やクラウドコンピューティング環境がどれほど発達しても、それを稼働させているものはコンピューターなので、オンサイトでそれを保守するフィールドエンジニアは、しばらくの間この世から消えることはないと思う。

noteX(Twitter)を見ると、ゲーム行動症(ゲーム依存)のことばかり掲出しているが、これは四国新聞社や香川県議会が悪い。“後述すること”をやらかしたからだ。しかも、散弾銃で使う弾丸のごとく、関連事項をあちこち当たりながら結論に導く文体を好むので、“後述すること”に関する時事に対していろいろな所感を掲出するには、SNSでは相性が悪いことは分かっていた。それを踏まえてSNSでアンケートを募った結果、noteを使うことになった。

本当は、ゲームやコンピューターやサイクリングが好きなだけの男性なのに、なぜこうなった…

その背景を、これから綴る。5~7分ほどお付き合いいただければ幸いだ。


フィールドサービスの業務で見るものは

フィールドサービスの業務ゆえ、お客様先を訪問し、トラブルが発生したお客様のPCを直接見て修理を行い、場合によってはOSの再インストールなどソフトウェア関連の作業を行う。私が現在契約している請負業務の場合、PCのメーカーは同じだが、同じ運用環境は1つとしてない

Windowsに限れば、Windows 8系で全面採用された、タッチ操作を意識したユーザーインターフェースは、OSがバージョンアップするにつれて、従来の「キーボード+ポインティングデバイスでの操作が前提」のものに揺り戻しされた。しかし、すべてのユーザーがキーボード+ポインティングデバイスでWindowsを使っていることはない。タッチパネルがPCに普及し始めたWindows 7環境下で、キーボードとマウスを外してタッチパネルだけでPCを操作するお客様も実際にいらした。
「PCはキーボードとポインティングデバイスで操作する機器」自体が、ただの思い込みであることも、この業務で知った。

もちろん、ハードウェアだけではなく、ソフトウェア的な運用環境にもそれは言える。壁紙だけ挙げても、個人の場合、某機動戦士やモーターサイクルといった趣味全開のものから、視覚的に際どい服装を纏った若い女性の写真が設定されていることもある。システム面でも、特に法人の場合は、リモートデスクトップで入った仮想マシンが実作業環境だったり、ローカルグループポリシーエディターによりレジストリーはおろか設定にもコントロールパネル内の項目にも徹底的なアクセス制限をかけ「絶対にユーザーにシステム設定を弄らせない」情報システム部の意思が顕現していたりする環境は多くある。

アドバイス:PCの管理者およびユーザーパスコード、そして、BitLocker回復キーは、修理時に事実上必須なので、修理にかかる時間を短くさせるうえでも、(情報システム部/担当者から)迅速に照会できる体制を常日頃から整えておくことをお勧めする。


当然だが、PCの運用環境は、お客様がPCでしたいことを実現するため、お客様の意思に基づき自由に構成されるものだ。
フィールドサービスの業務に就く人間は、それがマシントラブルや情報セキュリティーの脆弱性を招くものでない限り、必ず尊重しなければならない。それを弄ることは、修理工程で避けられない場合を除き禁忌だ。それらには、外観的にもシステム的にも自分の志向や操作スタイルに合わないものがある。それでも、前述の「禁忌」に従い、お客様の「PCのカスタマイズに関する選択肢を自由に行使した産物」は、尊重し受け入れないとならない。換言すれば、それらを見下したり蔑んだりする行為をしてはならない。その行為を実行して待っているのは、クレームだ。

だから、PCの外の環境についても、原則として一切の偏見を入れない。
個人のお客様の場合、その環境は多彩で、某海賊漫画などお客様の推し作品のフィギュアや模型で占拠されたものから、練習用カットウィッグで棚が埋め尽くされた部屋もある。後者は、模型とはいえ人間の頭部がずらっと並んでいるので視覚的なインパクトは抜群だ。だが、それらを見て頭の中で抱く私見、特に不平を公言してはならない。
PC環境と同じく、不平を出せば、やはり、待っているのはクレームだ。

アドバイス:PCのフィールドエンジニアが業務を行うには、電源が確保でき、かつ、一定の広さを持つ平坦な場所が必須となっている。この条件については、事前にPCメーカー担当者から説明があると思うので、条件に従って事前に準備いただけると幸いだ。準備ができない場合、修理サービスが受けられないことがある

つまり、「業務の遂行に支障をきたす客観的、かつ、誰もに説明責任を果たせる事由」がある場合を除き、お客様環境はすべて尊重することが、フィールドエンジニアが守るべき不文律の1つとなっている。
その業務姿勢の特徴から、フィールドエンジニアは、「表現の自由」の何たるかを自然に学ぶこともできる仕事ともいえる。
なぜそう言えるのか。それは、業務外の世界で起こっている「表現の自由」関係の時事に対する捉え方に、前述の「不文律」が当てはまるからだ。

業務外の世界に目を向けると…

その業務外の世界では、視覚的に際どい若い女性のゲーム内キャラクターが配された駅広告に「女性を侮蔑している」と公然と不平を述べた女性の元政治家がいたり、乳房が相当に大きい若い女性に焦点を当てた、性犯罪を幇助するほどの性的刺激とは縁のない日常コメディー系漫画の女性の登場人物を基にした新聞広告に「女性を侮蔑している」とフェミニズム団体がクレームを入れたりするなど、表現の自由の問題に関する時事が起こっている。しかも、それは、最近目立ってきている

ここで考えていただきたいことは、広告や漫画などに登場する女性の表現は、すべて、その作品の出版社および広告出稿会社による厳しいチェックと、それに基づく修正を経て世に出ている事実だ。それでも、個人的な不平が出ることは避けられない。あらゆる作品において、すべての人間を満足させるものはこの世にないからだ。
なお、女性の表現を誰もが認める形で制限させる存在は、人が性犯罪を犯すレベルの性的刺激を噴出する女性の表現の基準を定めた、どの国や人に出しても通じる、確証の取れた科学的根拠だけだ。本稿執筆時点でそれが世界のどこにもない以上、問題視のうえ議論されたとしても、決定性のない結論しか出ないのが現状だ。

それを抜きにしても、クリエーターは、作品制作を介して、意図するか意図としないかにかかわらず、人間の心の奥底のさらに奥底に眠る、本人すら知らない心の機微を掘り起こすことがある。『すずめの戸締まり』は、その端緒な例だ。具体的な内容は伏せるが「思い出したくもないあの大震災の記憶を、怪物が暴れてそれを鎮める安っぽいファンタジーとしてほじり出すな」旨の鑑賞者の不平不満は、この作品の作者である新海氏には想定内のことなのだ。

たった1人の人間による、人の心の奥底の奥に眠る気持ちの解釈が、皆にとって心地よいと保証できるものはない
それは、PCの運用環境においても、ある人によっては余計なものだが、ある人にとってはその機能がなければPCが使えなくなる事象と同じだ。PCの場合は、情報セキュリティーを脆弱にしたり、トラブルを招いたりするものでない限り、その評価は個人の域を出ない

ここで、フィールドエンジニアの業務と創作表現における「制限」「表現物」の内容を比べたい。すると、言葉や言い回しが違うだけで、骨子は一致していることがわかると思う。

[ 創作物 ]
創作物の表現を誰もが認める形で制限させる存在は、人が犯罪を犯すレベルの刺激を噴出する表現の基準を定めた、世界のどの国に出しても通じる、確証の取れた科学的根拠だけ
・表現物に個人的な不平を持たれることは避けられないがそれを皆が持っていると公言してはならない

[ フィールドエンジニアの業務 ]
・業務の遂行に支障をきたす客観的、かつ、誰もに説明責任を果たせる事由がある場合を除き、お客様環境はすべて尊重する
・お客様環境に個人的な不平は持ってもよいがそれを公言してはならない

技術の発達が目指すもの

PCの操作環境という点では、障碍をお持ちの方がユーザーであるそれは、初見で見る人の常識を粉微塵に砕く。画面のカラーパレットがハイコントラスト基調だったり、音声入力のみ、あるいは、超迅速なキーボード操作のみでオペレーションをしていたりするからだ。それらは、一度、ぜひその目で見ていただきたいと思う。

彼ら彼女らは、技術が進化したことによる、画面内の操作構成要素の自在な縮小拡大及びカラーパレットの変更や、音声認識処理を使ったコンピューターの操作や、自然言語処理によるディクテーション機能を、自身の世界を拡げ、人生を豊かにするために使っている。
しかし、これらのアクセシビリティー支援機能は、OSにとって本来余計なものだ。当該機能の実装と稼働だけに、有限の貴重なコンピューター資源を割かなければならないからだ。だが、PC向けOSにおける当該機能は、充実されこそすれ削られてはいない。障碍をお持ちの方にとって、当該機能が顧客の人生を支える基盤になることを、Microsoft社やApple社は十分承知しているからだ。

ICTをはじめとするテックの世界では、お客様というユーザーができること、すなわち、ユーザーの表現内容の拡張と深化を担うために、今も技術が研鑽されている。個人なら、より簡単な工程でより高品質な作業の成果を出せること、法人なら、その業務の質の向上とコストの省力化を達成し、より高次元のビジネスを行うこと、への支援だ。
すべてのICTエンジニアは、ICTというテックの発展とサポートを担うことを介して、お客様の可能性を、お客様とともに育て、良い方向でそれをより多く引き出すために業務を行っている。その意味では、テックの世界で「可能性を広げること」とは、それを使うお客様の行く先の世界を覆う、闇を照らす太陽となることともいえる。

だから、表現の自由を尊重している

テックの世界以外の「製品」でも、上記の考えは当てはまる。
実際、この創作物や製品があったから窮地にあった当時の自分が救われた、生きる勇気をもらえた、今の仕事に就く原動力となった、という方もいらっしゃるだろう。これらの例が示すように、創作物の表現の選択肢や製品の選択肢とは、自身にとってより高品質の娯楽を享受したり勉強や業務を行ったりするため以上に、ひとの生きる可能性を支援するために存在するものでもある。これを拡張解釈すれば、ひとがよりよい人生を送るために選べる手段の多様性を実現するものでもあるのだ。

「表現の自由」の適用範囲は、漫画やアニメーション、ビデオゲーム等のいわゆるサブカルチャーに限らない。書籍などの著作物全般、建築などのプロダクトデザイン、ファッション、講演、報道、演舞、会話の内容など、ひとが行う仕事や社会的活動のほぼすべてに適用される。これが不当な事由で制限された国で何が起こっているかは、報道を通じて知ることができる。

焚書によって、LGBTQの人への誤った認識と迫害が幇助される

服装の自由がない国では、アクセサリーの纏い方のミスだけで命が奪われる

上に挙げた例からもわかるように、表現の自由を法で保障することとは、ひとがよりよく生きるための選択肢の多様性を法で保障することでもあるのだ。

…それらの背景があり、私は、今、故郷で制定されたネット・ゲーム依存症対策条例に対しては、報道を介して叛意を公表し、改廃のために活動している。

下の記事における「2人」のうちもう1人は、私

この条例では、先述した未成年の障碍者のICT機器の利活用をも、非科学的な理由をもって不当に縛っているからだ。私は、フィールドサービス業務を通じ、その現場をその目で見ている。ICT機器の運用に込められた、ひとの(違法でもないうえに健康も損ねない普通の)自己表現を、ひとのよりよく生きようという意思を、信頼性の高い客観的な根拠も乏しい不当な事由で制約してよい道理など、政治に携わる者は永劫に持つべきではない
職務を通じてそのように考えるに至ったゆえに、かの条例に叛意を抱いている。

表現の自由を守ることとは、ひとがよりよく生きるための選択肢の多様性を守ることでもある。社会に生きるひとにとって表現の自由が奪われることとは、生物にとって太陽が奪われることと同義である。

-私はそのように認識しており、それがブレることはないだろう。
フィールドエンジニアの業務を通じて得ている実経験が、ブレることを許さないのだ。

だから、私は、表現の自由を尊重している。
下の漫画のコマのように恰好をつけなくてもよいが、イメージ的にはその意思を体現したものとなろうか。

出典:『DRAGON QUEST ダイの大冒険』

この記事が参加している募集

自己紹介

多様性を考える

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、関連コンテンツの制作費に充てさせていただきます!