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人生の選択はオセロの一手のよう


この大学、この学部に入ったことが成功だったと思える。だから、大学選びにつながるそれまでの高校、中学の選択も最高だったんだと思う。

そんな友人の前向きなツイートを見た。同じ学部にいる人間として、とても共感できた。共感して、頷きすぎて、首がもげそうだ。

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「未来の行為によって過去の捉え方は変えられるなぁ」を思うことが最近多い。

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」という作品の中でも、そんなセリフがあったことを思い出した。この小説自体は分量も多いし、内容も大人で、まだまだ僕には早かったな…と思いながら読んでいたことを覚えている。
その長い物語の中でもこのセリフがすごく好きだったので明確に頭の中に焼きついている。

そのセリフというのは、

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。
だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。
過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」


人生における選択は、オセロゲームの一手みたいだ。

それぞれの選択は常に「白と黒」「正解と不正解」の間で揺れ動いている。

一手一手は、その時に最善だと思う場所に石を置いていく。でも、ゲームが進んでいくと、ああ!そこにおかなければ良かった!って思ったり、一つの石で相手の黒い石を一気にひっくり返せたりする。一気にひっくり返したのを、また全部黒にひっくり返されることもある。

僕にとって今の大学に入ることができたのは、そんなオセロでいうと一気に6個くらい自分の色にひっくり返すことができた瞬間だ。前述した友人も同じ気持ちかもしれない。

正直、それまでの中学・高校は特別に恵まれているなと感じたことはなかった。中学も高校も近くにたくさんあったわけではないから、選択肢はほぼなかった。その選択は、たちまち黒にひっくり返されてしまうようなもの。
とまではいかないけれど完全な白とは言えなかった。
(もちろん、そこで出会った友達や先生はとても好きだけれど!)
それを白に変えてくれたのが、この大学への入学というわけ。


とはいえ、過去が変わるのはいい方向だけとは限らない。小説の中にあるように、「変わってしまう」とも言えるわけで、もしかしたら今後の未来によっては過去の選択が間違いだったな、と思う場面もくるかもしれない。

ただそんな時は、その黒になった出来事をもう一度、白にひっくり返すことができるはずだと信じていたい。そう信じることはやめないでいたい。

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まあでも、一つでも自分の色が多ければ、勝ちなわけで。
全部、白にしようと頑張りすぎる必要もないのかも。

オセロが終わった時に「全体的に見たら、白の方が多くなったなぁ」くらいで構わないから肩肘はらずに生きていきたいです。

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