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【マレー半島縦断記⑦】アユタヤが教えてくれたこと

 バンコクのTBSというバスターミナルに着いたのがお昼過ぎ。そこから街へ向かうためにバス停でバスを待つのだが、乗りたい番号が一向にやってこない。Googleで表示された5種類くらいのバスと、バスのフロントガラスの上に表示された番号を見比べる。電光掲示板などという高価なものはないため、バスが来てから確かめるしかない。しかも酷いのは、どのバスも二通りの番号があることだ。例えば6(21A)といった具合。この場合、フロントガラスには6と書いてあり、側面にやっと21Aという文字が見える。一度は普通に見逃してしまい、次の一便は人に聞いていたときに過ぎて行ってしまい、三度目の正直と思って乗りこんだら「別のに乗れ」と下ろされてしまい、結局1時間ほどの時間を浪費してしまった。ちなみにGoogleの提示した5種のうち1種しか登場しなかった。完全にキレた。死ぬほど暑かったけれど、歩き始めたら風を感じて、逆にマシに思える。距離的に進んでいるという気分の問題もあったかもしれない。

 途中でめちゃくちゃ大きなマーケットを見つけた。世界中のものがここにあるのではないか、というくらいの物量。どこかの夜市に売っているくだらない大量生産物ではなく、世界各国の様々なものが一堂に介していて、なかなか壮観だ。各店舗は専門性を持っており、絨毯屋、照明屋、家具屋、小物屋、といった具合で、それもこの場所の良さだ。ただ、観光客の多さと、圧倒的な物量に、少し目眩がした。ショッピングにからっきし興味がない自分にとっては、あまり心惹かれなかった。買い物が好きだったら、すごくおすすめな場所。

 やっと地下鉄駅に辿り着いて、31バーツかけて、ホテルから徒歩30分の場所に降りる。大きな橋を歩いて渡ったりと、とても大変な思いをした。バンコクの地下鉄は駅が少なすぎるでのはないか。市街地の便利な場所にホテルを取ったのに、こうまで苦労するとは思わなかった。

橋の下は昼寝の場

奴隷、特権階級となる

 ホテルに14:30くらいに着いて、チェックインをした。バスを降りる直前に予約した場所で、なんとプール付きだ。汗だくだったので、シャワーを浴びて一泳ぎしてみる。プールサイドの椅子はほとんど埋まっているのに、泳いでいる人は一人もいなかった。プールは泳ぐものじゃなく眺めるものなのだろうか。泳いでいる間、プールサイドでくつろぐヨーロッパの若者に、「プールで泳ぐなんてバカなアジア人ね」なんて笑われているような気がしてしまったが、めちゃくちゃに気持ちよかった。廊下の窓やプールからは、せっせと働くタイ人の姿が見える。それを横目にプールサイドで寛ぐ特権階級たち。19世紀から変わらない社会の縮図がここにあった。

高級リゾートみたいだけれど、ホステル利用なら結構安く泊まれる

 それでもう15時半くらいになってしまっていたので、身体を拭いて身軽にフラフラと街にでる。行きたいと思っていた美術館が16時閉館なことを今更知り、潔く諦めて翌日にまわすことにした。ホテルからすぐ近くの、川沿いの料理屋で鴨肉麺を食べる。出汁の味が良すぎて頬がピリピリと痺れる。一口目を食べてやっと、昨日の夜の惨めなカップ麺以来、何にも食べてなかったことに気づいた。なんでこんなにお腹が空かなかったのだろう?

料理屋の風景
ここにきてやっとご飯の写真が登場

 大きめのお寺があったので暇つぶしに入ると、瞑想をする信者たちの姿が。めちゃくそ暑いのに、微動だにせずに半目で坐禅を組んでいる。僕も真似して瞑想してみたら、10分と経たずに居眠りしてしまった。僕の居眠りを起こしたのは、坊さんが読み上げるお経の声。これは失礼なことをしたと、退散退散。

 街に再び戻って、マーケットをフラフラと歩いてみる。手持ち看板を掲げたマッサージ屋さんがやたら多い。僕がマッサージ屋さんを使うようになったら、もうこの旅行記が更新されることはないだろう、という気がする。僕とマッサージは、白米とコーヒーくらい接点がない。あと他にも、さそりの丸焼きをお盆に乗せて試食させようとしてくる人が大量にいた。それを見て、旅行者は一人残らず顔を顰めてNoと断っていた。どこに需要があるのだろうか。

 お土産屋を見物し、安い路面店でご飯を食べ、川沿いのテラスでタイのビール(大瓶)を飲んだ。一人で飲むには少し量が多かった。宿に戻って、サンドウィッチマンのコントを見る。「パパ友」というコント内で、富澤さんが便所サンダルを履いていることに突っ込むシーンがあって、少しだけ落ち込んだ。便所で履くサンダルを外で履いていることが、常識とずれているから笑えるのだろう。では、僕はボケているのだろうか?

「しかし世の中興奮することっていっぱいありますけども、一番興奮するのは、墓場に行ったときだね」
「間違いないね」

「The」 national museum

 朝起きて、またプールでひと泳ぎしてから、The natinal museumに向かう。英語を頑張って勉強してたときに、Theは唯一無二のThe、と学んだことがある。タイに国立美術館は(多分)多くあれど、一番すごい場所がここなんだろう。だから、タイとか、バンコクとか、明言する必要がない。

 名前の通り、展示品の質と量が素晴らしかった。宗教美術、それも立体系が好きな人には垂涎物の展示だ。10時に入場して14時くらいまで、いろいろ見てまわる。200バーツとなかなか高かったけれど、まあこの内容ならそうだろう。

仏像の手など
ガネーシャさん
めっちゃ小さなボタン(?)
なんか血迷って格言が書いてある
タイ語の仏教本
これらは、ほんのほんの一部
お寺の構造モデル
欠落の美

 少々辛すぎる豚肉炒めを、世界で一番美味しいバナナスムージーで舌を守りながら食べたあと、古都アユタヤを目指すことにした。

 まず、駅に向かうためのバスを探したのだけれど、昨日同様、待てど暮らせど、狙った番号のものがこない。加えて日陰もないため、ダラダラと汗が流れ落ちてくる。バスが来る度に携帯で番号を確認しているので、スマホもだんだん熱を帯びてきた。完全にキレた(二度目)。バンコクのバスなんて誰が使ってやるか。徒歩30分かかる地下鉄を目指すことにした。バンコクは思った以上に大きな街で、かつ地下鉄網があまり発展していないため、移動が思ったよりも大変だ。お金に余裕がある人は、タクシーを使うことをお薦めする。

 しかし、歩いている途中でそれらしい方向のバスがタイミングよくやってきたので、フアランポーン駅に行きますか?(もう地図を見せることはやめた)と直接尋ねてみたら、見事当たりだった。中には運転手の他に搭乗員さんがいて、行き先を聞いて徴収していた。エアコンが効いていてとても涼しい。

 フアランポーン駅は、バンコクの古いターミナル駅で、高いボールト屋根が作り出す気積がとても気持ちよかった。日本にはあまり見られないターミナル駅だけど、旅の始まり感があってとても好きだ。切符が冗談みたいに安くて、さっきの市内バスより安価だった。具体的にいうと、その後に車内で食べようと購入した、ダンキンドーナッツの1/4くらいの値段で乗れる。人はドーナッツを一個食べるお金で、バンコク-アユタヤ間を二往復できるのだ。

僧侶も利用する

 エアコンはなかったけれど、1時間半の列車はとても気持ちが良かった。バンコクを出ると途端に畑と田んぼが増えて、ポツポツとしか民家を見なくなった。そして途中から、線路に並行するように設置された、高速道路か何かの橋脚が大量に見えた。アユタヤ-バンコク間をより短時間で繋ぐのだろうか。田園風景に屹立するコンクリートが少し痛ましい。都市のスプロール化は急速に進んでいる。

これが出来上がる前に来られて良かった

日本人と知り合う

 アユタヤのホステルで日本人二人組と出会った。この旅で初めて遭遇した日本人だ。バンコクで日本語が聞こえてきたことは2度ほどあったけれど、話したのは初めて。ユウキさんとマドカさん、二人とも大学生で、休学中らしい。旅慣れしている感がすごい。ユウキさんのほうが、僕がチェックインをしているときに、日本人ですか?と横から声をかけてくれて、20分くらい情報交換(というか僕が一方的にアユタヤの情報を仕入れた)をした。

 カップルかと思いきや、二人はバンコクのホステルで出会って、行き先が一緒だからという理由で行動を共にしているらしい。そんな軟派な旅のスタイルもあり得るのか。僕には真似できそうもない。硬派に墓を巡ることだけで精一杯だ。(悔しいなんて思っていません)

「ラオスはいいですよ、みんな良いって言いますね。まだ経済が発達しきっていない部分があって、面白いらしいです。」

「今休学していて、一年くらい海外を回る予定です。社会人になったら自由な時間を取れないじゃないですか。」

「台湾にお住みなんですね、それならバイク必須ですよね。台湾の一人当たりの自動二輪保有台数は世界一なんですよ。」

 と、アジア滞在を始めて3ヶ月が経過しているユウキさんに、アユタヤの他にもいろいろ教えてもらった。フンフンと興味深く聞きながら、こういう人っているよな〜と思った。自分に自信があって、自身の行動と知識が正しいことを疑っていない感じ。ラオスを良いという「みんな」とは誰だろう?、社会人になったら自由な時間が取れない、は職種にもよるのではなかろうか?、保有台数世界一が正しかったとしても、バイク必須とイコールではないだろう。ニコニコしながら聞いて、こんなことを考えている僕は、性格が悪い。

 久々にこういう人と出会って、少しだけ疲れた。日本語でのコミュニケーションは、上辺だけになって、空虚に感じた。ので、外にご飯を食べに行くと言って、彼らとは別れた。教えてもらったナイトマーケットに行くと、雨が降り出してきて、多くの店が店仕舞いの最中だった。鶏肉のカツをぶら下げている店を見つけて、買おうか迷っていると、片付けを必死で進める店主からタイ語で何か言われる。どうしたものか、と思っていたら、隣にいた、お母さんと一緒に来ていた少女が通訳してくれた。

「彼女は家に帰らないといけないので、一つ40バーツのところを、全部(5つぶら下がっていた)買ってくれたら100バーツにまけると言っています。」

 そんなにたくさんは食べられないので、普通に40バーツで買った。こんなに小さいのに、綺麗な英語を喋る、賢い少女に感謝。しかも、「日本人ですか?」と軽く話しかけてもくれた。

 チキンを受け取って帰ろうとすると、お母さんの方から何か言われる。翻訳少女曰く「スティンキーライスを食べてみたいですか?奢ってくれるそうです」とのこと。コップンカーと笑顔で言って、彼女たちとは別れた。スティンキーという言葉にビビっていたけれど、日本のもち米に似たモチモチとしたお米が、座布団みたいな形のおにぎりになっているものだった。どちらもめちゃくちゃ美味しかった。

 お腹を膨らましたので、コンビニでビールとポテチを買って、ホステルの屋根付きテラスで一人乾杯。夜行列車でチェンマイに向かうという日本人二人を見送って、シャワーを浴びて寝た。別れ際に、「お名前を聞いて良いですか?」「お会いできて嬉しかったです」「またどこかで会えたら良いですね」と、スラスラと口に出てくる自分に少し引いた。一期一会を大事にするのは大切だけれど、思ってもないことも言えてしまうのはどうだろうか。いや正確にいうと、半分くらいは思っていることでもあるんだけれど…。自分を騙す感覚に似ている。日本語を喋っているときは、脳みそと口を別々に動かせる感じがする。彼らがこの旅行記に出会わないことを祈るのみだ。

古蹟散策の一日

 翌朝早めに起きて、暑くならないうちにお寺を巡ることにした。宿で自転車を一日レンタルしたので、だいぶ回りやすい。宿に近いところから、一軒一軒見ていく。観光客に人気な有料寺が6軒くらいあり、その他は大体無料。有料の方も、220バーツの共通券を買うことで大体見られる。

 どのお寺も、中央にプラーン(prang)というトウモロコシ状の祠があり、それをチェディ(chedi)という仏塔(ストゥーパ)が取り囲むように並んでいる(参考)。それらを、廊下(だったもの、かつては屋根がついていた)が繋いでいる。そこにはモルタル像の仏像が並べられているが、その頭が一つ残らず、無い。一つ残らず、だ。

 日本語でのガイドが聞こえてくる。「彼らは戦争に明け暮れていたので、建物も、仏像も、滅んでしまったのです。」アユタヤを攻めたビルマ軍は、仏教徒にとって仏像の頭を破壊されることが、どれほど戦力を削ぐことになるか、知っていたのだろう。残酷だけれど、なんとなく想像できる。オレンジ色のレンガが剥き出しになった姿からは、往年の姿を想像することが難しい。壊されながらも、よく700年も耐えてくれた。

 有料寺にはほとんど、記念撮影に励むツアーのおばさんたちがいる。どこもおばさんばかりで、おじさんが少なすぎる。アユタヤは遺跡ではなくおばさんのまちだ。そのおばさんたちへ、韓国語、中国語、日本語で解説をするタイ人(これもおばさん)をたくさん見かけた。いくつか日本語のガイドを盗み聞きしたけれど、彼らの日本語が素晴らしくて感動した。相当の努力をしないとあそこまではなれない。

アユタヤ共通チケット

 午前中に三件ほど回って、カフェに逃げ込む。クレジットを使えることが確認できたので、少し贅沢してガーリックポークとバナナスムージーを頼んだ。一生ここから出たくないくらい快適だった。子供をあやす店員さんたちの声を聞きながら、のんびりとした正午を過ごした。リピート確定の激推し店だ。

ゆっくり線を引くことを楽しんだ

 午後は美術館に行くことにした。日が高く気温が最も高い13-15時を美術館で過ごすという、我ながらクレバーな作戦だ。しかし、美術館のエントランスで警備員が顔を振っている。「明日来てください。」今日は月曜日だった。本当にクレバーな人は、自分のことをクレバーなんて言わない。

 しょうがないので、灼熱の中、レンガの廃墟をスタンプラリーのように回って行く。どのお寺も似たような感じだ。やっぱりプラーンがあって、チェディがあって、頭のない仏像が並んでいる。スケッチを続けながら、自分の中に生まれつつある感情を必死に打ち消す。こんなところまで来て、数百年の時を越えた歴史都市に居ながら、飽きるなんてことがあるのか?そんなことが許されるのか?いや、そんなことを考えている時点で飽きているのではないか?

多分)Wat Mahathat
三連チェディのWat Phra Si Sanphet

 正直に認めよう。飽きた。飽きたのだ。さっきまで心の中で馬鹿にしていたおばさま方が、熱心に質問したり、写真を撮ったりしているのに、僕はというと、木陰に置かれたベンチの背もたれに、泥のようにへばり付いて、ぼけーっとしている。スケッチをしても、満たされないこの心。これではいけない、何かを見つけないと。

墓場は全てを解決する

 ふらふら歩いていたら、助け舟かのように、お寺の敷地の隅にあった小さな墓場を発見した。実は、先日の漁師の町でも幾つか見ていたのだけれど、タイの仏教墓はすごく特徴的な形をしている。人よりも少し背が高く、先細りになっており、小さな塔のようだ。この形の意味が、漁師の町で見た時は気づかなかったけれど、ここでやっと、理解できた気がする。この形は、ストゥーパなのだ。今日一日、飽きながらもずっとストゥーパを見ていたことが報われた瞬間だった。

アユタヤの墓
7パーツに分けて運べる見栄っ張りの墓
アユタヤの墓を観察する

 一見すると一体に見えるけれど、近寄ってみると、実はいくつかのパーツに別れていることがわかる。それぞれのパーツは、先細ったり外に飛び出したりしながら、積まれていき先細りの塔を作る。これも、本物のストゥーパの構成そっくりだ。先細りなのは、パースペクティブが強調されてより高く見えるからだろう。実際よりも高く、天を志向する、見栄っ張りの墓、と名づけてみた。 この作り方なら、簡単に高い墓を建立できる。現代の墓は、生産性と運搬性を担保しつつ、昔の形(モチーフ)をどうリスペクトするかの戦いなのかもしれない。

漁師の町の墓
正面から(漁師の町)

 ああ、やはり(間違っていたとしても)何かを発見する旅は楽しい。お寺参観に飽きてしまったのは、外観を見たままスケッチしていたからだ。そんなことをしても、何も発見できない。なんとなく似ている、ということしか分からない。発見を記録しろ!僕は画家じゃなくて建築家なのだ。苦労して汗かいて、自分の意思で、ツアーのおばさんたちと同じような場所に行く必要があるか?あるはずがない。僕のスケッチをみて、「あら上手に描くわね〜」となるだけだ。

 僕はアユタヤの墓場で、今後の指針となるであろう、旅の法則めいたものを発見した。僕の使命は、観光地ではなく、もっとディープな場所に行くことだ。誰も知らないことを知ることだ。誰も考えないことを考えることだ。皆が行くところに行っても何も起きない。というか、誰かが経験したことがあることしか起きない。大袈裟に言えば、自分が生きることの価値がここにある。海外をフラフラしている若者なんてごまんといる。インスタに国旗の絵文字を並べることや、帰国してすぐにネクタイを締めて会社に行くようなことは、しないと誓おう。

高級レストランを見る方法

 自転車をひたすら漕いで1時間ちょっと、アユタヤを守るチャオプラヤ川の外へ抜け出して、あるレストランへ向かう。見たい現代建築があったのだ。設計したのは、バンコクを拠点とする建築家boonserm premthadaの事務所。

 汗だくで到着すると、まず警備員に怪しまれる。明らかに客層の格好をしていないから当たり前だろう。そもそも自転車で入場するような場所ではない。ヘラヘラしながら第一関門を抜けると、若いスタッフがメニューを見せてくれる。明らかに僕が払える値段では無いので、直接交渉する。「あの、建築を見たいんですけど…」するとそのスタッフが困り果てて、英語ができるチーフっぽい人を呼んでくれた。訝しがられたけれど、スケッチブックを見せながら、「日本から来ました」というキラーワードを使ったら、しょうがないわね、みたいな感じで入れてくれた。その人の案内付きで見た後に、もう少しゆっくり見てて良いですか?と聞くと、「何か飲む?」とメニューを渡される。それで、一番安いビールを頼んだら、まさかの大瓶が出てきた。「好きに見てて良いわよ」と言ってくれた。無事、権利を勝ち得た。

プランとディテールを学ぶ

 わざわざ僕一人のために給仕の人がいて、僕しかいない室内の隅っこにずっと立っている。ビールが少しでもグラスから減ると、すぐに継ぎ足してくれた。すごくやりづらかったけれど、「この窓開けてみて良い?」とか、「外見てきます」とコミュニケーションを取っていたら、向こうも僕の目的を理解したみたいで、スマホを見ながら適当にサボっていた。レストランはちょうどオープンする時間だったみたいで、みんな忙しそうに準備していた。会計にビビっていたけれど、メニュー表通りの値段で、特にサービス料は取られなかった。ということは、チップが必要だったのかもしれない。ちなみにクレジットで払おうとしたら、500バーツ以上からしか使えませんと言われ、さすがに恥ずかしかった。このレストランで500バーツ以内で乗り切る人はなかなかいないだろう。

部屋ごとの隙間には木が生える
発見をスケッチする
ガラスブロックが積まれてできた建築

 沈みゆく陽を左手に見ながら、アユタヤの町で自転車を漕いだ。少し飲みすぎたビールが効いてきて、フラフラと良い気持ちで宿に帰り着いた。

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