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『藤田嗣治 ~白い暗闇』準備稿 その2

『藤田嗣治 ~白い暗闇~』

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作:鈴木アツト

2021年5月20日版 準備稿
※戯曲の内容は、公演時には変わる可能性があります。

登場人物
〇藤田嗣治(男):画家。
〇ナタリア(女):娼婦。ポーランド(当時ロシア)からの移民。
〇村中(男):画家。藤田嗣治の後輩。

≪物語の途中からを紹介します。≫

第4場 1920年5月 パリ

藤田嗣治のアトリエ。嗣治、カンバスを見つめている。手には面相筆を握っている。左から右へ、一本の黒い線を引く。しかし、その黒い線はすぐに滲んでいく。

嗣治 違う違う違う違う。あああああ!

   村中がアトリエに入って来る。

村中 兄貴、どうした?

   嗣治、慌てて、カンバスを自分の身体で隠して、

嗣治 入って来るな!
村中 え?
嗣治 何度も言ってるだろ? 仕事をしてるところを他人(ひと)に見られたくないんだ。
村中 だってノックをしようと思ったら、叫び声が聞こえたから。
嗣治 大丈夫だから帰ってくれ。

   村中、鞄から浮世絵の画集を取り出して、

村中 これ、頼まれたもの。
嗣治 、、、
村中 それで来ただけなんだよ。
嗣治 用事は済んだな。帰ってくれ。
村中 、、、何をそんなに焦ってるの?
嗣治 帰れって。
村中 絵は売れてるんでしょ? 去年の秋のサロン(サロン・ドートンヌ)だって、六点出品し全点入選したって。俺と比べたら、大成功じゃないか。
嗣治 お前と比べるな。
村中 じゃあ、誰と比べてるの?
嗣治 、、、
村中 ピカソ?
嗣治 、、、
村中 ピカソなんて最近はいい絵を描いたって話聞かないけど。

   嗣治、絵を村中に見られないように、隅に片付けながら、

嗣治 ピカソは今、潜ってるんだ。キュビズムを捨てて、新たな画風を模索してる。あいつはわかってるんだよ。戦争が終わってもう一年半。平和になったからこそ、新しい表現が求められてるって。
村中 、、、
嗣治 世に出るなら今だ。俺にしか描けない画風を打ち立てて、幸運の女神の前髪を掴むんだ。風は見えてる。世界大戦がこの国の愛国心を高め、金持ちたちは秩序への復帰を求めている。古き良きものを感じさせながら、新しい精神が宿ったもの。それを掴めれば。
村中 ふん。古くて新しいなんて矛盾してる。
嗣治 矛盾でもそれをやるんだ。
村中 風って言うけどさ、兄貴は、いつも金持ちの方ばかり見てる。そっちからしか風が吹かないみたいだ。
嗣治 実際、絵描きなんてブルジョワの風に揺られるヨットだよ。何を今さら。
村中 ナタリア、パリを発つって。
嗣治 え?
村中 知らなかっただろ?
嗣治 いつ?
村中 一週間後。結婚したのも知らない? パリに住んでたアメリカ人の金持ちと。もう赤ちゃんもできて、それでニューヨークに移り住むんだって。
嗣治 、、、そうか。
村中 会いに行かない?
嗣治 なぜ俺が? 三年も前に別れた女だぞ?
村中 一度は愛した女でしょ?
嗣治 昔の俺がな、今の俺は愛してない。
村中 そう。

   村中、出て行こうとするが立ち止まり、持って来ていた絵を広げ、

村中 最後に描いたんだ。ナタリアをモデルにして。
嗣治 (村中の絵を見ながら)いい出来だ。サロンに出せば入選するよ。売ったっていい。そこそこの値段になるんじゃないか。おめでとう。
村中 売り物じゃない。ナタリアに贈る。この地で出会った友達の一人として。

   村中、絵をしまい、出て行く。

嗣治 (叫んで)人妻にヌードの絵を贈ったって、家に飾れないだろ!

   嗣治、再び、隅に片した絵を出して、眺める。

嗣治 どうしても油が墨をはじく。どうしたら。どうしたら。

   ノックの音がする。嗣治、ドアの方へ。

嗣治 (ドアを開けながら、やや強めの声で)だから俺は行かないって。
ナタリア 久し振り。元気?
嗣治 ナタリア、、、
ナタリア ご挨拶に来たの。
嗣治 、、、
ナタリア この子の紹介と、お別れを言いに。
嗣治 入って。

   ナタリアは乳母車を押して、入って来る。嗣治、ナタリアに続いて、

嗣治 君の子?
ナタリア そう。この子を連れていれば、主人もまさか、昔の客と会ってるなんて思わないでしょ?
嗣治 、、、
ナタリア 冗談よ。、、、あなたは客じゃなかった、そうじゃない?
嗣治 一週間後に発つんだって?
ナタリア なんで知ってるの?
嗣治 村中から聞いた。アメリカ人と結婚して、それでニューヨークに行くって。あいつ、さっきまでここにいたんだ。君に会いに行くって言って出てったけど、入れ違いだったね。

   静寂が二人を包む。

嗣治 なんか飲む?
ナタリア 大丈夫。すぐにお暇するから。

   再び、静寂が二人を包む。

ナタリア 仕事はどう?
嗣治 悪くはないよ。でも、まだ飛び抜けた絵が、、、
ナタリア 描けないの?
嗣治 一年以内には傑作を物にしたい。画題はもう決めてるんだ。オランピア。マネのあのスキャンダラスなヌードをモチーフにして、藤田の新しいオランピアを描く。
ナタリア オランピアって、(ソファーに寝転びながら)モデルがこういうポーズをしてる?
嗣治 そうだ。マネはあの絵を日本の浮世絵を参考にして描いたんだ。モデルの肉体を理想化せず、娼婦の肉体に手で触れたくなるような生々しさを刻みつけ、、、

   ナタリアと嗣治、視線を合わせる。沈黙。
   ナタリアは沈黙を切るように、裏になっている絵を見つけて、

ナタリア それがそうなの?
嗣治 まあね。
ナタリア 見せて。
嗣治 俺は、完成してない絵を他人(ひと)には見せないって知ってるだろ?
ナタリア 他の画家にはでしょ? 私はあなたのモデルだったこともあるのよ。ここで裸になったことだってある。
嗣治 、、、
ナタリア 見せて。

   嗣治、描きかけのカンバスを見せる。

ナタリア これがあなたのオランピア?
嗣治 まだ下地の実験中なんだ。磁器のような光沢を持っていて、滑らかな女の肌の質感を感じさせる下地。これに面相筆で輪郭を描いていく。
ナタリア 、、、
嗣治 最初に、思いついたのは、レストランに行った時だったよ。西洋人は、ナイフとフォークを使って、ビフテキをいとも簡単にぶった切る。こんなもんを使いながら育った奴らと、油絵具を叩きつけるように塗る油彩で戦うんだ。同じやり方で勝てるのか? 箸で育った俺に、あの重厚感を出せるのかって?
ナタリア でも、それが油彩でしょ?
嗣治 だから、逆転の発想をした。どうやったら勝てるのか? 何を使えば? ナイフとフォークじゃない。(面相筆を持って)箸だ。箸を器用に扱うように、細い筆描きなら俺は負けない。あいつらが荒っぽく描くなら、俺は針に糸を通すような繊細さで、油彩を物にしてやるって。色も捨てた。血が噴き出したような鮮やかな赤はいらない。白と黒だけを使うんだ。光の中に闇を見るような、闇の中に光を見るような、そんな色を生み出す。それは、女の肌の色だ。君が見せてくれた、ヨーロッパの、白人女の白い肌だ。俺は、肌そのものがカンバスになっているような、そんな下地を開発した。(カンバスを見せながら)見ろ、透き通るような白。目でも触(さわ)れる肌の質感がある。この上に、墨汁で細い線を描けば、、、

   嗣治、段々と、隣りにナタリアがいるのを忘れていく。

嗣治 水と油。墨汁の水を絵の具の油がはじいてしまう。あと一つ、何かが足りない。何かが、、、

   突然、赤ん坊が泣き出す。

ナタリア ごめんなさい。

   ナタリア、赤ん坊をあやしながら、

ナタリア 汗疹がひどくて時々泣いてしまうの。
嗣治 俺こそごめん。ずっと自分の話ばかりして。お別れの挨拶に来てくれたのに。
ナタリア いいのよ、あなたにとっては、絵が我が子なんだから。
嗣治 、、、
ナタリア どうしたの?

   嗣治は、ナタリアが持っていたベビーパウダーを取り上げる。
   突然、粉をキャンバスに撒く。そして、再び、筆で墨汁の線を引く。

嗣治 これだ。これだよ。(パウダーの成分表を読んで)タルクか。ベビーパウダーに含まれるタルクが、油分を吸収し、墨の線を滲ませないんだ。俺は、風を掴んだぞ! ナタリア、風を掴んだんだ!

   嗣治、ナタリアを見る。

ナタリア 、、、
嗣治 どうした?
ナタリア 別の未来なんかなかったのよね。
嗣治 別の未来?
ナタリア もし、あなたがまだ私を必要とするなら、、、私は、、、
嗣治 おい、冗談だろ? 赤ん坊だっているのに。
ナタリア もし、あなたが私を必要としているなら、、、

   ナタリア、眠っている赤ん坊に近づいていく。

ナタリア この子の首を絞めたって、、、
嗣治 おい、やめろって。

   赤ん坊は、ナタリアの殺気に気づいたのか、再び、泣き始める。
   ナタリア、泣き叫ぶ赤ん坊の首を絞めようとして、、、手を止める。

ナタリア できるわけない。(泣きながら)私にできるわけ、、、私は、平凡な、小さな幸せを求めている女。
嗣治 、、、
ナタリア もうアメリカ人になったんだ。祖国も、長く暮らしたフランスも捨てる。
嗣治 、、、
ナタリア あなたが成功したら、夫にあなたの絵を買うように言うよ。(冷たく)それまで頑張りなさい。
嗣治 、、、
ナタリア さよなら。

   ナタリア、出て行く。嗣治、しばらく、ナタリアが出て行ったほうを
   見ているが、やがて、カンバスに目を戻し、

嗣治 タルクか。

   嗣治、カンバスを見ながら、大笑いしていく。暗転。


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