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  • ぞめきコンフィデンシャル2―モラエスの夢―

  • サパティスタ学校の思い出

    2014年1月、メキシコ・チアパス州で開かれたサパティスタ学校(EscuelitaZapatista)へ参加した記録(若書き)

最近の記事

サパティスタ学校の思い出・もくじ

 2013年夏~14年春にかけて、メキシコ西部にあるグアダラハラ大学に交換留学していた私は、大学が冬休みに入った12月下旬、長距離バスに乗って旅に出た。首都メキシコシティを経て、グアテマラと国境を接する南部チアパス州の都市サン・クリストバル・デ・ラス・カサスへ。しばらくして同州の山間部へ入り、サパティスタ民族解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional)自治領で1週間、ホームステイをして過ごした。メキシコ政府には属さずに独立した自

    • “Somos compañeros”(サパティスタ学校の思い出・終)

       屋上から、少し下ったところに建つ家が見える。その隣の隣が、例の巨体の仲間が起居している家だった。上から彼の姿をみかけると、”Compañero!”(仲間、同志)とスペイン語で呼びかける。ここでは互いのことをそう呼ぶ。”Amigo”(友人)ではない。  「同志、ツォツィル語はおぼえたか?」私は叫ぶ。「まあまあだな!」。「ちょっと会話してみろよ」と隣でハビエルがささやく。私がツォツィルで聞く。「きみ、何歳?」。彼は自分の護衛と話し、手帳を繰って答える。「22だよ。きみは?」「

      • 海が見たい少女(サパティスタ学校の思い出5)

         ある日、私たちはコーヒー豆の収穫に行った。山をひたすら歩き続けること1時間、ようやくコーヒーの木がたくさんあるところに到着し、カゴを抱えて豆をひたすらもぎり続ける。ハビエルがサパティスタのラジオを流し、ゴキゲンな革命歌で収穫だ。ヒマを持て余している子供たちもついてきて、ひたすら山を駆け巡っている。一通り採りつくすと難儀なのがその運搬だ。豆がいっぱいの袋はものすごい重さになっている。首都出身の仲間のうちで一番身体のデカイ男が運搬に挑戦したが、10分ぐらいで根を上げていた。結局

        • 夜明け前の音(サパティスタ学校の思い出4)

           翌日以降、すなわち1月3日からはちゃんと教材の勉強をせなあかん、と前夜別れる際に護衛のハビエルに言われた。彼の家は村内だから、寝るときだけ私から離れて帰宅する。そうそう、この村にきてから基本的に目出し帽はかぶっていない。部外者も許可を得れば入り得るカラコルの中心地とちがい、ここは完全にサパティスタ領土の深部だからだ。  翌日は早く起きて活動を開始した。とはいえそれでも私などより数時間早く、夜明け前からサパティスタの女性たちは起き、トウモロコシをつぶしてその日のトルティージ

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        記事

          村に行く(サパティスタ学校の思い出3)

           早朝、私たちは軽トラックに詰め込まれて派遣先の村へと向かった。生徒は私以外の全員がメキシコシティの出身で、残りはその護衛たち。ちなみに女性には女性の護衛がついている。目的地はラス・デリシアス(Las Delicias)という村であり、オベンティックから1時間ほどのところにあった。  到着して早々、私たちのホストとなるそれぞれの家の家主たちが迎えてくれて、一緒に村の中心部にある小さな集会場のようなところへ向かった。そこでもまた目出し帽をかぶった人々がぎっしり立って歓迎してく

          村に行く(サパティスタ学校の思い出3)

          “Mucho gusto”(サパティスタ学校の思い出2)

           「サパティスタ学校」(Escuelita Zapatista)の情報は以前から手に入れていた。留学先のグアダラハラ市にあるサパティスタシンパのカフェ(Ríncon Zapatista)で定期的に開かれていた勉強会に参加していたためだ。「学校」の開校第1期は2014年の夏に既に開かれていた。参加希望者は事前にサパティスタ側にメールを送り、招待状をもらう必要があるが、私の場合おそらく時期を逸していたか何かで、返信がくることはなかった。というわけで半ばあきらめてはいたが、とにかく

          “Mucho gusto”(サパティスタ学校の思い出2)

          プロローグ:祝祭(サパティスタ学校の思い出1)

           クリスマスにメキシコシティを発ち、チアパス州はサン・クリストバル・デ・ラス・カサスにたどり着いたのは、もう今年も暮れんとしているころだった。これほど南の方へと旅することを思い立ったのは、この年末年始に「サパティスタ」(Zapatista)による重要なイベントが開かれることを知っていたからだ。サパティスタ、またはその正式名称である「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」に関して詳しいことは読者各自であたってほしいが、ウィキペディア日本語版の定義を引用しておくとこうだ。  サパ

          プロローグ:祝祭(サパティスタ学校の思い出1)