夜明け前の音(サパティスタ学校の思い出4)

 翌日以降、すなわち1月3日からはちゃんと教材の勉強をせなあかん、と前夜別れる際に護衛のハビエルに言われた。彼の家は村内だから、寝るときだけ私から離れて帰宅する。そうそう、この村にきてから基本的に目出し帽はかぶっていない。部外者も許可を得れば入り得るカラコルの中心地とちがい、ここは完全にサパティスタ領土の深部だからだ。

 翌日は早く起きて活動を開始した。とはいえそれでも私などより数時間早く、夜明け前からサパティスタの女性たちは起き、トウモロコシをつぶしてその日のトルティージャを作り始める。「サパティスタは女性のほうが早く起きて遅く寝る、とても働き者だ」と記念祭で会った者に言われたが、それは本当だった。トルティージャを薄く伸ばしていくときのトントントントンという音が今でも頭にこびりついている。

 ハビエルと家族と机を囲んで朝食を済ませると、机に向かって座学だ。テキストは非常に実践的というか、サパティスタの組織・自治がどうなっているかが極めて簡潔に書かれている。問題が起きたときにどう対処するか、女性の政治参加はどうか、領土についての考え、非サパティスタとの関係等々、どれも興味深いが、あまりに実践的過ぎて読んでて面白いというものではない。一種のマニュアルに近いかもしれない。

 書かれているスペイン語は彼らの話し言葉同様簡単だ。なぜなら彼らにとってスペイン語とは、幼少時より馴染んでいるとはいえ、母語ではないからだ。それでも、このまったく違う環境で、しかもたまたま携えていたのが西西辞書のみだったので、テキストを読むのは非常に難儀な作業だった。結局途中で読書をやめて、付属のDVDを見ようと提案した。それがなかなか面白く、テキストのうまい要約になっている映像だった。

 ここでは基本的に暇な時間が多い。「上にでも昇るか」とハビエルに言われ、屋上(といっても1階しかない建物だが)に上ると、そこにはチアパスの雄大な山々が広がっていた。どれだけ見ていても飽きることはない。付近すべての家の屋上には、コーヒー豆がびっしりと日干ししてある。日干しは女たち(少女も含む)の仕事で、せっせと豆を運び、敷き、ならしていく作業がいたるとこで見られた。コーヒー生産こそ彼らの一番の仕事である。そんな姿を見ながら、ハビエルとセベデオと、のんびり寝そべって日向ぼっこする、というが私たちの日課になった。とはいえ、雨雲が近づけばコーヒーをしまわねばらなず、そんなときはその場にいるものがさっさとやる。

 初日は無口な印象を受けたハビエルであったが、村に来てから少しずつ自ら話すようになってきて、冗談を言えば笑うようにもなった。少しずつ信頼し合えてきたからだろうか。彼のホームタウンにいるということも気をゆるませることに役立っただろう。気づいたときには、私たちは古くからの友達のようになって、いつだって話をした。湧いてくる疑問はすべて彼にぶつけ、ツォツィル語のことも基本は彼頼み。ほとんど19歳の顔に戻った彼ではあったが、それでもサパティスタのこと(特に94年の蜂起とその死者)や政府の話になると、非常に真剣な目をして話す。サパティスタであることを非常に誇りに思い、そこにゆるぎない信頼を抱いていることがわかる。とはいえ、一度だけ彼の弱音を聞いたことがあって印象に残っている。アメリカに出稼ぎにいっているメキシコ人労働者はチアパス州出身者が非常に多いのだが(貧乏な州で仕事がないため)、彼もときどきアメリカに行って働くことを考えないこともない、という。だが考えるたびに、同胞の米国における辛酸を考え、思いとどまるのだという。

 彼から聞いた話では、この村には「パルティディスタ」(partidista)が多いのだそうだ。あの家もそう、この家も、と教えてくれる。日本語に直訳すれば「政党主義者」になるが、要はサパティスタであることをやめて、首都の政党政治の支配に屈した人々、というニュアンスである。政府がサパティスタの勢力を切り崩すために経済的援助をちらつかせ、それにつられてサパティスタであることをやめてしまった人々ということだ。それも以前は金銭による援助だったらしいが、現在はチアパスの農民が「飢餓状態」にあるとして、飢餓撲滅委員会の名で食料品を援助している。しかし、そのなかにはネスカフェがあったりやたら新鮮じゃない卵があったり、馬鹿にしているとしか思えない援助物資がある。実際それらを食べて病気になった奴がいる、と彼は憤慨していた。どちらにしろ、自給自足ができる彼らにとって、そうした物資はほとんど意味をなさないはずだ。コーヒー農民にネスカフェとはほんとに馬鹿にしている。それでも、ある種の贅沢品が手に入るという魅力に抗えない人々もいるのだろう。それにサパティスタであることはメキシコ政府から一切の援助を受けず、政府と完全に縁を切ることを意味するわけで、その苦労は想像してあまりある。実際、年々少しずつサパティスタの勢力が削られていっているのは確からしい。悲しいのは、一度パルティディスタになればサパティスタの家庭とは完全に縁を切ってしまうということで、たとえ小さな村に住む先祖代々の近所とはいえ、基本的に彼らの間の相互交流は一切ないのである。政府を見限ったサパティスタたちは、むろん国際的な連帯に支えられているとはいえ、生活上つねに視界に入るパルティディスタとの関係から、孤独に見えないこともない。サパティスタたちが抱える様々な問題のうち、最も明瞭なものが、彼らパルティディスタ、元サパティスタたちなのである。

<つづく>

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