海が見たい少女(サパティスタ学校の思い出5)

 ある日、私たちはコーヒー豆の収穫に行った。山をひたすら歩き続けること1時間、ようやくコーヒーの木がたくさんあるところに到着し、カゴを抱えて豆をひたすらもぎり続ける。ハビエルがサパティスタのラジオを流し、ゴキゲンな革命歌で収穫だ。ヒマを持て余している子供たちもついてきて、ひたすら山を駆け巡っている。一通り採りつくすと難儀なのがその運搬だ。豆がいっぱいの袋はものすごい重さになっている。首都出身の仲間のうちで一番身体のデカイ男が運搬に挑戦したが、10分ぐらいで根を上げていた。結局、運搬はサパティスタたちがやってくれることになった。これだけ収穫しても、数十キロの袋(コーヒー20杯分ぐらい)で25ペソぐらいにしかならないという。メキシコではだいたい喫茶店のコーヒー1杯27ペソぐらいなので、1杯分の値段にしかならないわけだ。

 翌日もフルーツか何かの収穫に行くとのことで張り切っていたが、仲間のうち誰かが疲れ切っていたらしくそれはなくなり、代わりにサパティスタたちが村を案内してくれた。彼らが見せてくれたのは学校、薬局、交番で、これらすべてはコレクティヴに、すなわち集団で、一切の報酬なしで作られ、運営される、彼らの自治の結晶であった。政府の手は一切入っていない。とはいえ誰に対しても開かれていて、パルティディスタが薬局を利用することも可能だ(利益がでない価格で売っているので普通の薬局より薬が安い)。薬局などは誰かを大学に行かせ、知識を持って帰らせてはじまったという。他にも彼らは、自前の病院やラジオさえ持っている。文献で読んだようなアナキズムの理想がそのままそこにはあった。国家に属せずに彼らはここまでやってしまったわけだ。これらはすべて当番制で運営されている。感慨に浸りながら、地元の子らと疲れるまでバスケットボールで遊んだ。

 とはいえ、彼らはこれで満足しているわけではない。前に書いたロサという女の子に「スペイン語はどこで学んだの?」と尋ねたら、「小学校で」と答えてくれたが、中学校がこの村にないので勉強を続けられなかったという。とはいえ、まったくないわけではない。あるにはあるが、それは政府の公立中学校で、サパティスタのものではない。そこではスペイン語は教えられず、英語が教えられる。なぜならスペイン語の話せない先住民の事情など考えられていないからだ。そのために彼らは自前でやらざるをえなかったのだ。もっとも近いサパティスタの中学はオベンティックにあり、ここからは非常に遠い。「もっとスペイン語を勉強したい?」と聞くと、「うん」と言ってうなずいた。

 社会史の本で、前近代の「家族」とは「再生産」(子を産み育てる)だけではなく、経済的な「生産」の単位でもあった、ということを読んだことがある。各家族が生業を持ち、成員すべてでそれに取り組む。だから基本的には学校に行く必要などなく、そこで仕事を覚え、村の誰かと結婚すればいい。そこで世界が完結する。日本でも江戸時代まではそうだった。彼女たちもまさにそうで、彼女が甲斐甲斐しくコーヒー豆を運んだり干したりしている姿を眺めながら、そんなことを考えていた。私はツォツィル語でたずねた。「外国に行ってみたい?」「いいえ」「チアパスが好き?」「うん」「海を見てみたい?」「そうだね」・・・・・・「きみは幸せ?」「うん」。そんなふうなやりとりを今でも覚えている。

 いったい幸せとは、生活とは何だろうか。もちろん彼女たちも外国文化や外の世界に興味がないわけではない。けれど、めちゃくちゃ興味があるわけでもない。「だって一生、私の人生には関係ないんだから」と、そんなふうに聞こえたような気もする。スペイン語への関心も、とにかく外へ繋がりたいというよりは、それ外からの情報を得るために必要な最低限のスキルだからだろう………でも何となく海は見てみたい。背伸びのようなものだろうか。

 いま私たちの社会の「家族」は、生産どころか再生産すら十分に果たせなくなってきている。しかし、金があれば外国へもどこへもいけるし、いけなくてもパソコンがあれば好きなだけ世界の情報が得られる。まったく正反対の社会であるといえる。それでも「私は幸せ」と断言できる人がいったい何人いるんだろうかと、まったく凡庸な問いをつい発してしまいたくなる。就活に失敗し自殺する学生がいる一方、生まれた時からコーヒー農民になることに決まっている人々がいる。どちらかが良いとか悪いとかの問題ではない。時計の針は逆戻りできないのだ。それに彼女が幸せだと言えるのも、彼女がサパティスタであるということと密接に関係しているはずだ。彼女は単なる封建的な農家の娘ではなく、圧迫と隷従の軛を打ち砕き、自分たちのことは政府抜きですべて行いうる自治を獲得した、世界で最も進んだサパティスタの娘なのである。サパティスタの世界は”Un mundo donde quepan muchos mundos”(たくさんの世界が入り得るひとつの世界)。私はここで近代と前近代を単純に二項対立して、前近代が良かった、江戸時代が良かったとノスタルジックに語りたいわけではないのだ。奴隷や身分制度があってほとんどの人々に自由も人権もなかった前近代よりは近代の方がマシに決まっている。サパティスタたちも、先住民文化の良いところは残し、悪い因習や女性蔑視などは廃止しようと取り組んできた。彼らの掲げる「自由・民主主義・正義」はどれも近代の市民革命以後の概念である。私たちは未来に向かって進まなければならない。サパティスタの世界には、過去のよきものと、未来において獲得すべきもの、この二つが共存してある。私たちは、失ったものは容易に取り戻せないが、獲得できる未来は無限にあるのだ。サパティスタたちもまた進んでいく。中学校を、高校を、大学を作る時も来るだろう。余裕ができれば農家の娘が大学教授になることもあるかもしれない(既に、ここで学ぶ私にとって彼らは教師なわけだ)。世界中を飛び回って世界の抑圧された人々と連帯する運動を大々的に行うかもしれない。少なくとも彼らは歩みを止めていない。

<つづく>

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