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帰国子女と海の家

ちょっと前まではいくらでも明るかったのに、日が落ちるのが少しずつ早くなっている。

夕方になるとそわそわするのは、なぜだろう。
今日という1日に、なにかやり残したことは無いだろうかと考えるからだろうか。
日が短くなる代わりに、今度は夕陽が焼ける様に赤くなる。

夏のこの季節になると、彼女の事を思い出す。

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高校3年生の夏。
長かった野球生活の中で最大のイベントであった、最後の夏が終わった。

甲子園に行きたいなんて高い想いは無かったけど、一体僕らはどこまでいけるのか、最後まで全力でやり尽くした。

短く熱い夏が終わると、今年で引退する野球部員の生活は一気に変わる。

部活動という1日で相当な時間を占有していたタイムスケジュールは、びっくりするくらい予定が無くなる。

明日からはもう、早起きもしなくていい。

気絶でもしたかの様に昼まで寝ていた僕は、リズムよく叩くノックの音で起きた。

ドアを開けた母親が昼飯はどうするのかと訊いてきたので、何でもいいと答えた。

頭を掻きながら上半身裸で部屋から出ると、母親からは決まったように服を着なさいと言われるが、僕にはまるでそれがおはようの挨拶であるかのように意味もなく頷き、ダイニングテーブルに座る。

テレビはもう、夏の甲子園の初戦を迎えていた。

夏休みには何か予定でもあるのかと訊いてくる母に、如何にも予定がある様な素振りで考えるフリはしてみたが、何も無かった。

365日中、365日近く顔を合わせてきた同級生の野球メンバー達と、このクソ暑い真夏に会って何をしようとも思わないし、とにかく静かに過ごしたかった。

「叔父さんのとこ、今年も忙しいんだって。あつし、手伝ってくれば?」

そう提案してくる母の言葉が、NHKの解説者の声と混じりながら耳に届く。
想えば、小学生以来行っていなかった。

千葉の人気スポットでもある海岸に、比較的大きな海の家がある。
遠い親戚になる叔父さんはもう70近い爺ちゃんだけど、僕が小学生の頃から真夏限定で海の家をやっていたので、もう何年やっているのだろう。

あの綺麗な海で手伝いをしながら、そこからすぐそこにある叔父さんの家に寝泊まりする計画は、久しぶりに心が躍った。

「10日間くらいなら、行ってもいいけど。」

そう母に伝えると、すぐに電話をしていた。

南房の夏はいつも、首都圏よりカラッとしている様に感じた。
最寄り駅を降り、母から貰った駄賃を使い、タクシーで向かう。

あの角を曲がればあの建物が見えて……と昔の答え合わせでもするかのように懐かしい景色を見ながら、わずかに開けた窓からは、海藻が日干しされたモノが混じったような、濃い潮の香りがした。

叔父さんの家に着くと、電話で言われた隠し場所にある鍵を見つけ、勝手に家の中に入って荷物を置いた。
叔父さんと叔母さんは昼前から海の家にいるので、午後は誰もいなかった。

すぐに用意をして玄関を開けると、奥にある庭にある池の鯉は相変わらず大きかったが、当時僕が見た鯉なのかはわからなかった。

家から迷いようも無いくらいまっすぐな坂道を降りると、目の前は海だ。

海の家に着くと、夫婦は忙しそうに厨房で働いていた。
野球部のノリで、お久しぶりですと大きな声を掛けると、作業していた2人の手が止まり、本当に助かるよと笑顔で言ってくれた。

仕事は至ってシンプルで、客から注文を取って厨房に伝える事、飲み物は全てこちらが用意する事、食べ終わった客のテーブルを片付けるという3つを言い渡された。

飲み物の冷蔵庫を案内され、ここのジュースは全て瓶なんだよなぁと懐かしがっていた時、目の前を横切った女の子が僕に言った。

「ええ、あつし君久しぶり!。大きくなったね……ユリコよ!」

このキレイなお姉さんと全く面識は無かった気がしたのだけど、叔母さんがその様子を見て、笑いながら言った。

「やだねぇ忘れたの?ウチのユリコよ。小さい頃、散々海辺で花火やったでしょう。いつの日かユリが花火で足を火傷した時、家まで背負ってくれたのは、あっちゃんよ。」

処理速度が遅くて有名な僕の記憶回路をハイスピードで動かし、おぼろげながら少しずつ思い出した。

「あ……!」

ユリちゃんは僕の4つ上で、長い間イタリアへ留学をしていたのだけど、来年から日本で就職が決まったので、学生最後の夏にこの海の家を手伝っている、叔父さんと叔母さんの1人娘だった。

当時も小柄だったイメージだったが、今も相変わらず小柄で活発なイメージは変わらなかったが、短かったトレードマークの髪は、長い髪になっていた。

海の家に到着した日は、もう夕方に差し掛かる様な時間帯だったので、客は少なく、全く慣れない僕からしてみれば、とても助かった。

そろそろ店じまいという頃になると、表に出ている全てのテーブルと椅子、パラソルに、売りモノの浮き輪も全て海の家に仕舞い込む。
20席近くはあった気がするのでわりと大きな海の家だったと思うが、終わったばかりの地獄の様な野球の練習に比べれば、片付けも何という事は無かった。

叔父さんが厨房の辺りにみんなを集め、叔父さんとユリちゃんはビールを、僕とお酒の飲めない叔母さんはコーラを開け、乾杯した。

すると、落ち着く間もなく、いそいそとユリちゃんが奥の部屋からメニュー表の様なモノを持ってきた。
「これ、明日から良いでしょ?」
そう言うと、叔父さんは少し困ったような顔をしたが、頷いて返事をした。

それはなにかと尋ねると、ユリちゃんはイタリアで長い間、バーテンのアルバイトをしていた様で、海の家で明日からカクテルを5種類出したいという事だった。

「元々お酒は生ビールしか置いてないんだもの。私が作るから、大丈夫よ。」

そう言って、メニュー表を壁のあちこちに張り出した。

翌日。

土日と重なるこの日は、朝から近隣の駐車場は何処も満車で、道路脇にも車が停まっていた。
今よりもずっと寛容な時代だったので、土日仕事の無い漁港にまで地元の人が案内し、クルマがぎっしりと停まっていた。

朝早く海岸から獲ってきたというワカメの味噌汁は、今まで食べたことも無いような歯ごたえと美味しさで、朝から機嫌は最高だった。

仕事は10時頃から用意を始め、11時には開店なので、そんなに早起きしなくてもいいのが良かった。

みんなで海の家に徒歩で向かい、業者さんが届けてくれる食材を冷蔵庫に詰め込んだあと、昨日仕舞ったばかりのテーブルや椅子を、昨日と同じ位置に出した。

午前中は海水浴客も海に夢中で、海の家に来る客は破れてしまった浮き輪を買いに来るくらいのモノでわりと暇だったが、お昼頃になると、何かのスイッチでも入ったかのように、客が一気に流れ込んできた。

次々にオーダーを客から取り、伝票を厨房にあるホワイトボードに貼り付け、出来上がりは叔父さんから掛け声があればそれを取りサーブするという連続だった。

ユリちゃんの掲げたカクテルは最初あまり売れない様な気がしていたが、1人が頼むと、それを見た客があれと同じ物をという流れになり、徐々にオーダーが増えていった。

カクテルのメニューは5つ。

・青い珊瑚礁
・潮騒のメモリー
・乙女のさざなみ
・ロングアイランドアイスティー
・長いお別れ

この5つだった。
潮騒のメモリーはモヒート、乙女のさざなみはテキーラサンライズ、そして長いお別れはギムレットだったのだけど、ユリちゃんがそのベースにオリジナルを加えたカクテルで、どれも可愛い名前にしたいという事でそうなったのだけど、思春期真っ只中の僕にとってかなり問題があった。

焼きそばやフランクフルトなら大声で焼きそば1丁!フランク3本!!などと景気よく言えばいいのだけど、そのカクテル名を大声で言う勇気が無かった。

一度だけ、勇気を出して潮騒のメモリー!と大声で言ってみたのだが、周囲のテーブルにいる客がみんなこちらを見て笑い、時間が止まった。

そして、すっかり油断していたのだけど叔母さんに関してはもっと大変で、かれこれ70近いのに海のど真ん中で『乙女のさざなみ!』などと言わなくてはならず、わりと地獄の様なシチュエーションになった。

一方のユリちゃんは上機嫌でカクテルを作っていたし、当時どの海の家でも聞いた事のないオサレなカクテルは、特に若い女性客に人気があった。

店の忙しさも頂点になった頃、地元の叔父さん達が3人でやってきた。
滞在の間もずっとお世話になった人達で、彼らはユリちゃんが帰ってきているのを一目見ようと、ほぼ毎日来る。

そしてこの日からスタートしたカクテルを見るなり、3人はそれぞれ恥ずかしそうに、

「俺は……お、乙女のさざなみにしようかな。」
「えっと……んじゃ、オレも同じで」(恥ずかしくて名前すら読めない)
「じゃぁオイラっちは潮騒のメモリーdギャハハハ」(そうなるわな)

という感じで、ユリちゃんが名付けたカクテル名のせいで、みんなドえらい目にあった。

そんな日が2日ほど続いたのだが、最初にギブアップしたのは叔母さんの方で、周囲の客の目線に耐えられないという、最も正当な理由が原因だった。

ユリちゃんは少しつまらなそうに、メニュー表を正規のカクテル名に直した。

あの頃は早過ぎたオサレな海の家コンセプトも、きっと今だったら、大成功していたに違いない。



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