ある年の12月31日が終わる頃。
4℃と表示された薄暗い冷蔵庫の中で、魚から出るワタ(内臓)と大量の血と頭にまみれ、手鉤を持って50キロ近くなる最後のプラスチック製の樽を動かしていた。
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高校も卒業間際、後輩の紹介により、魚屋でアルバイトを始めた。
ただ時給が高いという、シンプルな理由で。
魚屋といっても、バイトがやることは店頭の対面売りと、職人が次々に魚を卸した際、樽に溜った魚のワタを、ひらすらゴミ捨て場へ運び続ける。
野球で鍛えた身体でも、慣れた動きと違うだけで、翌日にひどい筋肉痛になった。
年末になると、魚屋は施設に数あるテナントの中でも、ダントツの花形だ。
紅白の横断幕が店内のぐるりに張られ、開店前には職人やパート、バイト全てが集められ、今日一日は大詰めで大変だが、がんばろうと部長が鼓舞する。
対面売りは、簡単な様で難しい。
ただそこで大声を出しているだけならいいのだけど、買い物客からは膨大に並ぶ魚の卸し方や調理の仕方、旬などを立て続けに訊かれ、何もわからない若いバイトはその度に職人に訊くのだけど、多忙を極めた職人達は何度も優しく教えてくれる訳もなく、一回で覚えろと言われた。
前年の売り上げを超えた時点で、店からは大入袋が全員に配られる。
それが、若いバイト達のモチベーションをあげた。
奥の部屋の小さな窓から、職人の1人がこちらに目配せをする。
そろそろ”ワタ”樽が満杯になる合図で、人混みを搔き分けながら裏方へ回る。
部屋は細長く、決して広くはない水場で魚を卸す職人の真後ろを通過したその時だった。
「おい坊主、真後ろを通る時は必ず声を掛けろ」
この店で一番静かで、一番おっかないキヨシさんが呟いた。
店には職人がたくさんいて、皆酒好きで陽気で短気だったが、優しい兄貴分の様な人が多かった。
その中で、キヨシさんだけは黙々と仕事をこなす。
数年が経過し、学校に通う傍ら、時間を見つけてはバイトを続けていた。
その年の年末は特に人の手が足りず、店長に頼まれ、僕は早朝4時には河岸(築地市場)へ向かう為に集合し、6時過ぎには荷積みを手伝い終えると、トラックに同乗し店へと移動した。
店の荷下ろし場には、相変わらずキヨシさんがタバコを吸って待っていた。
「おお田所。早いじゃねぇか」
トラックから次々と下ろされる荷物だが、1つ1つが重い。
体力ならキヨシさんに負けないはずのなのに、彼の荷の持ち方が全く違っていて、気が付くといつも僕の倍の量を下ろしていた。
まだ誰もいない真っ暗なテナントの中、魚屋のバックヤードだけが煌々と輝く。
キヨシさんは毎日店に誰よりも早く到着し、完璧に手入れがされた柳刃と蛸引、出刃を研ぐ。
開店まではあと3時間。
河岸への荷積みだけを頼まれたのでやることも無く、隣で仕込みを見ていると、キヨシさんが言った。
「魚、触ってみるか」
本来、バイトが板場に立つことなど有り得ないことなのだけど、彼はまな板の上に10匹程度のアジを乗せた。
キヨシさんは、最初から魚屋ではない。
店長の話によると、とある事情により有名な寿司屋から離脱し、流れ流れてこの魚屋に就職した。
だから、卸し方や魚の触り方全てが他の職人とは違う。
商品として並ぶ刺身の盛り合わせや、さくどり1つをとっても、キヨシさんが切ったモノはすぐにわかった。
1つ1つ丁寧に教えてくれるキヨシさんは、まわりの職人が話していたイメージとは、全く違っていた。
卸していて気付いたのは、全く身をまな板に付けない。
刃先に感じる感覚や力の加減を、少しずつ覚えていった。
職人の中にはその細かな仕事を見て、アイツは気取ったヤツだと陰口を言う人もいたが、まな板の上で魚が踊る様に捌かれる姿をみているだけで、楽しかった。
覚束ない手先でアジをなんとか卸すと、キヨシさんは少しだけ笑い、なかなか上手だと褒めてくれた。
それから、時間を見つけてはキヨシさんの立つ板場に向かうと、いろんな魚の種類や、特殊な卸し方を教えてくれた。
半年が過ぎた頃には、バイトの中では珍しく板場の端っこに立つことが許され、簡単な青魚や前処理であれば、職人たちの間に入り、手伝う様になった。
真冬の仕事は、とてもつらい。
なかでも凍ったマグロのコロを洗う仕事が一番嫌いで、冷たいという感覚を瞬時に超え、ただ、痛い。
年末には膨大なコロが店に到着するので、開店時間までに洗いを済ませなくてはならない。
しかし、感覚とは不思議なもので、あれだけ痛かった洗いも慣れてくると最初の頃よりもずっと早く洗えるようになった。
ある日の早朝。
キヨシさんと2人で仕込みを始めた時、以前寿司職人だったことを聞いたと話すと、彼はこちらを見て黙った。
「要らねぇ口を訊くな。仕事しろ」
そう言って、また黙々と仕事を続けた。
若さとは怖く、センシティブな質問すら物怖じせずに訊いてしまう。
それからというもの、必要な用件以外はあまり話すことが無くなってしまったが、職人達の手伝いは続けた。
何年目かの11月の終わり、本格的に忙しくなる師走の前に、店の忘年会があった。
時間帯によってはほとんど顔を合わせないバイトさんや、パートのおばちゃん達が一斉に集まり、大宴会になった。
職人達が飲む酒量に居酒屋の店員が本気で引く中、僕は少し遅れて到着した。
早速、キヨシさんの姿を探したのだけど、彼は翌日の仕事に控えるからと、小一時間で帰ってしまっていた。
「あんなヤツほっときゃいいんだよ!ガハハハ」
呂律が回っていない職人を見ているだけで悪酔いしそうだったが、僕は話せるチャンスを失ってしまった。
忘年会の終わり、僕はようやく就職が決まり、今年の年末を最後にバイトを辞める話を店長にした。
その年も、12月29日から31日までは地獄の様な忙しさだった。
今ではあまり見なくなってしまったが、当時テナントの中では異様な光景だったと思うほどお客さんが入ってきて、店内は大混雑になった。
対面販売する、僕よりも若いバイト達の威勢のいい声が飛び交い、彼らに同じ様に質問をされたが、ほとんどを答えられるようになった。
開店前、バックヤードに積みあがった発泡スチロールの中にある真鯛、ハマチ、カンパチ、サーモンなど数百匹を全て3枚に卸し、職人達へ引き継ぐ。
奥の板場にいるキヨシさんとも、もう何年目かになるお祭り騒ぎを共に過ごした。
最後のお客が帰り、閉店すると職人達が一斉にビールで乾杯する。
盛り上がる中、僕は裏方に大量にある魚の残滓を集め、最後のゴミ捨て場に向かった。
すると、通路の向こうからキヨシさんが歩いてきた。
「お疲れさまでした。今日でバイト、終わりなんです。長い間、ありがとうございました」
そう告げると、キヨシさんは普段はあまり見せない優しい笑顔で言った。
「店長から聞いたよ。俺に言えよな」
そう言って、2つの箱を僕の掌に乗せた。
「お前が学んだ魚の感覚はきっと、死ぬまで忘れねぇと思うよ」
箱を開けると、キヨシさんが使っているモノと、全く同じ包丁が入っていた。
僕はこんな高価なモノは受け取れないと言うと、
「ハハ、こないだの有馬記念でいい思いをしてさ、それで買ったのさ」
随分と下手な嘘をつくなと思った。
キヨシさんに御礼を言い、歩きながら残りの道は前が見えなかった。
ゴミ捨て場の入口に表示されている冷蔵庫の4℃表示が見えた頃、最後のゴミを捨て終えた。
あれから約25年が経過した2021年12月。
田中泰延さんは、仰られました。
色んな人との出会いやきっかけが全て、今に繋がっているのだと思った。
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2021年4月より、noteを読んで頂いた皆様、本当にありがとうございました。
頂いた皆様のご感想や感情が、書く力になりました。
1月からは少し不定期になるかもしれませんが、出来る限り書き続けようと思います。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
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