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135gが持てなくなるまで


今日も子供達が、憧れの選手の真似をしている。

才能溢れる人達に憧れる事はとても素敵な事だし、いつかあんな風になりたいと無垢で純粋に夢を追える時間は美しく、愉しい。

けれど身近に天才が現れた時、それがどんな風に変化しただろう。

自分にはひっくり返っても出来ない事が簡単に出来たり、超えられない壁を超えていく人を間近で見た時、悔しいという気持ちになっただろうか。

僕はどこか少し遠くから見ていたい様な感覚だったし、接点があった事や出会えた事だけで、誇らしい気分になった。

そんな光景をずっと見ていられるのなら、最高だ。

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13の春。
父親の仕事の都合で、転校をした。

7年間住んだ街から、かなり北の街へと移動した。

転勤族だった父は、会えば今でも可哀想な事をしたと言うが、当時の僕は呑気なもので、新しい街や人と会う事にワクワクしていた。

知らない土地というは実に楽しいモノで、駄菓子屋やスーパーの位置すらわからない。

うっかり遠くまで歩いたら家に戻ってこれないかもしれない緊張感も最高だし、農家の婆ちゃんに道を訊こうものなら100%の確率で迷う。
以前の街には無かった変な名前の店や深い用水路に変な形の信号機、隣近所の挨拶ですら、何を言っているのか全くわからない婆ちゃんの訛りを聞いているのが楽しかった。

約束の時間より随分遅れて到着したトラックの引越し荷物でドタバタする両親を尻目に、着いて早々辺りをウロチョロ歩いては、色んな所を見つけるのが最初の役目だった。

僕はここでも野球を続けたかったので、中学の野球部に入った。

転校をすると、どの地域でも共通の体験がいくつかある。

学校の初日だけはやたら目立つ。
隣のクラスの子がみんな見に来る。
大体、学校の面白い奴が最初に話しかけてきてくれる。

この辺りはわりと普通なんだけど、新しいこの場所はちょっと面白くて、

転校生の戦闘力を確かめに来るヤツ

というのがいた。
学校内ではおそらくバンチョー的なポジションで、新参者を警戒する。
万が一、転校生がバンチョーよりも強かったら校内のピラミッド構造を脅かしかねない由々しき事態になるし、彼としてもそれは困る。

近隣の小学校から集まってくればある程度のデータを持ち合わせているはずだけど、転校生というのはそう言った情報が無いまま突如入ってくる。

だから最初は少し”つっけんどん”な態度で話しかけてくるんだけど、少し背が高いだけで喧嘩なんて好きじゃない事を確認すると、露骨に「ケッ」という顔をして、バンチョーは手下の仲間と何処かに行ってしまった。

1つだけ文句を言うと、隣のクラスから見に来た女の子達が

「なぁんだ~」

と言い放って帰るのだけは止めて欲しい。
あれは傷つく。
どんなのを想像していたのかは知らないけど、なんだとはなんだ。

家に帰ると、初日はそんな出来事の報告で盛り上がった。
そして家族で誰が一番最初に訛り出すのかを賭け、僕が負けた。

転校してからは、クラスよりも野球部にいる時の方が遥かに緊張したけど、同級生も先輩もナインはみな優しく迎えてくれて、すぐに打ち解けた。

一通り慣れてきた頃にチームのエースを訊くと、エースは3年生ではなく、2年生になったばかりの同級生である事がわかった。

彼の名は、ヨシアキと言った。

背は僕より少し高くて、大人しい性格だった。
けれど、しっかりした身体つきから投げ下ろされるストレートの球威は凄まじく、どうやったらこんなボールが投げられるのか不思議だった。

彼と僕は同じ身体つきで体力も然程変わらないのに、こうも違う。

こんな事を幾度か経験する度、同じ様に出来ない事がわかると、悔しい気持ち以上に憧れに変わっていく気がした。

彼の投げるボールはまるで重力が存在していないかのように、マウンドから真っすぐな糸を引いた。

「コイツがいりゃぁよ、県大会だって夢じゃねぇ。」

先輩のキャッチャーがそう言うと、彼は少し照れくさそうに笑った。

3年生達の最後の夏が近づくにつれ、部のテンションは最高潮に達する。

練習はキツかったけど、毎日が楽しかった。

ヨシアキはエースナンバーを付け、大会に臨んだ。

彼は安定した投球を続け、県大会にまで出場し良い所まで勝ち進んだが、関東大会まであと一歩という所で惜敗した。

強いチームは往々にして複数のピッチャーを擁するが、自チームはヨシアキ1本頼みだったので、トーナメントでは相応の疲労もあったと思う。

試合直後、ヨシアキは泣きながら申し訳無いと上級生に言ったが、誰一人として彼を責める先輩はいなかった。

3年生の夏が終わり、僕達2年生が上級生になった。

普段からヨシアキはモノ静かで、ワイワイ騒ぐ連中からは少し距離を取っていたが、仲が悪い訳ではない。
たまに弄られればはにかむ笑顔が印象的で、そんな彼の雰囲気が好きだった。

練習中、たまに彼の球を受けると手がビリビリした。
捕って初めてわかる事は、ミットの紐が切れるんじゃないかという恐怖だ。
幸い実際に切れた事は無かったけど、彼のストレートは日を重ねるごとに唸りをあげた。

ヨシアキと共に大きな大会に勝ち進めるんじゃないかというワクワクもあったけど、何よりこんな凄いヤツと一緒に野球が出来る喜びが大きかった。

短い夏が終わり、秋の日は釣瓶落としと言うが、練習中気づいた頃にはあっという間にボールが見えなくなった秋が過ぎ、寒くて厳しい冬がもうすぐ明けるという頃、ヨシアキが練習に来なくなった。

最初は酷い風邪だという事だったが、2週間が過ぎた頃、ナイン達の間でも流石におかしいと話題になった。

それを察したかのように、監督から説明があった。

白血病という病気だった。

14歳の当時”ハッケツビョウ”というのがどんな病気であるのかわからず、ちょっとの間病院で寝ていれば治るのだろうと思っていた僕は、帰宅して母に訊くと、台所で野菜を切る母の菜切り包丁が静かに止まった。

電車で行っても遠いと感じる街の大きな病院だったので、中学生の僕らは頻繫には見舞えなかったが、それでもナイン達とは空いた時間があれば病院に向かい、彼を見舞った。

部屋に入ると、ヨシアキはベッドの上で想像以上に元気にしていた。
最近の様子を訊くと、毎日ベッドの中に隠した軟式ボールを持ち、誰もいない時にそいつを真上に投げるんだけど、看護婦に見つかるとよく怒られると言って、皆で笑った。

彼が思ったよりも元気だった事に安心した。

数カ月が経過し、監督伝手に聞くヨシアキの病状は、あまりいい報告を聞かなかった。

ある日、僕は両親にお願いし、家のクルマで病院まで連れて行ってもらった。

彼は前回会った時よりも痩せてしまっていたが、会った時に見せるはにかむ笑顔は、何1つ変わらなかった。

ベッドでボールの練習はやっているのかと尋ねると、

「最近うまくチカラが入らなくて、ボールが持てないんだよ。ハハ」

そうヨシアキは言った。

「タドコロは、野球好きか?」

つまらない勉強より何倍も好きだと答えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

「俺は来週から、ムキンシツという部屋に入るらしい。そこで治療して病気が治ったら、みんなでずっと野球をやろう。」

「うん、必ずやろう。」

そう言って握手をし、別れた。

空気を切り裂く豪速球を投げ続けた男との約束は、25年が経った今も守っている。

彼の球は、天国でもそう簡単には打たれないだろう。
なんと言っても、僕が憧れた自慢の天才投手だ。

彼の様に速くは投げられないけど、彼の様になりたいと夢見る子供達の憧れの手伝いは出来る。


その為なら135gのボールが持てなくなる日まで、投げ続けるつもりだ。



Photo Credit and Special Thanks to : Uta Mizuno 


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