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音楽を楽しむことと音楽の現場に入ること

私の性格は苦しいと思うことでも情熱が勝っている事柄には無我夢中で長く深く掘り続けるという特徴がある。やはりどんな世界でも大変なことや理不尽なことに対面し精神的にも肉体的にも消費する。それでも続けるにはその苦しみを超越する「やりがい」や「楽しさ」の方が大きいからに他ならない。私は6歳の時に和太鼓を始めた。実の兄に師事。とにかく挨拶や礼儀には厳しかった。そこから音楽を楽しむこと以外に音楽の現場に入ることを少なからず学び始めたと改めて振り返ると思う。''表現する''ということはものすごく深い。音楽をお金儲けとしか見たことない人と表現を続けて来た人の眼は明らかに違う。そう言った芸道を徹底的に学ぶのである。それに加えてこれはほとんどの人が経験したことのないことだと思うが、邦楽(ここで言う邦楽はJPOPの邦楽ではなく三味線、和太鼓、唄など古典邦楽)の世界と洋楽(敢えて分けて表現した)ミュージシャンの現場を肌で感じ培って来た人はほぼいないと思う。これはジャンルではなく生き方、価値観の違いになってくるのである。音楽=その人の人生を見ることになるわけだから、ウワベでは絶対に務まらない。先に辛い面で言うと、私自身の一経験談として書くが、弟子やローディーは師匠やアーティストのスケジュール管理もあり、楽器のメンテナンス、管理もある。他共演者に自分の印象を覚えてもらい、人脈を作ったり、世界を広げて行きながら腕を磨く。ようは修行僧である。これが分かっていながらもとてつもなく屈辱的なことを言われたり、時には暴力があったり、権力構図パワハラ、モラハラがあったり閉鎖的で小さい島だ(もちろん無い現場もたくさんあると思うよ!私の経験)。その中で大切なことは、どんなに辛いことがあってもその経験をしているのは貴方だけではないと言う事。今第一線で活動している貴方が好きなシンガーやアーティスト、スタッフ達も少なからず嫌な経験はしている。だから悲観し過ぎず辛すぎて嫌なら離れたら良い。それが一番。反面教師で自分がされた嫌な経験を、下や周りにはしないこと。それ以上に音楽は楽しいこと、楽しむことが大切だと思うな。私も音楽の制作現場のスタッフ、ローディーとして10代の頃は何年か携わり、肉体労働以外のナニモノでもないけど、そこで見たり経験したものは絶対忘れないし全て音楽に生かされていると思う。

私にとって邦楽も洋楽も、ジャンルではない。
表現という本質に真摯に向き合い追求、探究している生き方と思う。音楽を楽しむことと音楽の現場に入ることは全く意味も空気も違うもの。

音楽って人間以上にもっと広い解釈ができるものだからこれだけ多様な文化が広がり残っているよね。

それで32年間、音楽という表現にいるのは
やっぱり表現すること、音楽が純粋に好きなんだと思う

苦楽を共にする。まさにそういう人生。音楽世界
やローディーやスタッフ時代を書く機会を設けようと思う。

シンプルにかっこいいものはかっこいい。
素敵なものは素敵。
フラットにニュートラルに、建設的にクリエイティブできるのが一番。楽しもう。

粘着質な業界気質は変えようと思う。
まずは自分から。

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