プロデビュー25周年

今年はプロデビュー25周年である。ここで節目において日記的なことを記しておきたいと思う。
何故か。現実やリアルでもあるからである。

その前にビールをワイングラスで飲むと美味しいのはなぜなんだろう。

思い通りにいかないのが人生の常である。
それを楽しむか楽しめないかによって次の一歩が変わることも間違いない。
そうやって生きてきた。
ある種、現在までを振り返ると「描いていた以上の幸せを感じ」「描いていたことが現実にはなっていない現状」と両方ある。「人は思っている通りになる」というのは本当だと思う。
描いたことは時間がかかっても努力次第で必ずと言って良い程実現するのである。

ここから紐解いていこう。
まず描いていた以上の幸せについて。
私は6歳の時、10歳上の兄がいるが既に兄は16歳の頃にはプロ和太鼓奏者として活動していた。
近くの音楽室で開かれる夏の盆踊りに向けて「稽古」が始まる。
そして幼い頃から育った町には「神輿や祭りが盛んで血の気が多かった」所謂「粋」である。
祖母も男気のある面倒見の良いおばあちゃんだった。
そう、夏恒例の盆踊りには櫓の上で太鼓を叩き、会場を盛り上げる。それが太鼓打ちの仕事。
音楽室で行われる稽古に行くことは行くが周りの少年らが上手く悔しく参加できない日々が続く。
和太鼓のケースや毛布に包まって稽古が終わるまで寝ていたことを思い出す。
稽古場に行っては寝て和太鼓を聞き、稽古が終わり聞くだけで帰るのである。

人生が変わるのはそこからだいぶ経つ。
小学校ではサッカーにも没頭しJリーグが盛んだったが、小学校の卒業文集では「プロの太鼓奏者になる」が将来の夢だった。人生は突然変わる。13歳の時、六本木バレンタインという箱で兄のライブを見に行った。その時「生のドラム」を体感して全身が痺れたのを昨日のことのように覚えている。

ドラムは裸で音楽や楽器を壊す破滅的な印象しかなかった。その頃は。
でもそこで演奏しているドラマーは歌心溢れ、綺麗な音色でグルーヴしていた。
帰り道母に話した「ドラムのプロになりたい」翌日、偶然にもドラム無料体験教室のYAMAHA音楽教室のチラシがポストに入っていた。すぐに参加することになる。ここが第二の転換期だ。
その頃はバンドブームで友達とバンドを組みライブをした。先輩には下手なドラムを笑われた。

翌年、私は14歳でプロデビューすることになる。
ドラムをやるきっかけとなったドラマーの方と一緒の現場でツインドラムだった。
初めてのギャラは500円だった。これが口酸っぱく言っている「初心忘れべからず」である。

話は前後するがドラムを初めた頃、小学校の音楽の先生に会いに行った。
小学校の音楽の先生はとてもお世話になっていた。
お金がなく練習場所がないことを話すと、放課後なら練習しに来ていいと言ってくれた。
音楽の先生は自分のドラムセットを学校のバックヤードに持ち込んでいて、音楽の授業で使ったり、休憩時間に自分で演奏したりしていたみたいだ。そこから中学校の帰り道に小学校の音楽室に寄り練習した。
たまに先生が見に来てくれ音楽の話やアドバイスをしてくれた。恩師である。
ある日、その音楽の先生が転勤となる。「転勤になりこのドラムセットあげるから持って帰っていいよ。転勤先に持って行けないから。これでプロを目指して頑張って」嬉しくて嬉しくてすぐに台車を用意し自宅まで往復して持ち帰った。そのドラムセットはのちにモニター契約するPearl Drumなのである。

そこからは修行の日々が続く。今でも修行だけど、360日くらい現場だったんじゃないかっていうくらい、バイト、ローディー、バイト、ローディー、の間に7個くらいバンドを掛け持っていた。都内のライブハウスに出演した。音楽専門学校にも通い始めた。その頃、毎日書いていた奮闘日記は今でも残っている。25周年記念ライブではお客さんにも公開したいと思う。

人にはタイミングや出逢いがあって、すぐには結果が出ないこともずっとやっているとどこかで繋がっていたりする。そこが面白い。だから継続が好きなのかもしれない。

今のドラムソロパフォーマンスに繋がる話はまた別の機会にしよう。長くなりそうだ。
ここからは愚痴でもないが、現実の話もしていく。

人には色々な転機があり、自分の信念を信じて貫き通すこと。これはすごく重要なことだ。
それが正しいかどうかは分からないが、自分の心に正直に決断し生きている。
時には悲しみ、落ち込む時もある。

25周年、ここまで感謝でしかない。
いつか楽器メーカー、ドラムメーカーに認められてモニター契約するんだ。という夢はある日突然プロデビューした22年後に訪れた。あの縁があるPearl Drumである。感謝。

躓いた時、動画を撮り始めていた頃、VOLCOMが開催したグローバルコンテストに応募した。
何かで一番になる。日本代表に選出しグランプリを獲った。

一流のアーティストや名実共に素晴らしいアーティストのレコーディングも担当するようになった。

パン食い競争のように、一つ目標が実現できれば、また新たな目標が出てきて、そしてまた新しいパンをGETできたら、また新しいパンが出てくる。

それでも、現実は食えないのである。
その事実をピエロじゃなく、JOKERでもなく、架空でもないリアルな姿としてここに記す。
夢がなくなるじゃないかという人がいるかもしれない。けれど、現実を変えたいならリアルを伝えないと先に進めない。何を臭いものに蓋をして良いところだけ見せているんだ。

それでも、やり続けている。それには信念があるから。
25周年という節目に言えることは「次のSTEPも必ず自分で切り開くものは実現する」と感じている。
今は俯瞰して物事を見ている。そういう時期も必要なことなんだな、無駄じゃないんだなと強く感じる。
そうやって冷静に物事が見れて、客観的に今の足場を見ることができる。

世界のリスペクトする音楽とも共作することが増えた。
絵も欲しいと言ってくださる方や買ってくれる方ができた。
今はアトリエを持ち絵を描いたり、リズムレッスン、ドラムレッスンができ、カフェもあるスペースを持ちたいと考えている。そして世界中の素敵なアーティストとセッションしたいな。作品も作りたい。
そして海外ツアーにも行き、現地の人々を感動させたいな。

夢と現実。
始めに書いた、思い描いていたよりも幸せな出来事や結果。
思い描いていたことにはなっていない現実。
その両方があるのである。

売れるためにとか、若い音楽とか、そんなことは正直どうでもいい。
自分なりの本質や真理を突いた表現を追求、探求していきたいと思う。
それに継続の喜びや、継続の意味があると感じています。

プロデビューから25周年。今まで支えてくれた、ずっと応援して来てくださった方々へ感謝の気持ちを込めて25周年ライブを開催予定です。その日は、レアなアイテムも見れたり、感じれたり、購入できたりできるイベントにしようと思っております。ぜひ、皆様に体感していていただきたい。

まだまだ、ここに書ききれないことがたくさんあるので、それはまた今度。
最後まで読んでくれて、ありがとう。

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