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『天使の翼』第3章(4)~吟遊詩人デイテのネバーエンディング・アドベンチャー~

 (まずは、シャワーだ!)
 わたしは、アケルナル・キャットに、この中にはついてこれないことを言いふくめて、ブースに足を踏み入れ、心持ち熱めの湯を、全身に浴びた。たちまち、心の壁に張りついた最後の垢の残滓まで洗い落され、わたしの心は、自由に漂い出した……。まず長い髪を洗い、そして、いつもの癖で体を上から下へと洗っていく……いつしか、わたしは、シャルルのことを考えていた……おそらく、自分の乳房を洗っている時から……そして、自分の一番敏感な部分を洗っている時も……
 シャルルは、わたしが今まで知り合ったどの男性とも違った。
 外見のことではない――
 外見だけを言うなら、シャルルが足元にも及ばないような整った容貌と美しい肉体の青年がいくらもいる。だいたい、生まれつきでなくとも、お金さえ出せば、人は、別人になれるのだから……でも、シャルルは、まだほんの短い時間会っただけだけど、絶対に整形なんてことには、お金も、時間も……気持ちもさいたことはないはず……
 彼の持つこれ以上はない高い位階も、また、彼の本質とは何の関係もない――
 確かに驚きはするが、シャルルの物静かなたたずまいからは、そんなものは、微塵も感じられない。彼は、准王というタイトルを、盛装のように身にまとって歩いている訳ではないのだ――シャルルは、准王のタイトルに、何の衒いも持っていない。……もちろん、シャルルは、そのタイトルを、必要な時、最大限有効に使うに違いない。でも、それは、限られた目的のため、必然性を持って行使されるはず……
 シャルルは、平民なのかしら……
 ……たとえ貴族であろうと、それもまた、シャルルの真の姿を説明してはいない。
 ――そうやって、わたしは、シャルルをどんどん裸にしていった。余計なものを剥ぎ取ることはできる……
 その下に見えてくるのは、彼と視線を交わしたときの、一瞬雷に打たれたような鮮烈な印象……
 わたしは、シャルルのことをもっと知りたかった。
 いくつもあったろう選択肢の中から、彼が何故査察官という仕事を選んだのか?
 彼のギターの響き……
 そして、彼が思いを寄せる女性は?
 わたしは、物思いに沈んだままシャワーを終え、待ちかねていた猫と一緒に、無造作に選んだ保存食を食べた。温めただけの質素な食事だったが、久しぶりに清潔な自分の部屋で食べる食事はとてもおいしい。もちろん、アケルナル・キャットは、十分に満足していた……わたしの膝の上で居眠りする可愛い子……
 海からの風が心地よかったものの、暑いことには変わりなく、わたしは、ベランダの前に置いた寝椅子に横になったまま、いつしか眠りに落ちていた。
 ぴゅーと冷たい風が吹いて、目覚めたときには、もうアケルナルが水平線にかかろうとしていた。いつの間にか手から床へと滑り落ちた本は、風にページをめくられて、どこまで読んだか、定かでなくなってしまった……もう、この本――地球がまだ人類の生息可能な惑星として機能していた時代の古典小説――、読むのに二年がかりなんだけど……今度も、また、あまり先へは進めないみたい……
 夢も見ずに午後のひとときを眠りに費やしたわたしは、すっかり元気になっていた。アケルナル・キャットを連れて、コンドミニアムの前の崖下にある砂浜へ散歩に出ることにした。


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