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『天使の翼』第4章(12)~吟遊詩人デイテのネバーエンディング・アドベンチャー~

 クリプトンが次から次へと繰り出すハイテンションな曲を聴きながら、わたしの心境は、幾分複雑になりかけていたと思う。
 「いけない」
 わたしは、小さく声に出して立ち上がると、クリプトンのショーの終わる前に、楽屋へと引き上げた。人との比較の中に自分の歌を置くこと自体、間違っている。余計なことを考えると、自分を見失ってしまう。いろいろな経緯、いきさつはあったものの、クリプトンの歌は、クリプトンの歌、わたしの歌は、わたしの歌だ……今は、ただ、自分の出番に全力を尽くすだけ……
 わたしは、わたしのことなど何も知らない大勢のスタッフの行き交う大部屋の片隅に坐って目を閉じた……長年の経験で、すぐ心の小波が引いていく……クリプトンが、いくら隠そうとしても、自分の責任で吟遊詩人がいなくなってしまったことに引け目を感じて、歌に力みが入っていたこと……彼女のショーの終わった後、会場には、今まで聞いたこともないような、文字通り雷鳴のような拍手が沸き起こったものの、立ち上がったお客はほとんどいなかったという話……もろもろの想念が意識の外へと漂い出していった……
 いつもステージに立つ前、自然とそうなるように、祖母のことを考えていたわたしの思いが、フロアマネージャーの声によって破られた――
 「デイテ様……デイテ様――」
 わたしは、夢から覚めるように、おもむろにマネージャーの顔を見上げた。
 彼の顔に、一瞬どきりとした表情が浮かぶ。
 わたしは、笑みを浮かべて立ち上がった。
 今のわたしは、ほんの薄化粧で、顔のそばかすも黒子も全然隠そうとしていない。口紅だけは引いたが、それとても控えめな赤でしかない……無造作に肩を流れるブルネットの巻き髪……清潔だが洗い晒しの複雑なカットの白のドレス――ちょっと見ただけではワンピースなのかツーピースなのか分からない。ここだけの話だけど、腕と脚のところに鋭いスリットが入っていて、わたしは、これをときどき武器にする……
 どこから見ても質素な吟遊詩人――無名の歌い手……でも、一度わたしが歌を歌えば……
 わたしは、ギターを肩に、マネージャーの後を追った。彼は、無駄口をきかない主義なのか、途中一度だけ――
 「エレベーターでステージに登場しますか?……それとも、客席の間の花道を突っ切ってステージに上がりますか?」
 ――と、聞かれた。
 むろん、わたしは、後者を選んだ。
 緞帳の影の中に立って、わたしは、しばし会場を見渡した。改めて見ると――
 (広い!)
 こんなところで歌ったことはない――というか、避けてきたのだ……吟遊詩人向けの仕事場ではない。そして――
 (多い!)
 色とりどりの服装の、ありとあらゆる星々からの客人たちが、いまださめないクリプトンのショーの余韻の中に浸って、ワイワイがやがやと――さすがに高級ホテルだけあって騒々しくこそないものの――談笑している。
 幸いなことに、客席には、それぞれ、Sシート・ビジョンが装備されているようだ――それをかければ、どんな遠くからでも、まったく違和感なく、わたしの歌う姿を目の当たりにすることができる――
 わたしは、はっとして振り返った……

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