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『天使の翼』第3章(2)~吟遊詩人デイテのネバーエンディング・アドベンチャー~

 わたしを天使に叙任する式典は、翼の手術のときと同様、最低限の人員――宮廷付き司教ただ一人の立会いのもと行われた。華やかなファンファーレも、天蓋から降り注ぐ花びらも、一切なしだ。
 ちらちらと瞬く蝋燭の明かりに仄かに浮かび上がった祭壇の前で、跪くわたしの両肩に皇帝の王笏がそっと触れて、式は終わった。
 離宮の庭園の中、木立に囲まれたドールハウスのような小さな礼拝堂(チャペル)で、宮廷付き司教の唱える太古ラテン語の祈りに包まれて、わたしは、天使となった。明かりといえば祭壇の蝋燭だけの中で行われた式は、簡素そのものだったが、どこか秘教めいた神秘性を帯びて、深くわたしの心に刻み付けられた。
 そんなわたしの心持ちを察したのだろう、司教は――
 「これで、あなたは、いつでも翼を開くことができます」
 ――これは、わたしの一番聴きたかった言葉ではないだろうか。
 「あなたの行く道に幸あらんことを。……申し遅れましたが、わたくしは、トム・ジェフリーズ――どうかトムと呼んでください。わたくしは、陛下の御伽衆です」
 司教、いやトムは、標準年で五十台くらいだろうか、痩せた長身に、謹直な表情をたたえ、時折漏れる笑みが優しい――そして、その言葉も。わたしは、どちらかと言えば不信心な人間かも知れないが、今後告解するような事態に立ち至ったら、迷うことなく、トムに告解するとしよう……

 こうして、旅立ちの準備は整った。
 わたしにあるのは、天使の翼と、そして、使い古した一本のギター――何の武器も持たず、工程表もない。
 わたしは、ここへ来た時と同様、親衛隊のテナー大佐とその部下に身を委ねた。
 今度の彼らの扮装は、部下の一人、親衛隊の割には恰幅のよい隊員が、どこか首都近郊の裕福な小貴族、そして、テナー大佐ともう一人の部下がそのボディーガードという按配だ。
 「デイテ殿、あなたは、ある貴族のヴィラで招かれて歌を披露し、宇宙空間でちょっとしたプライベートな晩餐を楽しんだ後、インペリアル・スペース・ポートへと送り届けられた――そういう演出です」
 「分かったわ。即興はお手の物よ」
 帰途、会話らしい会話は、それだけだった。テナー大佐には、行きと違って、わたしが、ブラックホールほどにも重いものを心の中に抱え込んでいるのが、お見通しだったと思う。
 わたし達は、行きと逆の手順で、親衛隊の警戒艇で大気圏外へ出、そこでいかにも貴族趣味のスペース・ヨットに乗り換えた。
 ……これで、スペース・ポートに着陸すれば、最後に一芝居打ってお別れ――なんともあっけない。よくよく考えてみれば、ダウンタウンでさらわれてから、まだ6標準時間位しか経ってない――夜明けまでには、少し間がある……
 が、テナー大佐は、まだ最後に発言を残していた――いよいよ着陸という段になって――
 「デイテ殿、陛下は、最後の最後まで考えられて決断をなされました」
 「?……」
 「あなたを本当に一人で行かせるか、ということです」
 「……」
 「その方が、簡単に言えば怪しまれずにすむ……しかし、それでは、あなたが、あなたの目的以外のことで不慮の事故に遭うことを防げません。……私達三人、あなたの後を尾行しお守りします」
 わたしは、この意外な成り行きに、急に目の前が開けて、孤独から開放されたような気分だった。
 「……尾行されていると分かっているあなたにも、私達の姿は見えないでしょう。また、私達がいるということは意識せず行動なさるよう。あなたが意図しようとしまいと、私達は決してあなたを見失いません。――ただ、これだけは、言っておきます。私達がいるからといって、決して無防備なことはなさらないよう。あくまで自分の身は、自分で守ってください。私達は、最後の最後の手段です」
 わたしは、頷いて、自分を戒めた。至極もっともなことだ。
 やがて、スペース・ヨットは宇宙港のプライベート・エリアに着陸し、わたし達は、シナリオ通り、わいわいと賑やかに別れを告げあった――わたしが小貴族氏の頬に口付けをするというおまけ付きで……

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