【27歳】新卒からのズタズタなキャリア

今日はネガティブなタイトルです。

自分の頭の中を整理する意味も込めて
この記事を書くことにしました。

長くなると思いますし、
少々見苦しい内容かと思いますが
最後まで読んでいただけたら幸いです。

最近は時間的な余裕があるので
今までの自分について考えてみました。

考えれば考えるほど、自分には失望です。
一時は生活保護の受け方を
ネットで調べるくらいには病んでました。

今はそこまでではありませんが、
自分は社会不適合者だ、
普通に働いて生きていくこと
それ自体が向いていない、
くらいに思うことは多々あります。

ただ、この状況を苦しいと感じているのは
どこか自分へ期待しているのか、
はたまた、現状を変えたい!という気持ちが
どこかに燻っているんだと思います。

僕は同年代の中では転職回数が多いです。
経歴書を見れば「仕事が続かない奴」
という印象をもたれても仕方ないです。

大卒後から現在に至るまでの職歴を
簡単に書いていきます。


2018年3月 都内の中堅私立大(文系)を卒業

2018年4月 地方銀行に就職
2018年7月 退職

2018年8月 求人広告代理店にアルバイトとして勤務
2019年2月 退職

2019年3月 人材派遣のベンチャーに入社するもすぐに退職

2019年4月 業務委託の軽貨物ドライバーとして稼働

2019年5月 やはり一般企業に勤めたくて就職活動

2019年6月 求人広告代理店へ営業職として入社
2020年11月 退職

2020年12月 建設業の会社へ入社


とまあ、こんな感じです。
すぐに退職した会社を含めると
正社員としては既に4社目、、ちょっと多すぎます。

では詳しく書いていきたいと思います。

<学生時代>
まず、大学時代の就活は、
全然一生懸命やっていませんでした。
内定は2社、面接を受けたのも4社だけ。

地方銀行を受けた理由も

◆たぶんホワイト
◆土日祝休み
◆世間体もある程度良い

といった理由でした。
(もちろん面接用の能書きは用意してましたが)

<銀行員時代>
仕事でこれを目指してやる!とか、
同期の中で一番に出世してやる!
と言った情熱みたいなものは
全くと言っていいほどありませんでした。

退職理由は、特にこれが決め手!
というのはなかったのですが、、

小さいところでいえば、
飲み会は暗黙の了解で
強制参加(のような空気)、
1年目の行員は目上の人に酌して回る、
有給を取れば休み明けに全員に挨拶して回る
等々の古臭さに辟易したなどありましたが、、

世間知らずの学生が、仕事や社会に対して
幻想を抱いたまま放り出されて、
それと現実とのギャップを見せられて
勝手に失望したんだと思います(笑)

覚えていることは、先輩行員の
「俺だったら金融商品は
 銀行からなんか買わない。
 世の中もっといいのがごまんとある。
 ならどうすればいいか?
 客と仲良くなればいい。
 それで売れるんだ、楽勝だろ?」
という言葉。

先ほど「情熱みたいなものはなかった」
と書きましたが、自分なりに
「仕事は価値を提供するものだ」
という、仕事はこうあるべきだ
みたいな考えだけはありました。

そんな付き合いの商売で
お金をもらうなんて嫌だ!と。
そして衝動的に退職してしまいました。

今考えれば、そんなのは
いくつかあるうちの一つの意見で
それだけで判断したのは
浅はかだったと思います。


<広告代理店のアルバイト時代>
リクルート系の求人広告の代理店に半年ほど
正社員登用前提のアルバイトとして
お世話になっていました。

今となっては
なんでこの仕事をしようと思ったのか、
なんで入社したのか、正直覚えていません。

でもいい会社でした。
フレックス制で割と柔軟に働けたし、
会社の飲み会や、上司との飲みは
例えサシ飲みでも経費でした。

ただ、アルバイト雇用という状況に
焦っていたことは覚えています。

働きながら転職サイトは見ていました。
そんな時、ある会社からスカウト
(転職サイトによくありがちな機能)
を貰って、飛びつくように応募し
そして採用してもらうことになりました。


<人材系ベンチャー時代>
冒頭、すぐに退職と書きました。
そうです、焦って引っかかってしまいました。
広告代理店でアルバイトするときは
わかっていたはずなのに、です。。。

今思えば、後出しジャンケンではありますが
何度か面接に行って話を聞いているうちに
「あれ?なんかおかしいな、、、」
ってところがありました。

実際に入社してみると、求人票との相違が多々、、

◆勤務時間固定、土日祝休み⇒シフト制
◆残業代全額支給⇒固定残業代
◆賞与あり⇒配属先は賞与なし

加えて二重派遣に近い部分もありました。
まあ書いてみるとキリがないのですが、、

そんな感じで「ここにいたらヤバイ」
と直感的に判断し、すぐに退職しました。


<軽貨物ドライバー時代>
この辺から自分が嫌になっていましたね。
一般企業勤めは向いていない、
ここまで履歴書がズタズタになった自分を
採用するのはロクでもない企業だけだ、と。

結構絶望してました。
それでも食い扶持はなんとかして
稼がなきゃいけませんから、
ネットでなんとなく目に止まった、
軽貨物の配送ドライバーを
業務委託でやることにしました。

しかし、始めてから数週間と経たないうちに
事故を起こしてしまいました。

相手がいない、ただ自分の不注意で
車のリアガラスをぶつけて割ってしまった
というだけのものだったのですが。

代車の手配ができるまで稼働できません。
というか、事故がトラウマで
代車が来ても動く気になれない、
そんな気持ちでした。

リアガラスだけでなく、
メンタルも割れていましたね(笑)

やっぱり本腰入れて、
次が最後のチャンスと思って
一般企業に就職しよう、と思って
翌月に本腰を入れて就職活動を行いました。


<求人広告代理店>
先ほど書いたところとは別の代理店に
正社員の営業職として入社しました。

ここの仕事も(はじめは)そこまで
苦ではなかったです。

というのも僕はテレアポが苦手で
大嫌いだったのですが
ここの求人内容は「既存顧客のみ」

アルバイト時代も営業的な役割で
お客さんと接する機会はありました。
新規営業はダメダメのダメでしたが、
既存顧客とはそれなりに話もでき、
関係性を築けたこともありました。


しかしそれもアルバイト時代の話、、
正社員としてやってみると
数百社もある既存顧客を管理し、
関係性を築くだけでなく、
こちら側からアプローチを仕掛けて
売上を構築しなければならず、
その不足分は新規顧客の獲得で
カバーしなければならない側面もありました。


電話営業って、本当に嫌でした。
自分がされる側でも本当に嫌です。

突然かけてきて、頼んでもいない商品の案内
ただの迷惑行為ですよね。

いつしか、人様に対して後ろめたい、
悪いことをしているんではないか、
みたいな感覚に陥っていました。

そしてついには既存顧客すらも
こちらから上手くアプローチできず
営業成績はガタ落ちでした。
※求人広告の営業って、既存顧客でも
 アウトバウンド要素が強いんです。

そんな矢先、僕の仕事ぶりを見ていた役員から
いわゆる「退職勧奨」を受けました。

「お前、使えない、要らない」
というものではなく、僕の仕事ぶりを見て、
これ以上続けさせるのは危険、
このまま在籍し続けても
会社も僕もお互い不幸なのではないか、
下手したら僕が鬱になるんじゃないか、
くらいに思われていたようです。

在籍中、一度だけ月間MVP賞を取ったものの、
結局最後までほとんど業績は振るわず、
退職勧奨を受け、そのまま退職しました。

※でも、人や社風は本当にいい会社でした。
 今でもその役員の方と食事に行ったり
 当時の上司の方と飲みに行ったり、
 当時の先輩と定期的に会ったりしてます。

在籍中の最後の1〜2か月間は、
会社公認で転職活動をしていました。

退職にあたっての顧客の引継ぎだけを
最低限やればいい、次の転職先を探すことを
第一に考えるように、と言ってくれました。

しかし、コロナ禍で
さらに履歴書もズタズタでしたから
書類選考すら通りませんでした。

3〜40社ほど応募しましたが、
面接に呼ばれたのは1社のみ、
しかもよく調べたら、求人媒体では掲載お断り
とされているようなヤバイ会社でした。
もちろん辞退しました。

今までの自分を考えれば、
当然といえば当然の結果なのですが、
やっぱり辛かったですね。

世の中の全てからNOを
突きつけられているようでした。

この頃はもう、人生辞めたかったですね。
別にここまでの思いをしてまで
生きていたいと思いませんでした。

そして自身が担当していた
顧客の引き継ぎを行う中、
今在籍している企業(元顧客)に
「行くところ無いならウチで」
と声をかけてもらいました。

とりあえず、宿無しにはならずに済みました。

<建設業の会社>
そして在籍しているのが今の会社です。
ここからは現状の僕についてです。

建設業は、まさか自分が働くとは
思ってもいなかった業界です。
なんなら、敬遠さえしていました。

かと言って他に行くアテもありません。

働かなければ生きていけないし、
生きるのをやめるという選択肢も
(取る気になれば取れるが)取れないので、
そしてせっかく声をかけてもらった
という縁もあったので働くことにしました。

建設の現場に、監督の手元として同行したり
他の元請会社から、工事書類の作成を頼まれ
現地で測量を行い、
それをCADで図面に落とすなど、
少し身になるようなこともありました。

最近は、グループ会社で持っている
ビルメンの現場に作業員として行っています。
(ゆくゆくは管理側をやるという
予定ではあるみたいですが)

上手く言えないけど、
今の会社だけでなく、社会人になってから
ずーっと、「何か違う感」が拭えずにいます。
※拾ってもらった側でこんなこと言うのも
 おこがましいですが。。。

今の会社は決して、
ずっと働きたい業界ではない。

やりたい仕事があるわけではないけれど、
これらはどちらかと言えば
やりたくない仕事に近い。


建設業は基本的に土曜日も現場が動き、
必然的に休みも少なくなります。
(今はまだ休ませてもらいやすいですが)

ビルメンは、トイレ掃除やゴミ処理等もあり
若干潔癖なところがある僕にとっては
かなり精神的苦痛が伴う作業です。

たとえ人員を管理する側だとしても
携わるのは苦しいんじゃないかと思います。

(清掃業に携わっている人は絶対に必要です。
不快な思いをさせてしまうような表現で
申し訳ありません。でも僕は無理です。)


とまあ、こんな感じでここ3年ほど
絶不調なんですよね、仕事に関して。

大学を卒業して3年半経ちますが
いまだにズタボロです。
全て自分が悪いのですが、
めちゃくちゃ恥ずかしいです。

この過程で何かしらスキルが
身についていればいいのですが、
強いて言うならば、
多少のエクセルのスキルと、
2Dの図面作成くらい。。


それらと似た何かを扱うための
脳の筋肉はついたかもしれませんが。


だんだんこの歳になってくると(27歳)、
スキルなしの未経験じゃ
企業も採用してくれなくなってきます。

正直、相当焦っています。
いまだにやりたい仕事はなんなのか
どう言うことがやりたいのか
上手く言語化できません。

自分が恥ずかしいです。

ただ一つ、今の状況でずっといるのは嫌なので
何かしら行動をしていこうと思います。。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

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