人は成長できるところに飛ばされる
今いる場所に意味がある。
この世の中にはたくさんの人がいるんですよね。
ほんとびっくりする!!
東京にしても大阪にしても人がいすぎて目が回ります。
ずっと過ごしていても全然慣れない‥‥。
日本の外に行けばもっとです。
世界は広い。
めちゃくちゃ広い!
旅をする度知らない世界が気が狂うほど脳内を刺激する。
楽しいことばかりではない。
いつも心が叫んでいるのは
もうやめてくれ‥‥。
人は成長できるところに飛ばされる
海外に仕事で行けていいですね!すごい!
現在アクロバットの仕事でオーストラリアに滞在。
もうすぐ8ヶ月。
すごいことだと言われることもありますが、実はそうでもないことを自分でも実感しています。
何がって
日本に居続けても人でもすごい人はすごい!
と思うから。
謙遜でもなんでもなく海外で働いているからすごいとは何にも説得のしようがないからです。
日本にもいろんな人がいる。
こいつなんなんだ‥‥!?っていう人もいるけど、反対に
人間できてるなぁ〜‥‥
と感心してしまう人もたくさんいます。
両極端の人たちに揉まれるからこそ、自分の中の基準が出来上がって向かうべき道を定めることができるんです。
どれだけ自分と向き合っているかによって人間形成というものができるのではないかと思わされます。
要は自分を理解し他人を知ろうとするかで人生の見方が変わってくる。
今年でアクロバット歴26年。
今までにたくさんのアクロバットパフォーマーを見てきて共通するものがあります。
それは皆、体を動かすことがめっちゃ大好き(笑)
これは誰しもが思う想像通りのことですよね。
じゃないと全力を超えたような動きを好き好んで仕事にしたりしない(笑)
アクロバットをする人に共通するのはもう一つ。
イメージ力が高い。
練習も本番も含め、自分がイメージしたことしかできないものです。
反対にイメージできないものは失敗に終わることが多くあります。
何年もやってるような技でもイメージが崩れてしまうことで感覚がおかしくなることもあったりするのです。
アクロバットは少しでも感覚が狂うだけで怪我をする率が格段に上がってしまいます。
思いがけない怪我で、何ヶ月も活動できなくなるときもあるんですよね。
そんな仲間を何人も見てきました。
絶望して自暴自棄になって姿を消していく。
しかし仲間たちはほぼ全員必死にリハビリを繰り返して再び現場に戻ってくるんです。
人に優しくなっていたり、ハプニングに動じなくなったり‥‥
パフォーマーというよりも人間的に大きくなって帰ってくる。
本人たちじゃないからはっきりとはわかりませんが、
僕は彼らにとても必要な出来事と時間だったのではないかと感じたのでした。
もちろん怪我はしないに越したことはない。
痛い思いなんてしたくない。
怪我をしたことで周りに迷惑をかけることが多い。
そんな思いは1つでも少ない方がいい。
しかし結果として彼らは大きくなって帰ってくる。
しかも再び怪我をすることのない体になって‥‥。
僕の中の統計でしかないことですが、
大怪我をして何ヶ月も動けなくなってしまった人々はほとんど人格レベルが高まり別人になっている。
自分と向き合う時間が濃くなり何度も絶望を経験して希望も自分で見出す力を手にいれるからなのかもしれない。
人は生きているとさまざまなことにぶつかる。
それは全て必要なことなのかもしれない。
僕はオーストラリアにきてミュージカルに出演しています。
もちろん使うのは全て英語。
英語が堪能ではない僕にとって毎日が刺激ぶつ。
だから相手の言葉一つ一つを聞き逃さないように目を凝らすし
表情や仕草、周りの反応も見逃さらない。
というより見逃したら1人だけ置いていかれることになりますからね(笑)
そして日本人からするとオーストラリアのエンタメ業界の常識は常識破り(笑)
僕が今まで培ってきたことが何一つ通用しないこともあります。
そんな時は押し付けるのではなく受け入れる(笑)
あ〜なるほどね〜‥‥ここではこれが普通か!!
なんていきなり寛容にできたわけではないけど、毎日トライできる環境にいるということは少しずつでいいから学んでいきなさいということなのだろう。
さらに
シドニーで本番を迎える数週間前に僕はふくらはぎを痛めた。
今までに感じたことのない痛み。
違和感を覚えた時には時すでに遅く、僕の右足は激痛とともに歩けなくなってしまいました。
アクロバット人生初めての怪我。
僕は1ヶ月アクロバットから離れたリハビリをしながら過ごしました。
悔し過ぎる。
オーストラリアに来て何やってんだ!?
僕はアクロバットパフォーマーとして呼ばれてるのにアクロバットができないんじゃ何にも意味がないじゃないか!
「帰れ!」って言われてもおかしくない‥‥。
自暴自棄になり自分を責める日が続くのでした。
自分と向き合っていくうちに自分の考えを改めていくようになりました。
自分を責めても何も変わらない。
僕がオーストラリアにいる理由は、オーストラリアの人たちみたいに自分を存分に愛しておおらかに過ごす方法を身につけるためだったんじゃないか。
僕は日本を出てたくさんの波に揉まれてさらに怪我をしなければいけなかったのか。
そうまでしないと何かに気付くことができなかったのかもしれない。
だから日本に居続けていても気づける人は気づけるし、気づけない人は僕みたいに遠くに飛ばされる(笑)
全ては必然でその人にとって必要なものばかり。
考え方次第だけど、やはり人にはその人に似合う試練がやってくるんだと思うんです。
乗り越える乗り越えられないはまた別の話で、人は必ず成長するようにできているのかもしれませんね。
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