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手作りコロッケが、食卓から消える日

コロッケは、気軽に手作りしようとしてはいけない。
なぜなら、本当に身悶えるほど面倒臭い。

食材数は比較的少ないものに、工程が異常レベル
じゃがいもを蒸して潰して、刻んだ玉ねぎとひき肉と合わせて成形する。この段階で、既に他の料理よりも手間がかかる。
なのに、この後に揚げる。揚げ油は危険だし温度調整が難しく、油断するとイメージしていたきつね色より濃いめの、比較的焦げたコロッケが勢揃いする羽目になってしまう。

一度作ると、当分作らなくていいわ…と思ってしまうのがコロッケ。
そんなコロッケ、やはり手作り頻度が半減しているらしい。

残念だけど、これは納得感でしかない…。
こんな料理、共働き家庭で現実的ではないし、単身者ならコンビニやスーパーの惣菜を選択する方が合理的である。

コロッケの歴史を改めて振り返ってみれば、もともとは明治以降の洋食屋のメニュー。職業料理人が作っていたものを戦後、料理研究家が家庭に持ち込んだわけだから、コロッケは内食(家庭料理)から外食へ「元サヤに戻った」と思えば、少し心が晴れるのは私だけだろうか…。


今後消えてゆく家庭料理は、手間暇が伝わらないもの。

このコロッケをはじめ、これから特定の家庭料理は消えていくでしょう。
消える料理の共通キーワード「頑張った努力が見えにくいメニュー」と言える。

コロッケは本当に面倒。
平日に作るのは、現実的ではない。
かつ難儀なところは「その難しさが食べてもらう人に伝わりにくいところ」だと、私は思っている。

時間をかけて成形し、火傷の危険を冒して揚げて、
揚げ油の処理と大量の調理器具の洗い物を横目で眺めつつ、何とかコロッケを食卓に並ばせた時、その努力の対価として見合わないほど家族は大喜びはしない。過去つくった時短料理との差は特別なくて、いつものように箸を進めて、私の油臭い全身の労をねぎらってくれるわけではない。

家族からすれば、コロッケは、コロッケでしかない。
作り手は「なら、10分で作れる回鍋肉でよかったわ」なんて思ってしまう。
作り手にとって努力に見合わないメニューは、こうやって家庭から消えていくのかもしれない。

時代に合わせて、家庭料理は進化していけば良い。

何事も絶滅していくことは悲しいけれど、それはコロッケの選手生命が絶たれたわけではなくて、進化を求められているのだと私は思ってしまう。
(家庭料理にもガラパゴスの進化論が適応できるのかも)

共働きで効率的な料理しか作れない時代にあったコロッケにマイナーチェンジすればいい、コンビニ惣菜で味わえない存在にポジションチェンジしていけば良いのだと思う。

数年前に少し流行った、成形しないでオーブンで調理するスコップコロッケとか、じゃがいもに限らないで里芋などで作るコロッケは、これからの家庭料理の定番になっていくかもしれない。

家庭料理はレストランなどの外食料理とは違って、調理者のスキルも時代によって変化するし、調理に求めるプライオリティも変化してくる。

だから、目まぐるしく変化していく。
でも変わらない普遍的なものは、作る時の気持ちかも?

家庭料理はだから見ていて面白かったりするのです。


以上、私の日常茶飯メモでした。

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