十二月七日・八日@ウィーン

十二月七日

ここのところ全然外出してなかったのでパンも買っていない。家にある日本米を炊いて食べている。今住んでいる家は電子レンジがないので多めに炊いた米をチンすることができず、いつもおかゆかリゾット(というかおじや?)的な何かにして食べている。あと水が美味しくないのか米が美味しくないのか(何となく水のせいな気がする)ヨーロッパで美味しいお米を炊けたのはほんの数回だけである。

今日からハードロックダウンが解除され、ソフトモードになったので大学も開くことになった。開いているとは言え授業はオンラインだから学生が来ると言っても図書館の自習か何かを印刷しに行くだけだと思うが。一応図書館を使うのにも予約がいるらしい。私はありがたいことに自分のオフィスがあるのでいつでも気ままに訪れることができるのだが(同室のラボメンバーが全く大学に来ないから)。

今日はブダペストにあるBME(ブダペスト工科経済大学)という大学で毎年ボランティアで授業をしているが、今年も参加し今回は授業の最終日の発表の担当になった。というかウィーンに引っ越して忙しかったのでそのようにお願いした。当初(夏ぐらい)はブダペストでも対面授業を検討していた頃で私だけもしかしたらオンライン授業になるかもなどと言っていたが、ブダペストも感染者が多くてロックダウンになったので全て授業はオンラインになった。

六月の研究発表会でオンラインの発表は経験したが、あれは知ってる人ばかりだし人数も多かったので正直あまり違和感を感じなかったが、今回は知らない生徒ばかりだし8人ぐらいの生徒カメラはオフだし(私も必要じゃなかったオフにすることが多いので気持ちはわかる)、めちゃくちゃやりにくい状態だった。

今年で三年目で、一昨年、去年、今年と着実に成長しているとは思うが(最初の頃はもう思い返したくないほどである)、それでもスライドはギリギリまで完成しないし、なんか聞かれた質問にも納得できる形で返答できないし、毎回すごく申し訳ない気持ちになる。今回は昔よりはマシだけれど、それでも気持ちは最低に落ち込み、また深夜まで作業して寝不足だったので身体の調子も悪く、授業が終わった後はひたすら大学の回線でマイクラをやるという始末である。

マイクラの何がいいかというと、あれは本当に無心に作業ができて頭が空っぽになることだなと思った。本を読んでいても、映画を見ていても、SNSをしていても何かしら考えることが多くて、休みの時間と決めてやっていても頭も心も休んだ感じが全くしない。マイクラは一応自分が決めたゴールとかプランがあるから全く何も考えないわけじゃないけど、「あぁあそこの畑の小麦とかぼちゃそろそろ収穫しなきゃ」とか「他の人どんなもの作ってるか見に行こう」とかそういうことで、ひたすら歩いたり馬に乗ったり採掘したりで無心になれる。私が他にすることだと料理とかピアノもそれにあたるが、マイクラほどは集中することがない(多分そこまで自由度が高くないからだと思う)。

ただやりすぎは身体にはちょっと悪いと思う。特にマイクラをやり始めてから本当にパソコンの前から動かなくなったので(前は気晴らしに意味もなく外に出ていたけど最近は必要なときだけ)、もうちょっと健康に気をつけて運動しようかなと思う。ロックダウンが終わってお店が飽き始めたのでランニングの靴でも買いに行こうかな。その前に歩くことから始めた方がいいけど(とは言え土曜日は二時間ぐらい歩いた)。

当たり前だけど外に出ないとお金を使わないし、そういう面ではいいなと思った。まぁ貯金ができるほどたくさんお金をもらってるわけでもないのでそもそもそんなに使えるお金もないのだけれど。夜は大家さんがカリブ海から帰ってきた。

十二月八日

一応山の一つだったBMEの授業が終わったので後は論文だけということで集中できるはずだったが、昨日の引きずりというか過去数日間無理したせいで全然やる気になれず、そもそも今日はオーストリアの祝日だからどうでもいいやという気持ちになって一歩も外に出なかった。

またマイクラをやってただ無心にかぼちゃや砂糖の収穫、牛を殺して焼肉作り、鉄鉱石の採掘などを頑張り、初めて本を作って日記をつけたりした。だから何なんだっていう話であるが楽しい。

またNetflixで陳情令という中国ドラマを見ているがちょっとずつ見て全然進まないので数話みようと心がけるが、本当に登場人物が多すぎてもう誰が誰だかわからない。やっと二十五話まで来たけど最終話は五十話なのでまだこんなに見て半分なのかという気持ちになる。嫌なら見なければいいんだけど、二十五話も見たのにここで辞めるのはという気持ちがまだ勝っていて辞められない(つまらないというほどではないが、おそらく中国好きかイケメン好きかBL好きか何かじゃないとそこまで入り込むような話ではなさそうである。とは言えこれからあとのエピソードでどうなるかはわからない)。

夕方は先輩がMax MSPのワークショップを開催していたので参加する。私は実験でも使って自分でプログラムを書いたことがあるから別に初回はいいかなと思ったが、むしろ基本の基本こそおさらいしたり他人のやり方を聞くことで改めてハッとすることが多いので、今回も参加することにした。予想通り意外と知らないオブジェクトや機能があったりして参加してよかったなと思う(一応何かした気持ちにもなれたし、参加者だけど)。

今書いている論文も、前に一回投稿した分に追加実験を合わせて書き直している分で、何も学んでいないとは思っているけどさすがに数年単位だと何かしらは学んでいるようで、過去のコードとかを見ると一行で書けるところを五行ぐらい使っていたり、ちょっとしたミスを発見したりで、当初は最初の分析の分はもう終わっているからやらなくていいやと思っていたが、結局気持ちが悪くて全部書き直すことにしてものすごく時間がかかっている。先生はそれを理解してくれているから待ってくれているけど、こんなことしていたらいつまで経っても出来上がらないんだろうなという気持ちにもなる。

とは言え一度投稿してアクセプトされたらもう終わりなのだから、それまで気の済むまで拘ってもいいのかなと思う。もちろん私の初めて書いた論文程度で何かしら業界が変わるわけではないから多少ミスがあったってと思いつつ、そもそも数ヶ月の違いなんて長い人生から見たらそんなに重要じゃないし、なるべく綺麗な状態で提出するのはやはり必要だと思う(自分が遅い言い訳だろうか。とはいえコードが長いのは基本的に読みにくいことが多く、今やっているこの整理も後々には生きてくると思いたい…)。

その間にちょっと前に他のラボ(手法的には哲学・文化人類学系)の先輩と書いた音楽の起源に関するコメンタリーを提出し、見事アクセプトされたということで、これはとてもめでたい。full articleではなくて短いコメンタリーだし私は第一著者ではないのだが、でも二人のポスドクの先輩とワイワイ話しながらまとめた文章が論文に載るのは嬉しいことである。特に自分の指導教員やラボのポスドクではない外の人と博士課程のうちに何か書けたのは良い経験だし後々広い分野の人と繋がればいいなと思っている。