海外学振を書き終えて

海外学振とは、日本学術振興会の海外特別研究員制度のことである。私は海外の大学院に所属しているので、海外学振に応募するつもりはなかった。というのも、私の知り合いで海外学振を取ったことのある先輩は、みんな日本の大学院で博士号を取得した人たちばかりだったからである。海外学振は、日本の大学院出身の人に対する研究支援制度となんとなく思っていた(実際、海外で既に研究経験がある人はなぜ海外学振の支援が必要なのか説明する欄があるので、あながち間違いではないかもしれない)。

しかしウィーンに海外学振で滞在している方に『そんなことないですよ、むしろ海外経験があるからプラスかもしれないですよ』と背中を押していただき、ダメ元で出してみようかなと考え始めたのが3月中旬ぐらいである。ちなみに今年度の応募資格では、博士号取得が五年以内で、日本国籍を持っていれば誰でも応募できるということで、出身大学院が国内である必要はなかった。

出そうかなと思い始めてから締め切りまでは二ヶ月ほどあり、早速過去に海外学振に採択された5名に申請書を共有してもらう(本当にありがとうございました)。さらに自分の分野に近い音楽研究者の人にも連絡してみようかと思ったが、直接知り合いの人が誰もいなかったのでやめた。今回はやめてよかったと思う(後述)。

学振申請のコツが書いてあるウェブサイトとかブログを見ていると、一ヶ月前には第一稿を書き終えて、そこから色んな人に見てもらって推敲を重ねるべしと書いてあったのだが、一ヶ月前になっても全然書き終わってなくて徐々に焦り始める。さらに二週間前になっても全然書き上がっておらず、さらに急なほくろの除去手術もあったため精神的に不安定になり、パニックになる

それでもなんとか受入研究員の先生、現指導教員やラボメンバー、そして先ほどの5名の方にたくさんの助言をしていただき、なんとか締切当日に提出できた。そこからは腑抜けのようになにもしておらず、今に至る。

提出前、特に精神的に不安定だった頃は「そもそも業績がないから望みが限りなく薄いのになんで提出しようと思ったんだろう?やめようかな?」と思ったが、しかしやっぱり提出してよかったと提出一週間前〜提出後の今となっては思う。以下、その理由を述べる。

博論提出前に研究の位置づけができた

学振の申請書を書いてみてよかったなと思ったのは、自分の研究の位置づけを考えられたことだと思う。おそらくこの申請書を書かなければ、博論の内容も結構変わってたんではないかという気がする(特に序章と結論)。学振に限らず、フェローシップの申請書の構成は、フェローシップ中に施行する研究計画がメインとはいえ、これまでやってきた研究についても書く必要がある。過去の実験自体を変えることはできないけれど、どの文脈に置くかによって全然違うものになると思うので、申請書を書き上げたことで、博論がどういう文脈の中にあるのか、そしてこれがどう面白く展開するのかということを考えれたことは、とても有益だったし実際楽しかった部分でもある。

どの文脈に置くかによって、同じものでも全然違うように見えるというのは、自分が恵文社で働いていた経験に根付いているなぁと改めて思った。恵文社は本屋であり雑貨屋でもありギャラリーでもあるよくわからないお店(褒めてる)だが、実際売っている商品の中で恵文社でしか手に入らないものはオリジナルグッズぐらいで、全商品の1%にも満たないと思う。つまり99%は恵文社でなくても手に入る品物だから、わざわざ恵文社で買う必要はない。

しかしそれでも恵文社だからこの本の良さがわかったということは多々あるし、働いていた当時お客さんにもそういう言葉をいただいたことがある。例えば、この生活館の本棚というラインナップをみてみると、ほとんどのものは大手の本屋で入手可能だとわかる。しかし、大手のあいうえお順やカテゴリー別に分けられた本棚(文脈)の中で見るか、恵文社のようなそれぞれの本と本の間に繋がりがあるような有機的な場所で見るかによって、同じ本でも全く違う魅力があるように見える。

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自分のこれまでの研究や博論も同じで、申請書を書き上げなかったら、今までの成果をどの本棚に置こうかなと考えることがなかったわけで、博論自体は書き上がったかもしれないが、こういう大きな視点を持つことは研究の魅力を高めるためにも必要なことだと実感した(理論的には申請書を書かなくても考えることは可能だが、私のような怠け者は申請書でも書かない限り、頭を振り絞って考えたりしないので)。

受入研究員がどこまで真剣かわかった

他の方がどのように海外学振の受け入れ先を見つけているのかよくわからないが、私の場合は基本的な研究計画は自分で作って、この研究に一番興味を持ってくれそうな知り合いの中から探すことにした。知り合いの中でいなさそうだったら、自分がよく論文を引用したり読んだりする人たちに連絡をしてみようと思っていた。

幸い、自分の第一候補の先生が興味を持ってくれて、一緒に申請書を書こうとなった。フェローシップの申請書を書くのが初めてなので、そもそも受入研究員がどの程度サポートしてくれるのかよくわからなかったが、私の先生はすごく熱心に助言をしてくれて、とてもいいアイデアだから海外学振がダメでも、他のフェローシップに応募する気があるならサポートするよと言っていただいた。

自分の研究には常に自信がないのだが、申請書を書いてみることで、どの程度自分のアイデアが面白いのか、そして相手を真剣にさせるのかということがある程度客観的に知れたと思う。これは受入研究員の反応だけでなく、アイデアを一緒に考えてくれたり、申請書を添削してくれたすべての人からのフィードバックを含む。

受入研究員との関係性についてはそれぞれの好みがあるだろうが、私の場合、単に受け入れますよ(場所はあげるから研究は勝手にやって)という姿勢だけでなく、がっつりコミットしてくれるということが自分の専門性を伸ばすためにも必要だと思ったので、申請書の作成を通して、相手の本気度を知れたのはよかった。そして単に自分のしたい研究をするだけでなく、自分の研究が、受入の先生の研究にも刺激になり、恩恵があると信じている(だからおそらく先生も真剣になってくれたんではないかと推測する)。

「友達」が増えた

友達というのは、アカデミアの友達のこと。友達という言葉選びが正しいのかわからないが、学振の申請を通して、研究者仲間の縁を深めることができた。前述した通り、採択された申請書をもらうために、知り合いの方5名に連絡をして、その後書類をもらうだけでなく、面談していただいたり、私の申請書をチェックしていただいた。このやりとりを通して、申請書の書き方はもちろん、それぞれのこれまでの研究や分野の話がよくわかった。特に日本のアカデミアに友達が少ない私にとっては、学振の申請を通して、研究者の輪が深まったのはありがたかった。

今回は、元々繋がりがない人には連絡しなかったが、元来はそういう人々にも連絡する良い機会であると思う。学振の申請過程は、研究者の輪を深めるだけでなく、広げるチャンスでもある。本当は自分の分野に近い人に話を聞いてもらって、添削してもらうのが一番いいフィードバックがもらえると思うのだが、最初に書いた通り全然申請書がまとまらず、まともにみてもらえる時間を設けることができなかったので、最初に連絡した人のコメントをまとめて反映させるだけでいっぱいいっぱいであった。そういう意味で、今回は知り合いでない音楽研究者の先生に連絡しなくて良かったなと思う。次回はもう少し時間的に余裕を持って、新しい人脈作りに挑戦してみたいとも思う(と思う一方で、あまりにも分野が近い人だと、アイデアを盗まれたりすることもあるらしいので…知らない人に連絡するのは結構リスキーなのかもしれない)。


書き終えての感想はこんな感じだろうか。noteにはあまり学振の話が書かれていないようだが、早速見つけた二つの記事をおすすめしておく。

書いてみて良かったよかった三点の中に入れなかったが、私の場合、日本語で深く考えて申請書を書き、まとめあげるという作業に非常に苦労した。英語だったら簡単にかけたのかと言われるとそういうわけではないと思うのだが、英語は研究の共通言語であり、非ネイティブでない人もたくさん使うゆえ、あまり言語特有の表現というのはないと思う。もちろん科学の分野において、どういう言葉遣いが好まれるかなどはあるだろうが、非ネイティブがたくさんいる以上、言語に対する強い依存表現は必然的に減るだろう。

一方、日本語はおそらくほとんど日本人によって使用されていて、この海外学振の申請書もほぼ日本人の先生方に読まれることが想定される。そうなると、英語と比べるとやはり日本語特有の表現というのがより多くあると私は思っていて、これがネットで検索して出てくるような知識ではないため、過去の申請書を読み込んで勉強したり、私の分野の研究について日本語で書いている先生の文章を読んだりして、これが一番骨の折れる作業だった。

申請書を書くにあたって、中尾央先生の書き物を参考にさせてもらったので、この場を借りて感謝の意を述べたい(受かってもないのに連絡するのも奇妙だしここに書いておこう)。特に『人間進化と二つの教育 : 人間進化の過程において教育はどのような役割を果たしたか』は、自分の頭をぐいっと日本語モードに切り替えてくれる貴重な文献だった。経歴を見てみると、自分が学部生の頃に科学哲学の授業で非常に影響を受けた伊勢田先生の研究室出身ということで、世界は色々つながっているんだなぁと思ったりした。いつかお会いしてみたい。