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とある老人、黙して語らず。
はじめに
わたしは職業柄か、お年寄りの方と接する機会がとても多いです。
わたしは毎朝、道すがらに挨拶を交わすご老人がいます。
彼は雨の日以外の毎日、港務所(船の待合室)に設置してある椅子に座っています。
わたしはそこを通るたびに挨拶をします。
すると、彼も片手を挙げて「おはよー!」と笑顔で返してくれるのです。
その笑顔がわたしは大好きで、彼に会いに行くためにそこを通るほどです。
彼の手が好き。
彼は毎日、朝から夕方になるまでそこに座って過ごしています。
島民たちが入れ替わり立ち替わりに港務所にやってきますが、彼は静かにそこに鎮座してニコニコと海を眺めながら過ごしているのです。
そんな彼の笑顔は何もかも受け入れた、そんな表情をしているように感じています。
彼はもともと漁師で、今はすでに引退しています。
彼の手を見ると、節くれだった指は太く、がっしりしています。日に焼けて乾燥している手の甲と短く切り揃えた爪。
それが彼の仕事をしていた証を見せてくれているようで、彼の誇りのようで、その手に彼の生き様が表れているようでとても好きです。
彼がどのような人生を過ごしたのか、どのように考えて生きてきたのか分かりません。聞こうと思えば聞けるのでしょうが、おそらくのらりくらりとはぐらかされるのが関の山でしょう。
彼も昔の漢ですから、おそらく「黙して語らず」だと思います。
それでも、彼の海を見つめる目と、ふと見せてくれる笑顔に、わたしは彼の人生の深さを感じるのです。
『投影』からみるバイアス
この記事を読んでいる方がそんな彼の様子を見たとしたら、どのように思うのでしょう。
一日中何もせずのんびりとしているなんてなんて羨ましい生活をしているんだ、と思う人もいれば、人生なんて短いのに何もしていないなんて勿体無い、そんなふうに感じる人もいるかもしれませんね。
他者のことをどのように見るのか、それは人それぞれです。
良いか悪いか、という判断ではなく、大事なのはその事象を通して自分がどのように考えているかです。
人間は他者をフィルターに通すことによって自分を見ています。
この『投影』という現象で、自分の傾向を知ることができます。
投影とは、精神分析の概念である防衛規制の一つ。
感情などの、自分が心の中に抱いている心理的な要素を、自分ではなく他の人が持っていると捉えようとする心の動きを指す。
このことから、自分という人間が、どのようなバイアス(人の思考における偏り)を持っているのか知ることができるのです。
「人の振り見て 我が振り直せ」
自分が思う「○○さんのここが嫌い!」という感情は実は、自分の欠点だと言います。
自分が無意識に、自分のここが嫌い!というところを〇〇さんが表に出していることによって、自分の欠点が曝け出されているように感じるのでしょう。
よく、「人の振りみて 我が振り直せ」と言いますが、わたしは上記の心理的な意図を感じずにはいられません。
目から鱗、という嘘。
以前にイェール大学助教授である成田悠輔さんのTwitterを観てハッとしたことがあります。
「目から鱗が落ちた」と感じた時は赤信号。だいたいもっとヤバい別の鱗が目にこびりついただけだから。
物の見方が変わったからといって、それが真実だとはならない。結局は別のバイアスがかかっただけだということ。
そういうことを伝えているのかなと思いました。
おわりに
結局、わたしたちは自分が思う考え方や価値観で他者を見るしかない。
でもそれは当然のことです。
だから面白い。
バイアスがかかった人が他のバイアスのかかっている人のことをどのように捉えるのか。
そんなふうに俯瞰してみてみると、人間関係ってとても興味深く感じます。
そして、それを通して自分という人間が少しずつ自分自身で理解していると思うのです。
自身のことをわかるようになるのはいつになるのか。
きっと死ぬまで分からないままなんじゃないかと思います。
『無知の知』
わたしには知らないことが山のようにある、それを知っていることが大事ですね。
わたしは彼の笑顔が、手が、大好きです。
そんな大好きがもっともっと増えるといいなと思いながら、自分のバイアスと向き合っています。
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