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旅路にて。

少し遅めの内定式に出席するため、12月頭から上京していた。3ヶ月後には自分の拠点がここに移されているなんて想像ができない。けれども、「東京」という文化をこれから自分が共通言語として使えることに少し胸が躍る。もう目の前に来ている新生活。抱いていた漠然とした不安の解像度が上がり、少し自分の中で消化できた気がする。

初日から随分と東京を楽しんだ。けれどその楽しみはなんだか旅行とは少し違う。ここで生活する、というイメージを持ちながら訪れる場所たちは単なる一度きりでの来訪ではなく、ひとつひとつがいつもより意味や温度を持っているような気がしてならない。「またいつか」が、旅行より近く感じられるからなのかも知れない。

11月の誕生日に行ったトークライブのゲストであるなタ書の藤井さんに「東京行くんですけど、どこ行けばいいですかね?」とメッセンジャーを送る。ネットが普及して、自分で行きたいところをリサーチしやすくなった。けれど、敢えて他人に勧めてもらう。主体性のない旅行だが、なんだかそちらの方が自分では絶対に見つけられないものに出会えそうな気がした。今の自分にはない、辿り着けそうにないところからの刺激が欲しかったのかも知れない。

オトナリ珈琲の一択だよ!」

藤井さんが勧めるんだから面白いに間違いない、そして一癖二癖ある場所だろう(いい意味で)。自分には思いつかない方角を指し示してくれる藤井さんはなんだか変だけど面白い人なのだ。

神保町というまちのお店だったんだけれど、東京という騒がしさもありながら、古書店の多さにびっくり。昔から周りに大学があったことが由来らしい。「まち」は、そこに住む人たちの営みが滲み出すものなんだ、とはじめて肌で感じたような気がした。地域活性化とかまちづくりとか、専攻分野ではあるものの、最近「まち」を感じることが少なかったな、とこの時はじめて感じた。

東京って良くも悪くも「city」っていうイメージだった。キラキラしていて輝いていて便利で。一方で冷たくてごちゃごちゃしてて、うるさくて。それなのに、「まち」という息吹を、まちが生きているということを教えてくれたのは、故郷の徳島でもなく、大好きな高松でもなく、畏怖の対象、東京だった。

家探しをしていたから、中央線の沿線を一駅一駅下車して、家を借りるエリアを吟味していた。私は西国分寺〜高円寺あたりのエリアがものすごく気に入っていて。西国分寺では、イベントで縁があったクルミドコーヒーへ。

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国分寺ではクルミドコーヒーの姉妹店、胡桃堂喫茶店へ。

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西荻窪でも藤井さんセレクトのお店「のまど」という本屋さんへ足を運んだ。お店を目指して歩いていると、まちに並ぶお店からその雰囲気を感じたり、街ゆく人の顔つきや話し方から、生活の温度を感じた。ここに住んでみたいな、そう思える街だった。きっとこのまちなら、楽しみながら住める。生きることだけじゃない何かを感じながら生活できるんじゃないかな、と思った。同じようで、少し違う雰囲気をまとう東京でも西の方の街並み。このまちが、最も私に「まちの息吹」を感じさせてくれたように思う。

オトナリ珈琲の店主であるしば田さんに藤井さんに勧められてきたことを伝えると、戸惑いながらも喜んでくれた。「えぇ…。藤井さんの紹介で四国からはるばるうちに来てくれたのはあなたで2人目です…!10月にオープンしたばかりのうちのことをなぜ藤井さんは知っているんだろう。藤井さんとはマメに連絡を取り合ってるっていう関係でもないのに…お会いしたのは一度だけだった…?かも?」藤井さんは一体何者なんだ。それはさておき。

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しば田さんは栃木出身。最初は、今私が感じているように東京に怖さがあってくれたことを話してくれた。けれど彼女は同時にこう言っていた。

「東京は確かに便利で栄えていて、地方にはない輝きがある。けれどその一方で、私たちが住んでいた地方と同じように誰かを育ててきて、誰かに愛されたまちでもあることを、東京に住み始めてから感じることができた。」

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この言葉が私の中でものすごくしっくりきてて。確かに、便利で冷たくて、雑多な混み具合で。地方よりも消費のスピードが早いまちなのかもしれないけれど、スピードが違うだけで「愛することができないまち」という風に決めきってしまうことはできない。

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東京という場所も、そんなに悪い事ばっかりじゃないのかな、と思えた家探しの旅でした。

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ひとえに東京といってもいろんなまちがあるね。

コジキなので恵んでください。