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【雑感】不登校YouTuberの話を踏まえて思うこと

昨日、こんな記事を書きました。

記事の中では「ゆたぼん」と名乗る少年の「不登校は不幸じゃない!」という意見の背景にあるものについて考えた上で、義務教育という憲法の規定を考えた時に、大人は「学校に行かなくていい」を強調するだけではなく、代替的な学びの場を確保する義務があるのではないかと述べました。

そんな中で、今日は、こんな記事を読みました。

他にも不登校YouTuberがいたのか……という驚きの気持ちはありましたが、中身は非常にしっかりとした意見が続いていました。「教育機会確保法」等にも触れながら、とても丁寧な意見が書かれており、納得させられる記述も多くありました。

例えば、不登校者としての経験としてこんな記述があります。

もちろん、その先は自己責任ですから、学校でやってること、学ぶことを他のところで補う必要はあります。
それがYouTubeでも良いんじゃないかな。
僕も学校行ってないし、ほとんど勉強してこなかったですけど、マンガで漢字を覚えて、ゲームで計算を覚えてみたいな感じですよ。
YouTubeを撮る中でいろんな企画を考えるだろし、いろんな挑戦もしていくでしょう。
動画編集とか企画力とか学校じゃ学べないスキルも勉強できる。
他のYouTuberの動画を見ることで学びもある。
彼にとってはYouTubeが勉強なのです。

無意識のうちにYouTubeを学びの場から除外していましたが、確かにYouTubeを一つの学びの場とする価値観も全否定できるようなものではないと感じました。もちろん議論は必要だと思いますが。

また、価値観の変化という観点も非常に興味深いものでした。

20年前、インターネットやSNSが当たり前じゃない時代で考えると、確かに不登校は大変だったと思う。
でも今は時代が違うんですよね。学校でやる大半のことは学校以外でもできちゃいます。

これからの高度情報社会においては、旧態依然的な「学校知」(もっと言えば「受験知」)が役に立たなくなるという意見は確実に広がっています。私も、そうした価値観には共感しています。調べれば色々なことがわかる時代です。そのような時代にあって、学校に行く意味とはなんなのか、改めて問い直すというのは重要に思えます。

そういった意味では、学校というものに疑念を抱いて行かないという選択肢をとること自体は、非常に現代的な価値観であると同時に、意味のある行動であるとも言えると思いました。

ただし、記事の中では少々問題視した記述もあります。

これはあくまで僕の解釈ですが、義務教育の親が教育を受けさせる義務、というのはあくまでその環境を作ること。子どもが望むのであれば、受けさせる義務があるということ。
今回の件のように本人がそれを望んでいない場合は、義務を果たしていると考えていいのではないでしょうか。
子どもにとっては義務ではなく、権利なのです。

本人が学校に行きたくないという望みを表示しているから、環境を整える必要はなく「義務を果たしている」というのは、やや強引な論理だと思いました。せめて、「YouTubeという学びの場を確保している」ならば理解できますが。

どうしてこの記述が問題かと言えば、ブログの筆者が引用している「教育機会確保法」の理念とまさに反しているからです。教育機会確保法の目的は以下のように記されています。

教育基本法及び児童の権利に関する条約等の趣旨にのっとり、不登校児童生徒に対する教育機会の確保、夜間等において授業を行う学校における就学機会の提供その他の義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等を総合的に推進

読めばすぐに分かりますが、どんな状況の生徒も「普通教育に相当する」教育を確保できるように努めることが重要な目的です。そのために、教育支援センターやフリースクールを拡充・支援したり、専門家による支援の体制を整えること等を行うことが記されている法律です。YouTubeを「普通教育に相当する教育の場」とできるかは疑問ですが、ここでは触れないことにします。

しかし、本人が学校に行きたくないから、教育を受けたくないから「教育環境を確保しなくていい」は、教育機会確保法の目的とは反対の意見になっています。どんな子にも教育環境を確保することが大人の義務なのです。

また、私のTwitterでも述べましたが、この意見がまかり通ってしまったら、誰も勉強しなくなることも考えられます。勉強したい子どもなんてそんなに多くいませんから。それこそ「不登校は悪」になってしまうでしょう。

ですから、大人の義務は「教育環境を整えること」ということについてはある程度同意できるものの、子どもが望んでいなくても何かしらの教育環境を整えることまでが大人の義務ですし、場合によっては、ある程度「子どもを教育に動機づける」ところまで義務といっても過言ではないと思います。

不登校は問題行動ではない」という感覚はさらに広まっていくことが望まれます。ですから、こうした「不登校は不幸じゃない!」というメッセージは広がっていくことが期待されます。

しかし、教育環境をどんな時でも整備することが大人の義務であり、不登校問題と合わせて考えていく必要があることは強く主張しておきたいと思います。


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