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【雑感】「学校には行かなくてもいい」に抜けているもの

長かったゴールデンウィークも終わりました。そんな中でネット上で二つの記事が話題になっています。

一つ目は、とある不登校少年についての記事です。「少年革命家 ゆたぼん」を名乗っており、「不登校は不幸じゃない」というメッセージを発信し続けていると記事には書かれています。

もう一つは、小1の息子が「家庭内起業」をしたというnoteの記事です。おこづかいがもう少し欲しいという気持ちをキッカケにして、お金をめぐる仕組みについて学んだ様子が描かれています。

一つ目の不登校少年についての記事について詳しく書きたいと思いますが、彼にはかなり賛否があるようです。批判的な意見が非常に多くあります。その理由は色々とあるようで、親のブログや経歴についての問題であったり、本人やその周囲の様々な行動についての問題だったり、この記事の内容についての問題だったり……と色々です。

個人的にも、この記事についてはかなり問題視しています。主題は「不登校も悪くない」となっているようですが、その直後にこんな記述があります。

ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。

おそらく、彼の不登校観を支えているのは、学校教育に対する不要論だと思います。しかし、多くの人は学校教育を不要なものだとは考えていません。不登校になる子の多くも然りです。

特に、彼の元に相談を寄せると書かれている「死にたい」と考えているような子どもは、間違いなく「学校に行かなければならないが、行けない」という葛藤の中で生きていると思います。そうした子に向かって、学校教育は不要なんだという言葉がどこまで響くのかは非常に懐疑的です。彼は永遠にそうした子たちの理解者とはなれないのではないかと思うのです。

「死ぬくらいならば、学校に行かなくてもいい」というのは正しいと思いますが、そこには一つ大切な条件があります。それは、周囲の大人が、その子の「教育」を保障するということです。特に、小中学生は「義務教育」であるからなおさらです。

ところで、義務教育は誰にとっての義務でしょうか。子どもたちでしょうか。いいえ、違います。大人たちの義務です。ですから「学校に行かなくてもいいんだよ」という言葉は、本来は「きみが行けなかった分の教育は私たちが保障するから」という言葉と一緒に(大人が)述べる必要があるのだと思います。

「やらない善よりやる偽善」とは言いますし、不登校YouTuberの活動に救われる人もいるかもしれませんから、その活動を全否定するつもりはありません。しかし、私としては、彼の行為が「義務教育」の原理を揺るがす危険な行為だと考えているので応援することはありません。同時に、少年や彼のきょうだい達の「教育」が保障されているかとても心配です。彼もまた「教育」が保障されなかった被害者の一人ではないかと思っています。

一方で、二番目の記事で紹介された小学校1年生は、身近な悩みをきっかけにして大きな学びを得ることができた様子がわかります。特に、自分で考えて工夫している様子もうかがえますし、家庭教育も上手くやればものすごい効果を発揮することが分かります。

学校教育はたしかに万能ではありませんし、完璧でもありません。しかし、それでも受け入れられてきたのは、学校教育が一定の効果を持ち、また成長して社会に出るために(一人前の大人になるために)役立つからだと思います。

もちろん、それが全てではありませんから、足りないと思う方はぜひ二番目の記事の例のように学校以外を利用した教育をすれば良いと思います。また、苦しい・つらい時には、いま行っている学校以外にも「教育」の選択肢はあることを知り、休むことももちろん良いと思います。

ただ、同時に子どもたちは「教育」の機会が保障される必要がありますし、たとえ本人がやりたくないと言っていても、あれこれ工夫して学ぶべきことを学ばせるのは「大人の義務」だと私は考えています。それが「義務教育」の理念だと思うからです。

脳科学者の茂木健一郎が「学校以外でも学べる」とは言っていましたが、しかし「学校でも学べる」のです。学校以外で学ぶことを礼賛するならば、そうした環境をぜひ徹底的に整えてほしいと思います。非常に無責任な発言だと思います。

最後になりますが、こうした傾向は、不登校YouTuberが話題になる前から、かなり感じていました。「学校には行かなくていい」という言葉ばかりが一人歩きして、本来持っていなければならない「義務教育」の観点が抜け落ちていると感じることは割と多くありました。

本来のあるべき姿は「(こうした選択肢を確保したから)安心して学校を休みなさい」だと思うのです。しっかりその先を見据えた議論が大切です。

もちろん、義務教育でない高校生以上については別の議論となると思います。機会があればまた書きたいと思います。少なくとも今回の不登校少年は10歳とのこと。彼に、適切な教育が行われることを願ってやみません。

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