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【雑感】「時間稼ぎ」という言葉にあらわれるもの(後)

昨日のnoteの続きとなります。

今回の件については、「『時間稼ぎ』という言葉のもつ意味」、「課長の言い訳の稚拙さ」、「謝罪がないという事実」の3点から書いています。今回は、2点目から3点目について書いていきます。

課長の言い訳の稚拙さ

まず、担当課長は「効率的な調査という観点から弁護士に対する抗議の意味であの言葉(『時間稼ぎですか?』)を言ったようだ」と話しています。ここでの「効率」という観点についての問題点は昨日のnoteで触れました。

記事の中では、課長の方のコメントがもう少し紹介されています。再度引用しておきたいと思います。

重度の障害者本人と介護を担う家族の間には、認識の違いや利害対立があるケースもあり、本人が意思疎通が図れる場合は、家族に遠慮しない状態で本人に聞き取り調査をするのは当然の配慮だ。 「そういう配慮が必要なことも承知しておりますが、介護する人の家庭環境も調査の一つであり、ALSという重度の患者の調査に長い時間をかけるのはどうかという理解だった」と加藤課長は説明した。

このコメントもかなり恐ろしいものを含んでいると思いました。「ALSという重度の患者の調査に長い時間をかけるのはどうかという理解」という発言は、その前置きとなっている「配慮が必要という承知」がまったくできていないことを明白に表しています。

はっきりと言えば、まったく理解できてないのに「承知している」と言ってしまえるのが、怖いことなのです。

障害があるにせよ、ないにせよ、自分のことを一番よく知るのは自分です。今回の調査が「介助者に関する調査」であればまだしも、「介助の必要性に関する調査」である以上、本人の声は明らかに必要なものです。それは障害の有無にはよらないはずの話ですし、障害があるならなおさら配慮が必要な話です。

ですが、この発言からは「重度の患者の声を聞いても意味がない」というニュアンスさえ感じます。こうした発言の裏には、「訪問調査」の意義や目的が理解されていないのではないかと思わされるのです。

「効率」ばかりを意識し、「訪問調査」の意義もわかっていない調査だったのではないか、今回のニュースからは、単なる「差別的発言」という問題よりも、障害者をはじめとした「福祉」全体の問題が見えるような気がします。

謝罪がないという事実

「謝罪」の意義というのは難しいところです。謝罪すれば良い、謝罪すれば許されるというわけではありませんが、相手に不快な思いをさせたら謝罪するのはコミュニケーションの基本ではないでしょうか。

もしかしたら、今回の担当職員の方からすれば、ALSの患者さんは「コミュニケーションが遅い」と見えたのかもしれません。しかし、私からみれば、今回の不適切発言後に謝罪すらできない人たちこそ「コミュニケーションに問題がある」ように思うのです。

そして、担当課長の方のコメントにも引っかかります。気になるのは、「誤解を与えた」から「市長名で謝罪」するという点です。

「誤解を与えて、申し訳ありません」という謝罪は、コミュニケーションの受け手に対して責任をすり替えているように思います。まるで「誤解した方が悪い」と言わんばかりに。

そもそも、今回の「時間稼ぎですか?」発言は、差別的という観点を差し置いても普通ではない発言だと思います。そして、訪問調査の時に、差別など関係ない発言だとしても、相手が怒ったら謝罪するのが普通ではないでしょうか。

そして、そういう時に「誤解を与えて」と謝罪するのでしょうか。「市長名で」謝罪するのでしょうか。なぜ、本人が謝罪しないのでしょうか。

「謝罪をすれば良い」と言うわけではありません。しかし「謝罪もできないのは論外」であると思います。

現在の日本社会では謝罪が「パフォーマンス」化している印象を持っています。そのせいか「謝罪するよりも大切なことがある」という論調も強くあります。

もちろん、謝罪をするだけでは意味がないですし「謝罪よりも大切なこと」があることにも同意します。しかし、謝罪ができなくてもいいということが許されるという話ではないと思います。

今回のような問題が起こるたびに一つ一つ指摘していく大切さを感じます。

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