自己内省

話せない人と話せる人の違いってなんだろう。

僕の場合、言い換えると

「相手の意見を全肯定してしまう人」と

「相手の意見に対して問いを立てられる人」


さらに言い換えると、

「肩書きで見ちゃう人」

「ひとりの人間として見れる人」


肩書きが見える人はそれだけ意識してる人

憧れを持ってる人

肩書きというのは、

知ってるもの=その人の全て であるとブランドにしてしまってる人も含まれる。


でも、肩書きはその人の一部でしかない

有名大学に通ってるとか、インターンしてるとか

誰が知り合いだとか、どんな職業だとか。。


もしかすると、

そう見られるのが嫌だから、あえて名乗らない人もいるかもしれない。


自分のしたいことはなんだろう。

自分はなにをしてるときが楽しいのか、

ワクワクするのか、

反対に楽しくないのか、

どの角度からアプローチするのがしっくりくるのか、

それは「肩書き」なんじゃないのか。

「自分の欲しい肩書きはなんだろう」とも言い換えられるんじゃないだろうか。 


これは僕の偏見かもしれないけど

あくまでも1つの考えとして、

東大とか、早稲田とか、慶應とか、上智とか

東京とか、大阪とか、アメリカとか、イギリスとか

その場所にいるっていう肩書きが欲しいから

そこにいたいと思うんじゃないだろうか。


それは地元愛でもそうで、

そこにいる、関わってるって言いたい、

それが心地がいいから関わっているわけで、

見返りになにが欲しいとか、

相手にどう思われてるとか、そんなことはどうでもいいんじゃないだろうか。

きっと、そこにいる理由なんて

簡単に言語化できないんじゃないだろうか。

だからこそ、言語化できてる人はかっこいいし、

一目置かれる存在になれるんじゃないだろうか。



まとまりも糞もない文章になったけれど、

思ったことはちょっと吐き出せた。

これはこれで満足。


そんなことを考えている今日この頃。


p.s この気づきを与えてくれた友人、家族をはじめとする方々に感謝して

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