A.T.

真備町在住のサラリーマン。

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  • 2018.07.06 街が水没した日のこと。

    真備町住民による、災害発生時の記憶。 7/6~7/10あたりまでの事を自分の覚えている範囲で書いています

最近の記事

2018.07.06 街が水没した日のこと。(5)

07.09 06:45災害発生から三日目の朝、ようやく晴れた朝日を目にする。 昨日までの浸水が、急激に引いていった。 そして日が昇ってすぐ、どこからともなく聞こえてくるヘリの音。 実は月曜日という事もあり会社から、可能な人のみ出勤してくださいと伝達があったが僕は母親の容態が気がかりなため、自宅待機する旨伝えた。 そして付け加えるなら、治安問題も。 おそらく翌日から平日は出勤予定なので、母親には以下の点を確認した。 ・必ず戸締まりをする ・万一外出する場合、明かりはつけ

    • 2018.07.06 街が水没した日のこと。(4)

      07.08 05:00~そしてまた一夜が明けた。いまだ雨は止まず、水位も衰えを見せない。 この時点で僕は2つの予定を立てていた。 1. 物資の調達 2. 母親を実家へ一時避難(矢掛町) 1については、具体的に ・飲料用水 ・調理不要かつ日持ちの良い食料 2については、先方の状況と母親の体調次第といったところ。 避難しないまでも、シャワーや洗濯等は借りるつもりで。 懸案にしていた ・真備町<-->総社市 ・真備町<-->矢掛町 のルートについては、 という所でなんとか

      • 2018.07.06 街が水没した日のこと。(3)

        07.07 04:50~悪夢のような夜が明けた。 まずは周囲の状況を把握するべく徒歩で外出。自宅付近のみ軽く散歩する。 自宅の窓から外を見渡せば、岡田小学校付近には多数の車が停まっている。車中泊したであろう人たちが外に出歩き始めているのが見える。 まともに眠れた人はほとんどいないだろう。僕だってそうだ。 そこから東、そして南方面へと目を向ければ、一夜にして変わり果てた 街の姿を確認できた。 街は、水没していた。 端的に言えば、異世界だった。 どれだけ言葉を尽くそうと、

        • 2018.07.06 街が水没した日のこと。(2)

          07.07 00:30~コンビニからの帰路、可能な範囲で見て回る。 近所のゴミステーションとそのすぐ横にある川(後に決壊した末政川) 00:47緊急速報メール。小田川の箭田付近で河川が氾濫。(国土交通省) 07.07 01:00~帰宅後、母親に状況を説明。避難する可能性があることだけは伝える。 と同時に勤務先の同僚(真備町在住、2名)とも連絡を取り、お互いの無事を確認する。情報交換内容は ・お互いに緊急速報メールの内容を共有 ・避難所(学校)は既にどこもいっぱい ・イオ

        2018.07.06 街が水没した日のこと。(5)

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        • 2018.07.06 街が水没した日のこと。
          5本

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          2018.07.06 街が水没した日のこと。(1)

          はじめに 僕は真備町住民ですが、今回の災害で幸運にも水没を免れました。 ですから厳密には被災者とは呼べません。 これはそのような視点から見た、災害発生からの初動の記録です。 その点ご留意の上、お読みいただければ幸いです。 また努めて客観的事実を述べるようにはしていますが、 随所に主観的要素が混ざっています。ご了承ください。 2018.07.06 18:30 ~ 梅雨前線による連日の雨模様で少し憂鬱ではあったが、 定時に仕事を終えて帰宅。 身繕いしていた所、けたたまし

          2018.07.06 街が水没した日のこと。(1)