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2018.07.06 街が水没した日のこと。(2)

07.07 00:30~

コンビニからの帰路、可能な範囲で見て回る。
近所のゴミステーションとそのすぐ横にある川(後に決壊した末政川)

00:47
緊急速報メール。小田川の箭田付近で河川が氾濫。(国土交通省)

07.07 01:00~

帰宅後、母親に状況を説明。避難する可能性があることだけは伝える。
と同時に勤務先の同僚(真備町在住、2名)とも連絡を取り、お互いの無事を確認する。情報交換内容は

・お互いに緊急速報メールの内容を共有
・避難所(学校)は既にどこもいっぱい
・イオンモール倉敷の立体駐車場も長蛇の列
・高梁川沿いの工場が爆発
・川辺橋は既に封鎖済み
・486号線および山陽道(真備町のメインストリート)は冠水しました

そんなところだ。皆いずれも自宅待機予定。
3人の内、僕の自宅が一番南に位置しているのでしきりに心配がられた。

この日のルートと参考にハザードマップ(抜粋)を載せておきます。

この時点で避難すべきかどうか、僕はかなり悩んでいた。
もちろんそうするのが一番の安全である、とは言い難い状況だったからだ。
ハザードマップを見ればわかるように、主だった避難所の海抜は低い。
自宅は海抜15-16m程度。そしてそこよりも高い避難所は満員状態。山あい。

そして不安材料が他にもある。
それは母親の体調管理について。
血糖値の問題から定期的にまび記念病院に通院しており、かつ、
先々月に白内障の手術を受けておりしばらくは眼科への通院が必要な状態。

避難所という、ある意味非日常な環境でも無事だなどという保証は
ないのだ。いわゆる、住み慣れた我が家が、というやつである。

などという事を、僕は高梁川・小田川のライブカメラ映像と
倉敷市の公式ツイッターとNHKの放送とを見比べながら悩んでいた。
また情報共有の場としてdiscord(チャット用アプリ)があった。
幸か不幸か、知人に真備町民(僕)と坂町民(広島)と元・石巻市民の3人がいたからだ。

07.07 04:00~

答えは出ないまま、時間だけが過ぎていく。

振り返って、あの時どうするべきだったなどと言うのはあくまで結果論に基づいた発言に過ぎない。臨機応変に最良の選択肢を即断できるような能力も常時の心構えも僕にはなかった。

この時の僕が考えていたのは、どんな状況になろうと母親の安全確保を
最優先しよう、という点だった。
聴こえは良いが、それはつまり他のすべての優先度を下げるという意味だ。

07.07 04:07

そしてここに来て、最後通牒とも言える緊急速報メールが届く。

04:07
真備地区全域に避難指示(緊急)の発令。
直ちに高台に避難してください。

だが僕は結局、母親とも相談して『避難しない』という判断をした。
時間の経過とともに干潮による高梁川、ひいては小田川の水位の低下を
期待したからだ。
車の準備とモバイルバッテリーと車載用カーチャージジャーの確認だけは
しておいた。

・食料・・・数日分
・飲料水・・・1週間分
・生活用水・・・浴槽の残り湯いっぱい

現状の備蓄と呼べるのはこんなものだ。避難しないということはすなわち
物資の確保を自分で行うという意味になる。
ただ粛々と夜が明けるのを待った。

夜明けよりも少し前の末政川の水位。(07/7 04:42撮影)
画像が荒いのは僕の精神状態のせいだとお考えください。未編集です。

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