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2018.07.06 街が水没した日のこと。(4)

07.08 05:00~

そしてまた一夜が明けた。いまだ雨は止まず、水位も衰えを見せない。

この時点で僕は2つの予定を立てていた。
1. 物資の調達
2. 母親を実家へ一時避難(矢掛町)

1については、具体的に
・飲料用水
・調理不要かつ日持ちの良い食料

2については、先方の状況と母親の体調次第といったところ。
避難しないまでも、シャワーや洗濯等は借りるつもりで。

懸案にしていた
・真備町<-->総社市
・真備町<-->矢掛町
のルートについては、

という所でなんとかなりそうだった。

07.08 11:20~

まずは東。総社市内へ。

僕の心配を他所に、この時点でルートは特に混雑はしていなかった。
ホームセンターでポリタンク・給水袋・簡易トイレ等を探すものの、
あえなく全滅。皆考える事は同じなのだ。

ただ道中のコンビニで目についたパンを買い漁った。おにぎり?ないよ
僕の朝食はしばらくバナナパン確定だ。

そしてトイレを借りる。当面、こういう事はできる限り出先で済ませておくつもりだった。

07.08 12:30~

「どこかで落ち着いて腰を下ろせる所で食事がしたい」
という母親の要望で、総社市内の某寿司茶屋へ。幸運にも店内は
空いており、余裕を持って座敷につくことができた。

「おいしい」
「そうだね」
最後に食卓についてから実の所一日半程度しか経っていないが、
ずいぶん久しぶりだと、その時の僕は確かにそう感じた。

そうやってしばし食後のひとときを過ごしていると、
カウンター越しにお昼のニュースの映像が目に入ってきた。
自宅のテレビが映らないのでわからなかった母親はこの時初めて
水没した真備町の映像を目にしたようで、
さすがにショックを隠せなかった様子だった。

僕は・・・あらかじめ知っていたし、当事者としての意識はあったものの
それがこうして全国区で大々的に報道されると、少し哀しくなった。

確かに、真備町のそれが一番ショッキングだったからだ。

僕は支払いを済ませ若い店員と世間話をした後、笑顔で感謝を述べ
帰途についた。勿論、真備町民であることは告げていない。
ただ、他人と無性に会話がしたかっただけなのだ。

07.08 13:00~

東から西へ
自宅へ戻り、着替えや洗濯物を用意して
今度は母親の実家がある矢掛町へ出発する。

物資は積んだまま。日の明るい内に物資を余人の目に晒すのが怖かった。discord内でも人災については当初からかなり警戒していたが、
こればかりはどうにもならないものだ。

通常なら西へ一直線なのだが、北から大きく迂回して山間部を蛇行する。

一部崩落により迂回を余儀なくされる地区はあったものの、
無事目的地へ到着した。

当然だが、被災したのは真備町だけではない。
実家は比較的高台にあったため無事だったが、一時は南の道路まで
冠水していたという。だが低地にいる別の親戚の家は二階まで浸水したため早々に避難したとのこと。

僕たちはお互いの無事を喜び合い、まず遠慮せずにシャワーを借りた。
最後の入浴からまだ一日半だが、これは大いにありがたかった。

実は昨夜濡れタオルで身体を拭いた時、結構驚いた。
タオルがリトマス試験紙のように色が変わったからだ。匂いもあった。
長袖長ズボン帽子マスク装備で徒歩で歩き回ったからなのだが。

それから溜まっていた洗濯物の処理。
既に被災地周辺地域のコインランドリーは朝からフル稼働中なのだ。

07.08 16:00~

幸運な事に、帰宅途中のガソリンスタンドでポリタンクを購入できた。
20L x 2。

帰ってきたその足で、給水所へポリタンクをぶら下げていく。

流石にこれは少し無理をしたようで、この後数日間、
肩から腕の筋肉痛に悩まされる事になる。

とは言うものの、物資調達に関してはある程度の目処がたった感じだ。

その後、辺りが暗くなってから、物資を自宅に運び込む。
こればかりはどうにもならないのだ。

明日こそはポリタンク用の台車を手に入れよう、そう思った。

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