見出し画像

スペースのすゝめ



書こうと思ってもなかなか書けない。書きたいことが決まってないと書けない。書けないんだけど頭では何かを考えている。心では何かを感じている。それをとりあえず言葉にしてみたらいいのではないか、と考えたので今こうして文章を書いているというわけだ。

でも考えることを俯瞰してみるとどうやら私の頭は考えることをやめてしまうようだ。

そんな時はTwitterのスペースを開く。

スペースを開きながら今この文章を書いている。

・・・

スペースを始めた理由は単純で一人喋りができる人に憧れたからだ。「ぼっち・ざ・らじお!」での青山吉能さんの一人喋りが面白すぎるので憧れてしまったのだ。憧れてしまったらそうなるために行動するしかないのだ。そんなこともあって一人喋りの練習を始めた。

とはいえ最初は不特定多数の誰かが聞いている場で自分の声を晒すことはとても恥ずかしかったので家散歩をしながらぶつぶつと話すことを繰り返していた。

そんなことを繰り返していると、ふとスペース開いてみるかという心の声が聞こえた。いつもは恥ずかしくてその声を無視していたのに、その日は何だか大丈夫な気がしたので勢いでスペースを開いてみた。

10分ほどの短いスペースで参加者は私しかいなかったが、ずっと緊張していた。でも妙な達成感はあったし、私でもできるんだという自信も湧いていた。

そこから不定期ではあるが、スペースを開くことが多くなった。

・・・

私のスペースを聞きに来る人は稀で、ほとんどは一人で開いて誰も来ないまま閉じることが多い。誰もいなくても誰かに聞かれている感覚があるので常に背筋が伸びながら作業ができる。

私は人の目を気にしがちな性格なので人に見られている、ここでは聞かれているであろうスペースという環境のおかげで作業に集中することができている。そのため、最近は部屋の掃除や文章を書きたい時にスペースを開いて作業をしている。

誰も来なくて悲しいし、誰か来てくれたらとても嬉しいのだけど、私は一人喋りが苦手な上に、人と会話することも得意ではないので誰も来なくてスペースを閉じる時に少しホッとする気持ちもある。

誰かに失望されずに済んだなと思ってしまう。あの人の一人喋り面白くなかったなと思われずに済んだ、あの人との会話面白くなかったなと思われずに済んだ、そう考えて安心してしまう私もいる。

・・・

スペースを開くと作業に集中できるのだが、私がスペースを始めた理由は一人喋りができる人に憧れたからだったことを思い出す。

作業に集中している時は喋ることを忘れてしまっている。聞き手がいる時には何か話そうという意識があるので話し続けることができるのだが、私のスペースには聞き手がいることが稀なので大部分は話し手(私)、聞き手(私)の状況になっている。その時に私は話すことを忘れてしまう。

これを書いている今も話すことを忘れてしまっている。作業に集中したい気持ちと一人喋りの練習をしたい気持ちの間で揺れている。

明日は一人喋りのためにスペースを開こうかなと思う。もしよければ聞きにきてください。

サポートしていただけると嬉しいです。頂いたサポートは思考をより豊かにする活動費として使いたいです。