母が元気なうちに読んでおきたかった|『くもをさがす』
母が亡くなった時に、人は本当に死ぬんだと自覚した。それまで人が死ぬことは分かっていたがそれは「いつか」のことであって「今」ではないと考えていたからだ。
それから数年経って私は西加奈子さんの『くもをさがす』という本を手にとった。
西加奈子さんが乳がんを患った同じような時期に母は同じような病気を患っていたことを知った。
母は数年間治療を続けていた。病気を告知された当初の私はそれをどこか遠い人のことのように捉えていた。同じ家族の身に起こったことにも関わらず。
とはいえ、母の病気のことを無視していたわけではない。通院に付き添ったり、母から病気の話を聞いたりしていたが、どこか他人事のように考えていた。だから病気の話をされても話題を変えたり、母が少しでも暗い気持ちを見せると居心地が悪くなって笑い話を始めたりした。
すぐに治るだろうという安直な考えがあったからだと思う。それは母はまだ元気に見えたからだ。病気を告知される前と変わらず元気に生活していたからすぐに治るだろうと考えてしまったのかもしれない。
母のことを、母の病気を真正面から考えることができていなかった。家族として一緒に生活はしていたが、母の気持ちや母の病気を知ろうとしていなかった。
何事もなかったように、今まで通りに、普通の生活を送りたい、そんなことばかりを考えていた。
母が行きたいと言った場所や、やりたいと言ったことを忙しいという理由で私は後回しにしていた。母が元気なうちにやれることを一緒にやっておけばよかったという後悔はいまだに残っている。
それから母の容態は悪化していき、寝たきりになることが増えていた。そこで私はやっと、ことの重大さに気がついた。母はもしかすると近い将来死んでしまうかもしれない、ということに。
そうなって初めて私は母の気持ちについて考えるようになった。母の病気について調べるようになった。
母と過ごす時間が増え、母が行きたい場所や、やりたいことを積極的に叶えることができた。とはいえ、元気がなくなった身体では行ける場所や出来ることは限られていた。だからこそもっと早く行動に移すべきだったのだ。
生きてほしいとは思いつつも、残された時間が少ないことも考慮に入れながら母との時間を過ごした。一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたりする些細な日常だったが、それが貴重な時間だと自覚しながら過ごせたことは今の私にとってとても大きな出来事だった。
母の治療生活後期において、私は大きな後悔はなかった。もちろん小さな後悔を挙げればキリがないのだが、一生かけて悔やむような大きな後悔はなかった。
それは母の治療生活が長かったことや、母の死を意識し始めてから時間が残されていたことが大きい。
しかし母の治療生活前期に関しては後悔が大きい。元気なうちに一緒にできることはたくさんあったからだ。治療生活の初期に恐怖や孤独を共有できたはずだからだ。
私は数年という長い時間を無駄にし、数ヶ月という短い時間を必死で駆け抜けた。
『くもをさがす』には病気を告知された時からの恐怖、辛さ、苦しさが書かれていた。それと同時に支えてくれる人の大切さも書かれていた。私が数年かけて気がついたことがこの本にはたくさん込められていた。母が元気なうちに読むことができていたら母の孤独や恐怖を少しは軽くできていたのかもしれない。もっと大切な思い出を増やすことができていたのかもしれない。
私が数年かけて学んだこと、そして本書で学んだことを亡くなった母のために生かすことはできない。しかし、私にはまだ大切な人たちが残されている。そして私もまだ生きている。生きている人たちとの残された時間のために私は今日も生きようと思う。
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