『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』を読んで
最近身体の回復に心の回復が追いついてきたという感覚がある。ここ最近本を読んでも内容が頭に入ってこない状況が続いていたけど今日はなんとなく書店に行きたいという日があった。
書店という空間で時間を過ごしたいと思う日だった。静かで落ち着いた空間がいつだって私を暖かく迎えてくれる。
いつものようにまずは哲学コーナーへと向かい気になっている本に手を伸ばす。次にコミックコーナー、話題の本コーナー、文庫、文学へと足を運ぶ。海外文学でも細かく分類されているので、アメリカ文学、イギリス文学、フランス文学と進んでいき、韓国文学コーナーの前でふと足を止める。
そこで『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』という本に目がとまった。
本を手に取りパラパラとページをめくってみる。カバーのそで部分に書いてある著者のコメントを見て購入を即決した。
この本が暖かく心をそっと包んでくれることを期待して家に着く。私の期待に応えられたら良い本、そうでなければ良くない本なんて短絡的な発想をするわけではないが私はいつだって本を読む前に期待を込めてしまう。たぶん私は本に救いを求めているのかもしれない。
そんなことを考えながら読み始めた。
ヒュナム洞書店に入り、店主のヨンジュと出会う。そこから先はヨンジュとその周りの人たちの人生と生活についてのお話を聞かせてもらっているような気持ちだった。
時間も忘れてあっという間に読んでしまった。
せっかく時間を費やして本を読むなら何か有益なことを得なければならないと考えてしまい、かえって集中して本を読めないことが多い中、この本はそんなことよりも本を読んでいるこの瞬間が楽しいならいいんじゃないかと思わせてくれた。
風に揺られて舞い降りた木の葉が水の上で揺蕩っているような物語だった。木の葉が大木から切り離されてしまったことや地面に舞い降りたことや水の上で揺蕩っていることが失敗ではない。どこにいても私の人生は存在しているし、存在してないように感じたときは取り戻したいと感じた。
人生について考えるときにどうしても労働を主役にしてしまう。どう生きるかとはどう働くかという意味だけではないんだけど、生き方=働き方と考えてしまうくらいに労働が私たちの生活において多くの時間とお金に関わっているのだとすれば、生き方を問うことは重要である。
生き方は働き方ではない。生き方は生き方だ。働かなくていいというわけではなくて、働き方によって生き方が食い尽くされてしまう経験があるからこそ、働き方と生き方を別軸で考えられるようになりたい。
でも生きていくって何なんだろう。物事を再定義する時はいつだって迷ってしまう。悩んでしまう。悩み迷っている時は決して出口に辿り着かない暗いトンネルの中にいるように感じてしまうけど、この本を読んでいるとそんなとき私は揺蕩っているんだろうなと感じた。
揺れ動いて気持ちが定まらない状態は不安定で速く効率よく進めるわけではないので、私はダメな人間なんだと思ってしまうことが多かったけど、そんな風にして人生が進んできたのならこれはこれで今の私の生き方なんじゃないかと思えた。
社会の普通とか、周りの期待とか、良いか悪いかのような呪縛にとらわれて緊張しながら生きてきたけどそれが呪縛だということに改めて気付かされた。
もちろんそれに気がついたところで簡単に呪縛から解放されるわけではないし、私は水の上を揺蕩う木の葉のような存在だから風が吹けば抵抗できないくらいの自由しかないかもしれないけど、コントロールできないことには身を任せながらこれからも揺蕩っていこうかな。
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