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【短編小説】存在


 蟻を殺した。殺してしまったと言った方が適切だろうか。とにかく殺意がなかったことだけは強調しておきたい。たまたま踏んづけてしまっただけなのだ。そんな言い訳を並べても蟻を殺した事実が覆ることはないと分かっている。
 とにかくまずはこの死体をどうにかしないといけない。遺棄するわけではなく埋葬したいのだ。いや、火葬が正しいのだろうか。蟻はどのようにして死者を弔うのだろうか。蟻の死生観について考えてこなかったことを悔やんだ。
 手軽だという理由で埋葬することにした。手軽だという理由で。庭に植えてあるプチトマトの苗の側に小さな浅い穴を掘ってそこに殺してしまった蟻を埋めた。 
 手を合わせて祈ろうとしたものの、どの神様に祈りを捧げればいいのか分からなかった。いや無宗教の可能性も否めない。蟻の信仰心について今まで考えてこなかったことを悔やんだ。
 私はいったいどうやってこの罪を償えばいいのだろうか。どのような罰が与えられると私の罪は償われるのだろうか。
 そもそも罰とは、本人への反省や教育のため、被害者への救済のため、その他の人々への見せしめを行い抑止力を高めるためという意味があるように思えるが、罪との釣り合いという観点から考えると蟻を殺したのだから死刑ということになるだろうか。
 死刑とは何をもって罪人に対しての最大の脅威となっているんだろうか。人は死を避けたいと願う生き物だということを前提にしているのなら抑止力にもなるし、罪に対する最大の罰として成り立つのかもしれない。しかし死にたいと願っている人に対しては最大の脅威となるのだろうか。それともこのまま生かしておいては人類もしくは地球にとって損害がこの先も出続けるであろうという前提のもとなのだろうか。しかしそれなら終身刑として身体の自由を奪うことでも目的は達成されるだろう。
 罰を持って罪を償えるのなら、もしある個人がその罰を予め受け入れているとするならばどんな罪でも犯して良いことになるのだろうか。無断駐車罰金一万円の駐車場は一万円を払えば駐車しても許されるのだろうか。罪が罰として打ち消され続けるのだろうか。なんだか釈然としない。
 そもそもこの国では蟻を殺しても罪に問われない。罪に問われないならば私は罪を犯していないのだろうか。罪がなければ罰もないのだろうか。これも釈然としない。法律で禁止されていないことなら何だってしていいわけではないだろう。これは倫理観の問題だ。
 外では蝉が暑い日だということを思い出させるようにミンミンミンミンと忙しなく鳴いていた。
 そうだ、今日は暑い日だったのだ。暑いからアイスを食べようとキッチンに向かう途中だったのだ。その途中で蟻を踏み殺してしまったのだ。そうだとするならば、暑さも一連の殺蟻に関わっていると言えるのではないだろうか。それならば罪に対する罰の一部を暑さにも担ってもらうことにしよう。
 いや、そもそも暑さに対して行為の責任を求めてもいいのだろうか。暑さはそうしない自由を持ち合わせていたのだろうか。暑さは私をキッチンへ向かわせることによって蟻を踏ませる意志があったのだろうか。暑さに自由意志がなければその行為の責任を問うことはできないのかもしれない。
 しかしどうやって暑さに自由意志があることを確認すればいいのだろう。そもそも暑さの主体が誰なのか分からないし、仮に暑さの主体を見つけたとしても同じ言語を共有していなかったらどのように確認すべきだろうか。
 まずはあのアイスを食べよう。冷蔵庫でキンキンに冷えているあのカップアイスを。蟻がいないことを慎重に確認しながら冷蔵庫へと向かいカップアイスを取り出す。蟻がいないことを確認しながらそろそろとリビングへと戻る。
 ゆっくりと腰を下ろしカップアイスを机の上にそっと置く。アイスの蓋を開け、スプーンでカチカチに固まった白く美しいバニラアイスクリームの感触を楽しむ。優しく優しくそっと撫でる。カチカチでサラサラな感触が食欲をそそるがまだ食べるタイミングではない。ぐちょぐちょに溶けるまで待ってから口に運ぶのが最高の食べ方なのだ。そっとそっと撫でることを繰り返していくとカチカチなアイスが段々とトロトロでぐちょぐちょなクリームへと変わっていく。その柔らかなクリームを口へと運び、その舌触りを楽しむ。舌先の体温でさらに溶かしてから喉の奥へゆったりと流し込む。最後にくちびるに残ったドロリとしたバニラ味のクリームをペロリと舐める。冷たく優しいアイスクリームが身体全体だけでなく心まで溶かしてくれるようだった。
 外を眺めると太陽は真上から人々を見下ろしていた。蝉は相変わらず忙しなく鳴いていた。窓から流れ込んだ生暖かい風は忘れかけていた暗くて重い罪悪感を運んできた。アイスを食べて気持ちが少し楽になったとはいえ、問題の根本が解決したわけではなかったのだ。
 部屋にいても冷静に物事を考えられないので散歩にでも行こうかと思ったが、外の方がより多くの生き物が暮らしているのではないか。私が他の生き物を知らず知らずのうちに苦しめてしまう可能性が広がるのではないか。私が人間として生活しているだけで他の誰かを加害してしまうのではないかと怯えた。
 他者との違いは加害性にも被害性にもなり得る。人間であることによる加害性とは何だろうか。私であることによる加害性とは何だろうか。しかし、そればかりを気にしていると身動きが取れなくなってしまうのでどこまで許容するかどうかが問題である。
 そうやって加害性を正当化していいものだろうか。強者はすぐに自らの加害を正当化しようとする。都合の悪いことを排除して単純化する流れが進んでしまうと、多数派や権力者のような所謂強者とされている側が弱者とされている側を排除することが容易になってしまう。
 しかし、弱者とされている側を排除したとしても残った人たちの中から新しく弱者とされる人が選ばれる。そうやって弱者の排除が続いていくのではないだろうか。
 元々は様々な基準がある中でたまたま強いとされる側にいたはずだがその他の基準を排除していき世の中での物差しを統一してしまうことはとても怖い。
 世の中には様々な価値基準があり、様々な特徴を持った人々や生物がいるのに、限られた価値基準や特徴を持つ人だけが優遇されそこに当てはまらない人は排除、もしくは差別の対象になることがあっていいものだろうか。いつの日か人間としての弱者性が露わになって初めて己の行為を後悔するのだろうか。
 唐突にざあざあと雨が降ってきた。さっきまであんなに晴れていたのに。天気なんて人間の心のように変わり続けるものだ。そんなこと考えていたって仕方ない。
 考えるより先に身体が反応した。洗濯物を干していたのだった。蟻がいるかどうか確認することも忘れてどたどたとベランダへと走った。慌てて洗濯物を取り込んだ頃にはもう雨は上がっていた。たったこれだけの出来事で自己肯定感が蝕まれることがあると知った。
 晴れた空の下、再び洗濯物を干した。シワを伸ばしては干す。シワを伸ばしては干す。毎日の繰り返しの作業はうんざりして嫌気がさすことがある。
 家事の大変さと素晴らしさはもっと広まってほしい。満点ではなくとも毎日八十点を叩き出す素晴らしさを。毎日毎日同じようなことの繰り返しの中でも八十点を出し続けることの素晴らしさ。そもそも毎日行っている時点で満点だとは思うのだけど。
 散歩に行くことにも怯えている私だが、明日は母のお見舞いに行く日だから外出しなければならない。

 その明日を待たずに母は亡くなった。それは嘘みたいに空が明るく爽やかに晴れた日だった。私が蟻を殺したその日に母は死んだ。
 母の意向もあってお通夜とお葬式は身内だけで行ったが、それでも悲しむ暇がないほどにやることが多く忙しかった。
 やっと一段落ついて部屋に戻った頃に悲しみがじわじわと私の心を覆っていった。
 母は長らく闘病生活を送っていた。余命が宣告されたわけではなかったが、日に日に衰退していく母の姿は先がそう長くないと思わせるには十分だった。それは私たち家族にとっては不幸中の幸いだった。母が死ぬまでの心構えができたし、母がやりたいこと、母とやりたいことを可能な範囲で叶えることができた。後悔を数え上げればキリがないけれど、大きな後悔は消すことができたと思う。
 母は自分のやりたいこと、やりたくないことを熟知しており、それを上手に伝える能力も持ち合わせていた。コーヒーを飲みながら山の向こうに沈む夕日を眺めたり、朝の海辺を散歩したりと、残り時間の少なかった母の願いは日常を丁寧に生きることだったように思えた。
 母がいつか死ぬかもしれないことは覚悟していたので私は毎日悲しみを積み立てていた。こうすればいざその時が来ても大きな悲しみにはならないと思っていたからだ。しかし現実はそうではなかった。毎日食べていてもお腹は空くし、毎日寝ていても眠たくなるなら、毎日悲しんでいても悲しくなるのも当然なのだろう。
 長くて暗い夜だった。まとわりつくような暑さと込み上げてくる悲しさが私を寝かしつけてくれなかった。睡眠剤を飲んでようやく眠りにつけたと思ったが、きっちり一時間後には目が覚めてしまった。どうせ今日はもう眠れないだろうと覚悟を決め、少し外を歩くことにした。
 小さな月が申し訳なさそうに夜空に浮かんでいた。母が死んでも当たり前のように夜がやってきて、当たり前のように月が浮かんでいて、当たり前のように人々は眠りについているのか。大きな声で叫びたかった。母が死んだことをみんなに知らせたかった。母が死んだならもっと多くの人が、世界中が悲しんでほしかった。母のために泣いてほしかった。一人の人間が死ぬことは世界にとっては些細なことなのだろうか。母が死んでも世界は変わらずに回り続けている。その事実は希望にも絶望にもなり得たが、今の私にとっては大きな絶望だった。世界中に無視されているような気分だった。
 気分が大きく変わることなく家へと戻ってきた。むしろ酷くなったようだった。こんな時はアイスクリームを食べようと思った。確か冷蔵庫にもう一つ残っていたはずだと思い、汗ばんだシャツを脱ぎながらキッチンへと向かったその時だった。
「あっ」
 足を上げるとその場所には小さな黒い命が横たわっていた。


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