書けない日々、書きたい日々
2024/03/04
「何か書きたい」と思う日がある。
しかし、その日に限って書きたいと思うトピックが浮かばない。
じゃあ今日は書くのをやめようかとも思ったんだけど、書きたい感情や思考が浮かんだときにちゃんと文章にできるように、書く練習をすることも必要なんじゃないか。
だからこうして今は書いている。書いているうちに書きたいことが見つかるのではないかという期待を込めながら書いている。
文章を書いているという表現は本来適切でないのかもしれない。私は今スマホでこの文字を打っているからだ。スマホだから入力しているという表現の方がしっくりくるかもしれない。
こう考えると私はいつから文章を書いていないのだろうか。
高校生の頃は確実に文章を書いていた。大学生はどうだろうか。パソコンで作業することは増えたがまだ文章を書いていた。
社会人になってどうだろうか。名前を書いたり住所を書いたりする機会はあるので文字を書くことはあるが、文章は書いていない気がする。
少なくとも文章を書く機会は段々と減っている。
しかし、文章を入力する機会は段々と増えてきたのではないかと感じる。もっと正確に言うと文章を生み出す機会は増えてきたとは思う。
他にやることもあるので今日はこれで終わりにしよう。
こうやってある程度の文字を入力しておけば後になってこれに気がついた私がもっと膨らまして文章にしてくれるはずだと信じている。
2024/03/05
今日も文章を書きたいと思う。いや何か文章を生み出したいと思っている。
「生み出したい」という表現はなんだか大袈裟すぎるような気がする。でも間違ってはないのだろう。
昨日は結局何かしら文章を生み出して記事を投稿できた。書けない書けないと言いつつも書き出してしまえば何かしらアイデアは浮かぶのだろう。
今日もそうなるといいなという期待を込めてまた書いている。いや入力している。
アイデアが浮かばないと言っているが、頭ではたくさんのことを考えているし、心ではたくさんのことを感じている。
それを「いかに自覚できるか」が大事なんじゃないか。
2024/03/06
今日も何か書きたい。
しかし何も思い浮かばない。本当は思い浮かんでいるのかもしれないが、それに気づけないでいる。
こんな時は朝からの活動を振り返ってみればいいのかもしれない。
朝目覚ましをかけて起きた。一度起きたけれどスヌーズ機能を信頼して二度寝した。
こんなことでもよければ記事にして投稿してみようか。ここからいかに文章を膨らましていけるのだろうか。自信はないがとにかくやってみよう。
2024/03/07
今日も何か書きたい。その欲にはすぐに気がつく。
ダラダラ考えているのが良くないのかもしれない。たとえば10分など時間を決めて思いついたことを書いていけばいいのではないだろうか。
とにかくやってみよう。思いついたことを書く。いざ始めてみるとなんだか緊張してしまって何も出てこない。
「ピーピー」
もう10分がすぎたのかと思ったが、どうやら洗濯が終わったらしい。洗濯物を干した後にまた考えよう。
時間を設定しても書けないものは書けない。とはいえ、書けないと嘆いているこの気持ちを文字にしているじゃないか!
そうだ、文章を書けないと悩んでいる間に書いたこの短文たちを集めたら、ひとつのテーマを持った文章になるのではないか。
ということで、今日は書けない日々の書きたい日々を書いた気持ちをここに納めておこうと思います。
みなさんは書けない時にどうしていますか?
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