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ぐるぐる話:第34話【黒田節でカシャン!】 @4988


「いまの話・・・すみれさん・・・ウソはないんだろうね?」


ふだんは絶対に見せないような、固く厳しい表情の木綿子がすみれに向かって訊ねた。


「はい・・・日記をつけているので、記憶違いもありませんし、ウソと言われるようなことは何一つお話していません・・・」


負けないくらいの厳しい表情ですみれもまっすぐに木綿子の瞳の奥の奥を見据える。


「そうかい・・・わかった・・・辛かったね・・・そんなたいへんなことを全部ひとりで抱えてきたなんて・・・」


小指の腹で涙をぬぐいながら木綿子がすみれの手の甲に自分の手を重ねた。


「ところでね・・・すみれさん・・・あなた・・・確かさっき身寄りがないって話してたね?でもここで仕事をはじめる時には未成年だったろ?だったら、後見人が必要だったんじゃないかい?その後見人は?誰にお願いしているんだい?」


「それは・・・その・・・今ここではお話できません・・・もう少し・・・状況が変わったらきちんとお話させていただきますが・・・今はまだお話することはできない事情があって・・・でもご相談に乗っていただいたからには、きちんと全てのことをお話しするつもりでいます。ただ・・・今は無理なんです。お話できるようになるまで、少しお待ちいただくことはできませんか?」


「そうかい・・・すみれさんがそこまで言うなら何か深い事情もあるんだろうからね・・・話せるようになったら話してくれたらいいよ・・・でもね、ひとつ確認させてくださいよ?まさかとは思うけどその後見人っていうのはここの女将ではないだろうね?」


「いえ・・・それはありません・・・」


「そうかい・・・わかった・・・じゃあ、あとのことは私に任せておきなさい・・・決して悪いようにはしないから・・・」


求められるがままに木綿子と握手を交わすと、すみれは龍之介と木綿子に見送られ、立ち上がった。背中に杏の掌を優しく感じながら、すみれは欅の間をあとにした。


木綿子は、すみれを見送るとすぐに万年筆のキャップと大きな黒い革張りの分厚いノートを閉じて、そのふたつを卓の上において目を閉じた。


***


木綿子が電話を切ると30分もしないうちにその3名はやってきた。


昼間の仕事をしている時とはまるで別人のように美しく仕上がったすみれは「和葉」と名乗り、あわい黄色の襦袢、鴇色の振袖には雲と鶴が大きく描かれていた。槇姉さんとすみれが呼んでいた芸妓は「市乃」と名乗り、白い襦袢に七宝花菱が描かれた漆黒の着物。最後に部屋に入ってきたのは、「勝也」と名乗る桂姉さんだ。白い襦袢に白緑の着物地、幸菱の模様をちりばめた上品な着物を纏って、手にはお三味を携え、帯には撥がささっていた。


部屋に入るなり全員が一列に正座をし、大袈裟なまでに品をつくり、三つ指
をついて挨拶をした。

こんな場面に居合わせたことがない杏と龍之介は、居心地が悪そうにしながらも三人の艶やかさから目を逸らすことができない。完全にこころを鷲づかみにされた。


「さっそくで悪いんですけどね・・・実は折り入ってお願いがあるんですよ。そこにいるすみれさんから、ちょいとお話を聞かせてほしくってね、お座敷に呼ばせてもらったんですよ。だから・・・その・・・唄や舞踊やゲームなんかは別にしていただかなくてけっこうなんです。その代わりといっちゃなんですけどね・・・皆さんからも少しこちらの楓屋さんのお話を聞かせてもらえないかと思っているんですけど・・・いかがでしょうか?お願いできますかしら・・・?」


そう言うと革のカバーをつけた大きなノートを顔の横に持ち上げて、大袈裟に笑って見せた。


「それは・・・どういった内容なんでしょうか?私たちお座敷だと思ってこちらに伺ったものですから・・・急に、そう言われましてもなんともお返事のしようがなくて・・・」


「ああ・・・そうですね・・・突然なんの前触れもなしに、こんなお願いしては失礼でしたね・・・申し訳ありませんね・・・実はね・・・ちょっと話しずらいことなんですけどね・・・すみれさんから・・・その・・・色々とお話を聞いてしまって、聞いたからには彼女をこのままにはできない・・・って思っているんですよ・・・私がお話していることお分かりになります?」


言いながら木綿子は芸妓の市乃と地方の勝也のふたりへ交互に食い入るような視線を送った。


ふたりは戸惑いの表情を浮かべたあと、ほんのわずかに目配せしたのを木綿子は見逃さなかった。そして思う。もしかしたらこの二人も女将と同じようにすみれさんに辛い想いをさせているのではないか・・・女将とこの二人はグルなんじゃないか・・・と一瞬だけ身構えるような気持ちになる。気まずい沈黙の中、いちばん年長の勝也が意を決したように話しはじめた。


「どこまでご存知なのか、わからないのでどうやってお話すればいいのか今少し考えていたんですけどね・・・もしも・・・その・・・お客さまが本当に私達の話を聞いてなにかしらのお力をお借りできるのならば、もちろん、全てをお話することやぶさかではありません。けれど・・・本当に暗くて長い話で、とてもお客さま相手にできるような話ではないんですよ・・・話すことで返って失礼になりはしまいかと、少し心配しているのですが・・・」


「いいえ!そんなお気遣いは無用です。慣れていますから・・・。実は私ね地元で民生委員をしているんですよ。そういったこともあって、人様からたくさんご相談を受ける機会がありますし、また、そんな風に困っている方のお役に立てたら・・・っていう想いでここ20年ほど暮らしておりますからね・・・お気遣いいただいて嬉しくは思いますけどね、それよりも大事なことがここに渦巻いているような気がしてならないんです。・・・お話聞かせていただけませんか?」


木綿子の気迫に押されたかのように、ふたりはその後、堰を切ったように話し始め気づけば時計の針はどちらも12のすぐ近くまで迫っていた。


***




それはある暑い夏の日のことだった。その日、ある人の紹介で久谷焼で人間国宝に推薦された有名な人の作品が、はるばる海外からやってくると言って女将は大はしゃぎだった。金額的にはそうたいしたものではないけれど、その器を三島由紀夫が長い間使用していたことで、相当な価値になったという代物だった。小さな浅い花器には黄色い百合が一面に描かれ風雅というのにぴったりの作品だったらしい。


その花器とともに、三島由紀夫がサインをしたという四部作、春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰が一緒にやってくるというから、若い頃から熱烈な三島由紀夫ファンの女将がはしゃぐのも無理はなかった。


普段より一段高いところから物を言う女将に、楓屋で働くものはみな振り回されっぱなしで、夕方には疲れと暑さでぼんやりしてしまうほどだった。朝からずっと荷物の到着を待っていた女将は、ついにはイライラを募らせて、近くにいる人間に当り散らす始末だった。


やっと荷物が届いたときにはもうとっぷりと日は暮れていた。ちょうどその日は宿泊客がいなかったこともあり、久谷の器とその本のお披露目をかねて宴を開こうという話になったらしい。


そして・・・そこで事件は起こった。


楓屋では、閑散期に必ず全員参加の宴が行われていた。吞んだり歌ったり、またお座敷チームには三味線、舞、ゲームなどの進行役があてがわれ、すみれや槇、桂は、座ることなどできないくらいに大忙しの1日になるのが常であった。


宴が盛り上がってきた頃、かなり酔った様子の女将が大声で叫んだ。


「ちょっとちょっと!そこのお姉さん達!今ね私!いいこと思いついたのよ!さっき届いた久谷の器持って、黒田節踊ってちょうだいよ!ね!いい!黒田節よ?踊れるでしょ?」


そう言いながら、女将は宴会場にある舞台の袖へ三人を追い立てた。そして舞台の中央においてある久谷の器をすみれの手に乗せると、ぴょんと舞台から飛び降りて正面に正座をして座った。


周りのスタッフも半ば呆れながらもパラパラと拍手をしていた。とても断れるような雰囲気でなくなってきたため、三人は女将にリクエストされた通りに黒田節を披露するはめになった。すみれは手に久谷の器を、槇は手に三島由紀夫の本を、桂は撥を右手にお三味を弾いた。


と・・・二人が舞台の上で踊り始めるとすぐに、酔っている板前たちが舞台に上がって悪ふざけをはじめた。すみれや槇のまわりをウロチョロしながら大笑いするその様子を、すみれは胸が悪くなるような気分で睨みながら舞を舞った。そのとき・・・ひとりの男の手がすみれが持つ花器にあたり、花器は舞台の袖へ向かって弧を描いて飛んでいった。そして「カシャン!」という乾いた音をたてて粉々に割れてしまった。


その時の女将の激昂たるや凄まじいものだったらしい。周りにいたもの全員が身動きできなくなるほど、喚きちらし、その辺にあるものを手当たり次第に投げ始めた。それはグラスであり、中身があいたビール瓶であり、皿であり、料理であった。先ほどまでうっとりと眺めていた四冊の本は、無残にも飛んできたビール瓶の餌食となり、ビショビショのグシャグシャになっていた。

女将の暴走を止められるのは、すみれしかいなかった。取り乱す女将に近づき張り手をされながらも、女将を抱きかかえるようにして宴会場をあとにする様子を、ほかのスタッフは申し訳なさそうに見つめながら散らかり切ったその場所の後片付けをはじめた。


その後からだった。しばらくすると、お座敷のあとすみれだけ女将に呼び出されるようになったらしい。それは月に一度のこともあれば週に一度のことも、1週間毎日続くこともあったそうだ。


槇も桂もすみれが何をしているのか、おおよその見当はついていた。けれど、ふたりとも女将に弱みを握られていて、いくらすみれが辛く悲しい想いをしていたとしても、すみれを助けてあげることができなかったという。

すべての話を聞きながら、木綿子は事細かにメモをまとめていた。そして時々口を挟んでは色々な質問をしていた。


スタッフの人数は何人いるの・・・15名?

それで、この楓屋さんには労働組合はあるのかい?ないのね?

じゃあ、労働者代表は?え?いない?あ、そうなの・・・。

1日の労働時間と残業の時間を教えてくださいな。

そう?ずいぶん残業してるのね?ちなみに36協定は?え?知らない?

ご自身のお部屋に戻ってから次の出勤までの時間は8時間ありますか?

週何時間働いていますか?月にしたら?1年にしたら?どれくらいですか?

有給休暇はとれていますか?


などなど・・・木綿子はこと細かに三人がどのようにこの楓屋で仕事をしているのかを訊ねた。そしてある程度の話をすると、お姉さん方にはお引取り願い、すみれの話を聞くことになったのだ。


***


腸(はらわた)が煮えくり返るほど木綿子のこころには女将に対する強く烈しい怒りの気持ちがわいていた。間違いなく勝てる・・・けれど勝ったあとはどうする?それぞれに生活があるのだ。ここで仕事をしているから、生きていかれている、生活が成り立っているのだ。それをすべてぶち壊すわけにはいかない。どうするのが皆にとっていちばんいい結果につながるだろう・・・。


考えれば考えるほど頭の中がわちゃわちゃしてしまい、少しも考えが纏まらない・・・。さっきからずっと黙ってその様子を見ていた龍之介が、小さな声でボソッと呟いた。


「まずはこの話が事実かどうかを木綿子さんから女将に確認してもらって、その上で労働組合を作るか、労働者代表を選ぶかを決めてもらう・・・そして就業規則を作ってもらう・・・その手助けをしてあげる・・・っていうのはどうですか?おそらく女性ひとりでがむしゃらにやってきた感じだし、誰も今まで助言をしてくれる人がいなかったのかもしれない・・・そんな風に僕は思うんですけど・・・どうでしょうか?」


「龍ちゃん・・・あんたは本当に人ができてるね・・・。そうだね、勝ったところで誰も笑顔になりはしないなら、勝ちもせず負けもせずに皆が幸せになる方法を考えるのがいちばん賢いのかもしれないね!あたしゃ短期で喧嘩っぱやいからさ・・・龍ちゃんみたい、いいお婿さんがいてくれて本当に有難い・・・いやあ・・・助かったよ!」


そう言って木綿子は笑った。



【 第35話につづく 】4986文字


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