一時代に生きる、私は私が一時代を生きているのだ実感する、次の時代のこと、かつての時代のこと、将来、国はどうなっているであろう、できることはないのであろうか、私には創作くらいしかできることがない、危機感だけはある、だから、残すのだ。
国について。
私は一時代を生きた、人間だ。
時代に生きた私の考えを、記す。
日本が、絶望と苦しみの道を歩むこととなるのは、いうまでもないだろう。
新しい産業が生まれ、国を豊かにせむとする若者が出てきては、潰そうとする老人どもによって、成長をすることも許されず、外国に先を越され、人口の減少は進んでいくという悪循環を繰り返す。
変えるという名ばかりの政治が、永遠に状況を閉鎖的にする。
政治は、特定の団体の利益を優先し、永遠に変わることなく、既得権益を優先し、圧力により、変革はもみ消される。
終わりへと近づいていく。
優秀な人達は、国の危うさに気が付き、外国へ逃亡する。
国に残るのは、無能と老人どもだけだ。
もはや、未来は滅びしかないのかもしれない。
神などいない。
神の国だというのであろうか。
ダメだ。
もうだめなのだ。
かといって、私には何もできない。
私もきっと、無能なのだ。
一部の優秀な側の人間ではなかった。
優秀であれば、外国に行っていたであろう、外国に行き、金を稼ぎ会社を始めるのだ。
私は、家で小説を書いたり、絵を描いたり、動画を作っている、結果は出ていない。
つまり、何の実績もないのだ。
終わっている。
いずれは経営者になって、事業を始める予定だ。
私は、冷酷で、無慈悲な指揮官になりたい。
事業を成功させて、何かを残したい。
国に貢献したい。
いいや。何よりも、私は生まれてくるであろう、将来の私の子孫たちに、苦労をかけるのが、厭だ。
だから、変えなくてはならない。
国を豊かにしなくてはならない。
私にできることは微小なことだ。
たいそうなことを考えてはいても、今の私にできることは、現状、絵を描き、漫画を描き、ブログを更新したり、小説を書いたり、動画を作ったり、ライブ配信をすることくらいだ、
世界に乗り遅れれば、おしまいだ。
パソコン、ネット、何であれ、おしまいなのだ。
一人一台、パソコンを持つのが当たり前でなくてはならなかったし、今更遅い感さえある。
スマホは便利であったが、ダメなのだ。やはり、パソコンでなくてはだめなのだ。
タブレットも便利でありが、やはり、パソコンは使い勝手がいいし、スマホは受動的だがパソコンは能動的だ。
私たちは、束縛されているのだ。
どうして、国は、永遠の呪縛に縛られているのか。
バブルが崩壊してのち、もう一度バブルが起こるを恐れて、金を使わなくなってしまったのか。
景気の回復は、どうして起こらないのか。
根本的に間違っているのだ。
金を配れ、ということだ。全員に金を配れということだ。
どのみち、何をしないでも、だめになっていっている、もうだめなのだ。
新しいことを始めた人間や企業をつぶす、社会では、もうだめなのだ。
むしろ、歓迎せねばならないのだ。
新しいことは歓迎し、国の利益として、確保するべきなのだ。外国に取られれば意味がないのだ。
また、外国のものを買って、国へ利益を還元できないくするのか。
もう、厭だ。
社会の安定感と、年寄り連中の、権益で麻痺しているが、水面下では、弱体化が進んでいる。
目には見えないが、確かに、弱く、なって行っている。
弱くなっていった、ものをさらに追い打ちをかける、年寄りが、利益を独占しようとする、若者には利益は回ってこず、衰退の一途をたどる。悪循環だ。
新しいことや、次の世代の産業にお金を使ったほうが、最終的には利益になるのではないのか。
しかし、国に利益が還元されない、産業はだめだ。
例えば、外国に金が行き渡ったり、流出してしまう産業だ。
大事なのは、自分の国へ利益が行く仕組みだ。
外国にものを売るのも、国の会社に外国の金が利益として入る。
国の中で物の売り買いをするにしても、利益は国で循環しているといえる。
権利を獲得することが重要なのだ。
利権を先取りされれば、もはや、だめなのだ。
新しい産業の利権を獲得するのは新しい産業を始めた若者か、あるいはパイオニアであり、出る杭を打ってはならない。
結果、最終的に国が豊かになれば、国全体が得をするのであるが、既得権益を重視する人間たちからすれば、国の利益よりも、自分達への利益が大事なのだ。
年寄りは特権を持っているので、若者は逆らえない。
革命でも起きない限り、どうしようもないことなのかもしれない。
いったん、本当にどうしようもないところまで、堕ちてしまわなければ、この国は気づけないのかも知れなかった。
堕ちるところまで堕ちて、漸く、目覚めて、改革が始まったり、するのが、この国の習わしかに思える。
そうなるまで、誰も何もできないし、しないのだ。